◎「意」の防護は善きこと
Manasā saṃvaro sādhu
「心(意)」を制御することは、「行動」や「言葉」を制御するよりも、遥かにむずかしいことです。
なぜでしょうか?
それは、人の心や思考は止まることなくあちこち走りまわっているからです。
瞑想したことがある方なら、おわかりになるでしょう。
心は野生のサルのようなものです。
枝から枝へとせわしなく走りまわるサルのように、人の心も欲から欲へ……、怒りから怒りへ……、悩みから悩みへ……、後悔から後悔へ……、落ち込みから落ち込みへ……などと、対象から対象へ、せわしなく走りまわっています。
あれを欲しがり、これを欲しがり、あれをつかみ、これをつかみ、
あちらで不満を言い、こちらで不満を言い……、
このように、心はあちこち散乱しています。
そこに制御はありません。
わめき騒ぐサルのように、心は手に負えないものなのです。
これが、心の性質です。
心を落ち着かせることは大変なのです。
まず、この心の性質を理解するようにしてください。
チャンディマ長老(著)
『セルフケア:ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』
「意の防護は善きこと」より