2011-11-13

預流果に覚る条件(3)



マハーナーマ経


②Siilaparibhāvitam cittam「戒(道徳)」によって心を育てる




条件の第二番目は「siilaparibhāvitam cittam」です。
「siila」とは道徳的な生き方のことです。


世の中には「戒律を守るなんて、まっぴらごめんだ」と言う人が、結構います。でも、本当は戒律を守って道徳的な生き方をすることこそが、人格を向上させる道であり、人の心を自由にさせる道なのです。


心の自由とは何でしょうか? 


それは、何があっても落ち着いていられる心のことです。道徳を守って生活していると、世の中のどんなことにも足を引っ張られなくなる強い心が育つのです。


世間では「自分の心の声に従って生きましょう」と言い、そのように生きることが自由だと考えているようですが、本当にそうでしょうか? 


では、皆さま、ご自分の心に「自分は本当は何をやりたいのか?」と正直に聞いてみてください。


心の声に従うとひどいことになるということがおわかりになるでしょう。


心というのは、本当は自分を不幸にするようなことしか考えていないのです。欲張りたい、酒を飲みたい、嘘をつきたい、怠けたいなど、心のままに生きることこそが、不幸で不自由への道です。


そこで、幸福で自由になりたければ、私たちは心の声に逆らって生きるべきなのです。


在家の方にすすめている戒律は、たった五つしかありません。
 
 ・殺生しないこと
 ・盗まないこと
 ・嘘をつかないこと
 ・淫らな行為をしないこと
 ・酒や麻薬を摂らないこと


これらは実践です。



長いあいだ戒律を守って正しい生き方をしていると、人格が大きく向上します。そして自由に、気楽に、幸福に生きていくことができるのです。周りの人たちからも信頼されるようになるでしょう。


「仏教の戒律は厳しくていやだ」と言う人がいますが、厳しいどころか、本当は戒律ほど人に親切な教えはないのです。



③Sutaparibhāvitam cittam

「学習(聞)」によって心を育てる



条件の第三番目は「sutaparibhāvitam cittam」です。
「suta」は真理の教えを聴くこと、勉強すること、学ぶことです。


お釈迦様の話を聴いたり、また他の人々の話もいろいろ聴いたりして、比較対照し、学び、勉強していると、頭の良い人になっていきます。


七覚支とは何かとか、五蘊とは何か、煩悩にはどのようなものがあるのか、縁起(因縁)とはどういうものかなど、いろいろ勉強することが必要なのです。勉強しなかったら覚れないということでもありませんが、「人は勉強するべき」という態度は、仏教は一貫して言っています。


宗教の中には、「他宗教の教えを聴いてはならない、学んではならない」と教えている宗教もありますが、そのようなことでは永久的に無知で終わってしまうでしょう。


仏教にはそういうことはありません。自由に勉強しなさいと教えています。ただ、世の中には勉強するものが無数にありますから、「何を勉強するか」ということを選択しなくてはならないということが当然必要になってきます。選択するときは、自分に役立つものを選択し、役に立たないものは、やめるべきでしょう。



では、どんな勉強が私たちにとって役に立つ勉強なのでしょうか?


俗世間でお金を儲けることも役に立つといえば役に立つでしょうが、それは一時的なことにすぎません。やはり「人格を向上させること」が、人間にとって最も役に立つ勉強なのです。人格向上に役立つものは、とことん勉強してください。その勉強を長いあいだ続けていると、それによって人格が向上し、頭も良くなります。また、長いあいだ勉強したものは、一瞬にしてすべて忘れることもありません。



④Cāgaparibhāvitam cittam

「施し(施捨)」によって心を育てる



条件の第四番目は「cāgaparibhāvitam cittam」です。 

「cāga」というのは「施し」で、欲や執着なく、人々に協力したり、社会のためにいつでも何かしてあげたりすることです。「手のひらを握って生きるのではなく、手のひらを開いて生きる」という文学的表現がありますが、いつでもそのような気持ちで、奉仕の心を育てるのです。一生に一度だけ他人に親切にしてあげただけでは、人格が向上するはずがありません。毎日のように長いあいだ奉仕活動をしなければならないのです。そうすることによって、人格が向上していくのです。



⑤Paññāparibhāvitam cittam

「智慧」によって心を育てる



もう一つ条件があります。第五番目の条件は、「paññāparibhāvitam cittam」です。


「paññā」とは智慧のことです。智慧によって心を育てている、ということです。智慧というのは、真理の目で物事を見ることで、真理とは「無常・苦・無我」です。


そこで、このことを勉強したり研究したりして、まず自分で真理を発見しなければなりません。


それから、自分の生き方を変えていくのです。いわゆる物事を評価するとき、「無常・苦・無我」という基準で評価し、その基準に基づいて生活するのです。


paññā とは「無常・苦・無我が真理である」と知り、理解して、それに基づいて生きることなのです。


また、苦集滅道の「四聖諦」を発見し、四聖諦は真理であると理解して、その四聖諦に従って物事を判断し、生活することも、智慧です。真理に基づいて生活することは、そう簡単に実践できることではありません。長いあいだの訓練が必要なのです。



五つの条件をまとめますと、


①信(確信):ものごとの真理を理解して納得すること


②戒(道徳):道徳的に生きること(一日だけ戒律を守ったからといって道徳的な人間とは言えません。一生涯、守らなくてはならないのです)


③学習(聞):勉強して、理解能力をどんどん深めていくこと


④施し:奉仕的な生き方をすること(けちで暗い生き方ではなく、惜しまずに他の人々や生命を助ける生き方をすること)


⑤智慧: 智慧を開発すること(真理に基づいて生活し、あらゆることにおいて物事の見方を本格的に正しく改革すること)



これら五つの人格を向上させることが、仏教の目標です。これはかなり高い目標で、毎日精進しないと達することはできません。


小さなことを一回やっただけで人格が向上すると思わないでください。ちょっと他人に親切にしただけで、「私って結構立派な人間だ」などといい気分になるべきではないのです。


そこで、長いあいだ心を育てている仏教徒も、普通の人も、社会の中ではいっしょに生活しています。表面的には何も変わらないように見えるでしょうが、心のほうはものすごく違うのです。仏教徒は長いあいだ訓練をして人格を改革していますから、普通の人とは心の性質が異なっています。汚れた心で物事を見る俗世間の見方や思考の仕方とは、似て非なるものなのです。


 (続きます)

預流果に覚る条件
スマナサーラ長老法話

編集/文責:出村佳子