なぜ満たされないのか? 家族の問題「問題をつくるのは誰か?⑤」からの続き
現実に向き合う
今日、ほとんどの人は「自然な生活」ではなく「人工的な生活」を送っています。多くの人はそれが危険なものであることに気づいていません。
人が引き起こしている問題の多くは、無知から生じています。欲ばかりを追い求めることから、さまざまな問題が引き起こされるのです。
問題や重荷というものは、たいてい人生の中年半ば以降に生じるものです。
たとえば、30メートル深さの穴があるとしましょう。その穴の底に、燃えている炭を置きます。
そこに、はしごを降ろし、数人の人にひとりずつ降りるように言います。
10メートルぐらいまでは、誰も何も不満を言いません。
15メートルぐらいまで降りると、いくらか熱さを感じます。
さらに20メートルから25メートルぐらいまで降り、燃えている炭に近づくと、焼けるような熱さを感じるでしょう。
これと同様に、若者たちにはお釈迦様が教える「生きることは苦である」ことの意味が、まだわかりません。
年齢とともに、経験を重ねれば重ねるほど、「苦の真理」がより明確に見えるようになるでしょう。
年長者のアドバイスを聞く
あることが「よいことか、悪いことか」を理解するために、自分で実際に経験する必要は必ずしもありません。このような例え話があります。
海の中で魚たちが泳いでいます。ある日、いつもは見かけない「ふたのあいた小さな箱」に出くわしました。実は、それは漁師が仕掛けたわななのです。
若い魚たちはその箱の中に入り、それが何なのかを知りたがっています。
年配の魚は若い魚たちに、「中に入らないように。それはわなだから」と忠告しました。
若い魚たちは、「危険かどうかって、なんでわかるのですか? 中に入ってみなければわかりません。実際に入ってみたとき、それがどういうものかがわかるのではないですか」と言いました。
そして、何匹かの魚は箱の中に入っていき、結局、わなに引っ掛かってしまったのです。
私たちは、「限りない智慧のあるお釈迦様の教え」を聞くことが必要です。
もちろんお釈迦様は、「やみくもに教えを信じてはならない」と説かれていますが、私たちはやはり賢者の話しに耳を傾けなければなりません。
なぜでしょうか?
それは、「賢者の経験」は、私たちの世俗的な知識よりも、遥かに深遠だからです。
親はよく息子や娘に「○○をしなさい」「○○をしてはならない」と言います。
親や先生、年配者のアドバイスを聞かない子供たちは、自分勝手に考えたやり方でいろいろなことをやります。
やがて何か重大な問題が起こったとき、年配者や先生の助言を思い出し、助けを求めるようになるでしょう。
このとき、ようやくアドバイスや指導に耳を傾けるのです。
仏教では、「理性的な教え」を実践し、問題にぶつかる前に問題が起こらないよう、さまざまなアドバイスをしているのです。
年齢と経験
人は勉強したことを実際に経験しなくても、知識だけを身につけることができます。
若者の中には、「知識を武器にすれば、世界の問題をすべて解決することができる」と考えている人もいます。
科学は、問題を解決するためにさまざまなものを開発してきました。
でも解決できるのは「物質の問題」だけであって、「心の問題」を解決することはできないのです。
心の問題を解決できる人は、世の中を実際に知り尽くした賢者以外にいないのでしょう。
このようなことわざがあります。
「私が18才のとき、父のことを ”なんて愚かな人なのだろう” と思っていた。いま私は28才だが、父がこの10年間でどれだけ学んだかということに驚いている!」
学んだのは父親ではなく、息子のほうです。息子が、ものごとを大人の見方で見ることを学んだのです。
2000年以上も前、お釈迦様をはじめ、孔子や老子、多くの優れた指導者たちが、人々にすばらしい教えを説かれました。こうした真理に基づく教えは、廃れることが決してありません。永遠に新しいままなのです。
古代の人々の智慧を無視して、人間の「生の問題」を解決することは困難なものです。こうした智慧は、人間の尊厳や理性、平穏、幸福を育ててくれるのです。
(続きます)
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出村佳子〔訳〕
"Who creates problems?" by Ven. Dr. K. Sri Dhammananda Thero
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