●愛する者をすべて失ったパターチャーラー
1日にして、生まれたばかりの赤ん坊と幼い子供、旦那、父母、兄弟を亡くしたパターチャーラー(Patacara)は、ショックのあまり頭が狂ってしまい、服が脱げ落ちたことにも気づかずに、裸のまま町をふらふらさまよい歩いていました。
そのとき、お釈迦さまに出会いました。
お釈迦さまが、「妹よ、落ち着きなさい」とやさしく声をかけると、パターチャーラーは正気に戻りました。
そしてお釈迦さまはこのように話されました。
「遠い昔から今まで、あなたが愛する者を亡くして涙を流したのは、
これが初めてではありません。
あなたは輪廻のなかで測り知れないほどの涙を流してきました。
その涙の量は、4つの海の量よりも多いのです」
この言葉を聞いたパターチャーラーは、「死の普遍性」に目覚めました。
「無常なる世の中では、子供も、夫も、父母も、兄弟も
頼りにすることはできない。
自分の心さえ頼りにならない。
頼りになるものは、心を清らかにして悟り開くことである」
ということに気づき、出家して修行に励み、やがて悟りを開いたのでした。
●7歳で悟りを開いた子ども
大人ばかりでなく、子供も捨てたものではありません。ソーパーカという7歳の子供がいました。
赤ん坊のときに父親が亡くなり、母親が別の男性と再婚しました。
新しい父親はソーパーカのことが大嫌いで、いつもいじめていました。
ある日、父親はソーパーカを墓場に連れていき、そこにあった死体にソーパーカを縛りつけ、置き去りにして帰ってしまったのです。
その夜、お釈迦さまは墓場で泣いている子供を見つけると、固く結んであったひもをほどき、「さあ、帰りましょう」と、手をつないで一緒にお寺に帰りました。
お釈迦さまと手をつないだソーパーカは、喜んでお寺に入り、出家して、お釈迦さまの話しをよく聞き、まだ10歳にもなっていないのに悟りを開いたのです。
出家世界には比丘戒というものがあり、これは20歳にならないと授けることができません。ですから7歳のソーパーカは、まだ正式に比丘になることができません。
しかしソーパーカは完全に悟りを開いていましたから、お釈迦さまは特別扱いなされたのです。
ある日、ソーパーカをよんで、大人の比丘たちがいるなかでこのように質問しました。
「1はなんですか、2はなんですか、3はなんですか……10はなんですか」と。
比丘たちは、「お釈迦さまは子供と遊んでいるでしょう」と思っていました。
でも「1はなんですか」と聞くと、ソーパーカは「食べ物(アーハーラ)です」と、普通の子とはちょっと違うことを言うのです。
お釈迦さまが「2はなんですか」と聞くと、「名(nama)と色(rupa)です」と答えました。
では、「3はなんですか」と聞くと、「苦と楽と不苦不楽の3つの感受です」と答えました。このようにして10まで答えたのです。
お釈迦さまは、「君はみごとです。今日から比丘です」と、ソーパーカを正式な比丘として認められました。
これはかなり大胆なことです。というのも30歳や40歳の年配になってから出家する人たちは、7歳の子供に頭を下げて礼をしなくてはいけませんから。
でも、お釈迦さまは肉体の年齢よりも心の清らかさを重視なされたのです。
ソーパーカは完全に心を清らかにしていましたので、お釈迦さまは正式に比丘として認められたのでした。
(続きます)
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文:出村佳子
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