2019/05/12

慈悲といっしょに育てるべきもの


慈悲の心といっしょに育てるべきものがあります。
それは、智慧です。智慧を開発するためには、いまの瞬間、自分の心と身体に何が起こっているか、それを観察しなければなりません。観察していくと、見事に智慧が現れるのです。これは、気づき vipassana の実践で、ものごとをありのままに観察する方法です。



歩いているときには歩いていることを観察し、座っているときには座っていることを観察し、立っているのときには立っていることを観察します。

歯を磨いているときは歯を磨いていることを、食べているときには食べていることを観察します。その瞬間その瞬間、やっていることを観察するのです。
食べる瞑想
しっかり観察するなら、頭には余計なことを考える暇がなくなります。それで失敗が少なくなり、無駄も省けるのです。

たとえば食べるとき、食べている行為を細かく一つ一つ観察するなら、食べ過ぎになることはありません。


しかし、ふだん私たちは「おいしい、おいしい」と言ってパクパク食べているか、皆とおしゃべりをしながら食べているか、時間がないからといって早食いしているか、あるいはテレビを見たり新聞を読んだりしながら漠然と食べています。

そこで、確認しながら食べてみてください。
そうすると、身体が「何を、どのぐらい食べたか、食べたものをどう消化すべきか、栄養をどう吸収すべきか」ということを知ることができるのです。


必要な量を食べたら、脳から「満腹ですよ」という信号が出ますから、満足感が得られ、適切なところで自然にストップできるのです。食べ過ぎや成人病、肥満になることはありません。ダイエットをする必要もありません。食べ物が自然に身体に合わせてくれるのです。それで健康になり、心も元気になるのです。

しかし私たちは、これは健康にいいとか、これを食べると痩せるなどといろいろ妄想して、食べ物を強引に身体に入れている傾向があります。身体の状況はぜんぜん理解していませんから、結果として体調を崩したり、病気になったりするのです。

「身体にいい」ということは、あまり神経質に考えないほうがいいと思います。ある食べ物が身体にいいと言っても、それは誰が言ったのでしょうか?
誰かさんが言ったことでしょう。身体にいいか悪いか、身体に合うか合わないかを一番よく知っているのは、自分の身体のはずです。

でも、私たちは妄想で好き勝手に食べていますから、それが分からなくなっているのです。

テレビや雑誌で「これは○○にいい」と報道されたものを無理やり身体に入れ、身体の状態を無視したまま、食べ続けるのです。

食べるときは、食べている行為を一つ一つ観察し、よく噛んで、味わって食べてみてくださいそうすれば、身体が「いま入ってきた食べ物はこういうものだ。この食べ物の場合はこう処理すべきだ」と自動的に機能するのです。そこを妄想で押さえてはいけません。
スマナサーラ長老 
根本仏教講義『人生改良計画⑤-1』