2023/05/07
2023/05/06
慈しみの実践
立っているときも、歩いているときも、
座っているときも、横になっているときも、眠っていないかぎりは、
慈しみの念(sati)を保ってください。
これは梵天の(崇高な)生き方であると言われています。
このように実践する人は、
邪見を乗り越えます。
いつでも戒を保ちます。
正見が得られます。
諸々の欲望にたいする執着がなくなります。
輪廻を繰り返すことはありません。
母体に宿ることはもうありません。
2023/05/05
仏教がハイライトしたもの2-②
宗教のあやまち「来たれ見よ2-①」からの続き
仏教がハイライトしたもの
形而上学的な観念を語ることには意味がない、とお釈迦さまは教えられました。
魂はあるかないかとか、天国はあるかないかなど、試す方法もなく、証拠もないことは考えてはいけません、時間の無駄ですと。答えに終わりがないから禁止なされたのです。
そこでお釈迦さまがハイライトして説かれたのは、すべての生命が日々なまなましく経験している苦しみや不安、悩み、死の恐怖などについてです。
これならどなたにでも直接関係があることですから理解できるしょう。
2023/04/30
宗教のあやまち2-①
2 対機説法
宗教のあやまち
仏教以外の宗教は、社会の差別制度のことを説き、「なぜ差別があるのか」ということを解明しようとしていました。そうすると、ある宗教と別の宗教の説明に違いが生じてきます。
2023/04/27
差別社会の中で生まれた仏教1-①
「来たれ見よ:誰でもチャレンジできる仏教実践」はじめに からの続き
1 仏教は平等である
来たれ見よ
これは仏教の有名なスローガンです。パーリ語では、Ehipassiko。
いわゆる仏教は世間の人に向かって自由に話しかけています。
すごい教えだから信じなさいと強引に押し付けるのではなく、ちょっと試してみたらいかがでしょうか、見てみたらどうでしょうか、という自由な態度をとっています。
誰が来て、何を調べても、こちらは大丈夫です、というかなり強気の態度でもあります。
誰でも "Come and See" 来て見てください。どうでしょうか、と。
教えには自信がありますし、万が一欠陥があるということはありません。
それで、これはどういう意味なのかと話を進めていきたいと思います。


