「慢」とのつき合い方②-2
つづき
執着するのは私たちが価値を入れたときです。価値はプラスであってもマイナスであっても、執着です。どちらも執着なのです。
たとえば、公園で捨てネコを見つけたとしましょう。捨てネコですが、こちらに寄ってきて、なきながら手をなめたりすると、「なんてかわいいか。でも首輪がない。かわいそうに。捨てられたんだ。家で飼ってあげよう」と、プラスの価値を入れます。それで家に連れて帰り、エサやミルクをあげ、かわいがるのです。
「慢」とのつきあい方②-1
つづき
私たちは何にでも価値を付けたがります。自分だけでなく、何にたいしても価値を付けたがるのです。価値を付け、そして対応します。これが人の基本なのです。
いつでも、どんなものにも価値を付けたがります。簡単に言えば、値札を付けるのです。
ときどきガラクタのようなものにも「骨董品」とか「美術品」として何百万円、何千万円もの高価な値札を付けています。そしてそれを保存するために、美術館の頑丈なガラスケースに収め、空調までコントロールして、相当なお金をかけて大事に扱っているのです。
反対に、「価値がない」と見ると、それにたいして無関心になります。たとえば、道路に1円玉が落ちているとしましょう。このとき、「1円玉が落ちている」と思うかもしれませんが、1円玉に価値は入れていませんから、だいたいは無視して通り過ぎていきます。
でも、もし1万円札が落ちていたらどうするでしょうか? 足が止まるのです。