糸が切れた凧
「余計な欲(abhijjhā)」は「普通の欲」とは異なります。
「普通の欲」とは、もう少し収入があったら家族を楽にしてあげられるとか、もう少し環境のいいところに住めるとか、たまにおいしいものが食べられる、という程度の欲です。
これは小さな欲ですから、すべて崩壊するところまではいかないでしょう。
でも、リミットを越えた瞬間、糸が切れた凧のように、どこまでも、あてもなく、飛んでゆくのです。
私たちの心には、ものすごい煩悩がたまっています。欲と怒りと無知(貪・瞋・痴)で、かぎりなく汚染されているのです。
私たちは、歩く原子爆弾のように大変危険なものです。
日常生活のなかでは爆発しないよう、なんとか抑えて生活していますが、少しでもネジがゆるむと、爆弾が爆発したように、貪・瞋・痴が爆発し、自分や周りを壊し、大きな苦しみをもたらすのです。
貪・瞋・痴は、どこまででも成長します。原子爆弾のように、連鎖反応でどんどんどんどん成長するのです。
たとえば、夏休みにどこかへ旅行するとしましょう。
旅行したら、「ああ、よかった。楽しかった。もう充分だ」と満足するのではなく、「次はもっと楽しいところへ行きたい」と思うのです。
それで次の年「楽しいところ」へ行ったら、またその次の年には「さらに楽しいところ」へ行きたくなります。
おいしいものが食べたい、という欲が出たら、おいしいものを探して食べ、それを食べてもまた、おいしいものを食べたい、と欲が出ます。
それを食べても満足しませんから、さらにもっとおいしいものを探します。
このように、欲は連鎖して、どんどんどんどん膨らんでいきます。
ですから、欲は危険なものです。しっかり管理することが大切なのです。
(続きます)
根本仏教講義『希望と欲望②-2』
スマナサーラ長老法話