功徳と善に完成はあるか?
「功徳(puñña)」にも完成はありません。
いわゆる人を助けたり、ボランティアをしたり、お布施をしたりなど功徳行為しても、完成することはできません。
自分が精一杯やっても、もっとできるからです。
たとえば困っている人を助けるとしましょう。何人助けられますか?
限りがあるのです。ですから功徳行為は完成することができません。
お釈迦様が菩薩のとき、無限の過去世から、ものすごい長いあいだ、パーラミー(波羅蜜)を積んできました。
パーラミーを完成するために、人には決して真似できないほどの功徳行為をなさってきたのです。
一般人のように、「功徳を積みたい」「死後、天国に生まれ変わりたい」というような願いは一切ありませんでした。自分と他人の生きる苦しみを乗り越える方法を探していたのです。
苦しみを乗り越えるためには、資格が必要です。
パーラミーというのは、この資格のリストです。
10項目あります。
- 布施波羅蜜 Dāna pāramī
- 持戒波羅蜜 Sīla pāramī
- 出離波羅蜜 Nekkhamma pāramī
- 智慧波羅蜜 Paññā pāramī
- 精進波羅蜜 Viriya pāramī
- 忍辱波羅蜜 Khantī pāramī
- 真諦波羅蜜 Sacca pāramī
- 決意波羅蜜 Adhiṭṭhāna pāramī
- 慈波羅蜜 Mettā pāramī
- 捨波羅蜜 Upekkhā pāramī
功徳行為を行なうことは、パーラミー完成の鍵になります。
功徳行為を善行為として行なうのです。
たとえば、布施を行なうと、功徳行為になります。
行なった布施に適した功徳の業を積みます。
他人の苦しみを一時的にでも和らげる目的や、自分自身の心にある物にたいする執着を戒める目的で布施行為をすると、それは功徳行為であると同時に、善行為にもなるのです。
善行為によって心が清らかになり、人格が向上するので、功徳よりも優れています。
ブッダが過去生で菩薩としてパーラミーを完成したという話は、功徳を完成したことではありません。善行為の完成なのです。
善行為を行なう過程で、功徳もたまるのです。
菩薩にとって、功徳行為は善行為を行なうための手段になりました。何兆回も生まれ変わりながら、功徳を積む方法で善行為を行なったのです。
そこで、菩薩がシッダッタ・ゴータマとして生まれて解脱に達したとき、善が完成したのです。
功徳とは、輪廻転生をさせるエネルギーです。解脱に達したブッダは、輪廻転生はもうしません。功徳の用は済んだのです。解脱に達した人は、功徳を乗り越えるのです。
悪行為を完成させることは、不可能です。
功徳はいくらでも積むことができますが、完成はできません。
パーラミーを実践していた菩薩には、人々を助けたいという目的がありました。
すから、ブッダになってから、人々に解脱の道を紹介して導くことで、無数の衆生を助けたのです。
弟子たちにも、「人を助けることを完成したければ、解脱に達する道を教えて導きなさい」と教えられました。
なぜなら、助けられた人が完全に助かるからです。苦しみが完全に消えるからです。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように