功徳と善に完成はあるか?
「功徳(puñña)」にも完成はありません。
いわゆる人を助けたり、ボランティアをしたり、お布施をしたりなど功徳行為しても、完成することはできません。
自分が精一杯やっても、もっとできるからです。
たとえば困っている人を助けるとしましょう。何人助けられますか?
限りがあるのです。ですから功徳行為は完成することができません。
「功徳(puñña)」にも完成はありません。
いわゆる人を助けたり、ボランティアをしたり、お布施をしたりなど功徳行為しても、完成することはできません。
自分が精一杯やっても、もっとできるからです。
たとえば困っている人を助けるとしましょう。何人助けられますか?
限りがあるのです。ですから功徳行為は完成することができません。
悪と不善に完成はあるか?
次に「完成」ということについて考えてみましょう。
悪と不善に「完成」はあるのでしょうか?
悪行為は激しく命を破壊し、不善行為は徐々に破壊します。
悪行為の場合、たとえば他人を殺したら、自分の命もそれで終わりです。社会から逃げても隠れても無駄です。自分がやった悪行為が、毎日自分を破壊していくのです。
不善行為とは判断を間違えたり、失敗したり、下手で何をやってもうまくいかず、結果がダメなことで、そうなってくるとじわじわと自分の人格が下がっていきます。