2023/11/25

自分にたいする執着「自由への突破口②-1」

 

渇愛によって執着が生まれる「自由への突破口①-6」からの続き


自分への執着


次のテーマは、「自分に執着する」ことです。

命とは、五蘊のことです。皆様は五蘊(pañcakkhandha)という言葉を聞いたことがありますね。

五蘊とは、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊という五つのシステムのことです。

私たちが「私」とか「自分」と言っているものを、仏教用語では「五蘊」と言っています。

色蘊は肉体、受蘊は感覚、想蘊は概念、行蘊は「生きていきたい」とか「やりたい」などという衝動、識蘊は認識です。


自由への突破口 スマナサーラ長老法話


ただの物体には認識することができませんが、生命という物体には認識することができるのです。

このように、五つのシステムがあります。この五つのシステムを合わせたものを、「私」とか「自分」と呼んでいるのです。


これは、五執蘊(pañcūpādānakkhandha)とも言われます。

「五蘊」ではなく、よく使う言葉は「五執蘊」のほうです。
ここに執(ūpādāna)という言葉が入っています。これは「執着する五蘊」という意味です。


私たちが一般的に、自分に執着がある、自分に愛情がある、自分のことが好きだ、などの言葉で言っているのは、自分自身に執着があることです。


しかし、その執着は何なのかと明確に理解していません。
自分に執着していると言っても、その「自分」とは何なのかと理解していないのです。


ですからお釈迦様は、「自分」という曖昧な言葉が示している具体的な働きは五蘊である、と教えるのです。

自分を五蘊に分析して理解すると、五蘊の一つを取り上げて、「これは私です」と言うことはできません。色・受・想・行・識には、それぞれ別個の仕事があるのです。

色蘊の仕事は、受蘊にはできません。

同じく、想蘊・行蘊・識蘊も各自で特定の仕事をしているのです。


五蘊がおこなう仕事を一個一個調べると、決して「これが私です」と言うことはできません。

ものごとを大雑把に理解する一般の方々は、五蘊を区別しないで、すべてまとめて「私」というラベルを貼るのです。


人に執着があることは確かです。執着は感情の仲間なので、行蘊の働きになります。そこで、色蘊に執着する、受蘊に執着する、想蘊に執着する、行蘊に執着する、識蘊に執着する、という行蘊の働きが見えてきます。

ですからお釈迦様は、煩悩がある生命にたいして、五蘊ではなく、五執蘊という言葉を使っているのです。


執着があると、自由がありません。執着の対象に依存しなくてはいけなくなるのです。執着の対象を守らなくてはいけなくなるのです。


私たちは五蘊に執着していますから、自分のことについてよく悩みます。よりよい自分をつくろうと苦労します。

このように、自分という言葉を使うと立派に聞こえますが、実は五蘊のことで困っているのです。五蘊にたいして悩んでいるのです。五蘊に執着しているのです。
自分に執着することは、五蘊に執着していることです。


煩悩がある生命には、五蘊を守り、執着すること以外に、他のことをする余裕も時間もありません。自由はないのです。

(続きます)


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法話:スマナサーラ長老

自由への突破口 〜遠離から喜びが生じる ➤ 目 次

根本仏教講義 ➤ 目 次

文:出村佳子

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生きとし生けるものが幸せでありますように