2015/03/30

慈しみ

慈しみを実践すると、
習慣になっている
悪い思考パターンが
弱まっていき、
善い思考パターンが
強くなります。

こころは穏やかになり、

満たされ、
リラックスします。

それで、

こころが 「集中」 するのです。

マインドフルネスを越えて集中と気づきの正しい実践』


2015/03/26

Patipada誌4月号


 
 『Patipada』(パティパダー)
 日本テーラワーダ仏教協会刊
 2015年4月号 vol.21 〔通
 no.242〕 連載 『感 覚』 より

からだのどこかが痛いとしましょう。

このとき静かに座り、
目を閉じて、
心配することも、
不安になることもなく、
その痛みだけに
ただ気づきながら観察します。

しばらくすると、
痛みが小さくなっていることに
気づくでしょう。

反対に、心配するなら、
痛みにたいして、
緊張やプレッシャーを加えていることになりますから、
結果として、痛みを悪化させてしまうかもしれません。

痛みというひとつの感覚だけでなく、
さらにもうひとつの感覚
――心配―― 
を加えたからです。


Patipada』(パティパダー) 4月号、連載 『感覚』より

バンテ・H・グナラタナ著 
出村佳子訳



2015/03/22

...をつくるのは心


巣立ち

Mind is the source of
all sufferings and happiness.

May all beings be happy...




2015/02/27

I recollect qualities of the buddha and pay my homage......





2015/02/05

お詫びと訂正

お詫びと訂正です。

月刊機関誌 Patipadā』 (パティパダー)
2015 2月号  連載/翻訳記事の
『感覚』 (バンテ・グナラタナ著/出村佳子訳)
39ページ、下段 3~4行目
におきまして、誤りがございました。

『 対象 (色・受・想・行・識) 』 とありますが、

ただしくは 
『 対象 (色・声・香・味・触・法) 』 です。

深くお詫び申し上げますとともに、訂正させていただきます。







2015/01/20

なぜ献血をするのか?


Rudhira Dāna(ルディラ・ダーナ)




仏教では、「徳」(Punna)という言葉がよく使われます。行為には、善行為と悪行為の2つがあります。簡単にいうと、業(Kamma)です。お釈迦様は「人は業によって幸福か不幸になる」と教えています。


善行為を行うことを、「徳を積む」といいます。この「徳を積む」方法は3つあります。


Dāna―布施をする
Sila―戒を守る
Bhāvanāー瞑想をする(心を育てる)

です。AN:Tikanipata)

献血をすることは、布施(Dāna)であり、自分の血のお布施することになります。

お布施には、3種類あります。

まず、自分の物を他人のために差し上げることです。

他人のために自分が持っている食べ物や着る物、お金などをお布施するのです。これは3番目のお布施で「ダーナ・パーラミター(布施波羅蜜)」といいます。


2番目は、他人のために自分の身体の部分をお布施することです。これを「ダーナ・ウパ・パーラミター」といいます。


最も高いお布施は、他人のために自分の命を差し上げることです。これを「ダーナ・パラマッタ・パーラミター」といいます。


献血は、2番目の「ダーナ・ウパ・パーラミター」を実践することになります。




仏道を歩む人は、徳を積みながら道を実践すべきです。「病気で苦しんでいる人々の苦しみがなくなりますように」と願って、自分の血をお布施することは素晴らしい行為です。
本当の幸せとは、心の喜びのことです。
自分にも他人にも役立つことをして喜ぶことができれば、それこそが最高の幸せなのです。

スダンマ長老法話


(文責:出村佳子)


生きとし生けるものが幸せでありますように。

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2015/01/17

metta


May all beings and creatures
with no exceptions,
be free from suffering. 
May they all be free…




2015/01/11

生まれたもの…


「アーナンダよ、
ブッダはかつてこう説かれたのではなかったか。

生まれたもの、
存在するもの、
組み立てられたもの、
作られたものは、
必ず壊れる。

生じては滅する……

これが
諸々の条件に依って
形成されたものの
本質である。

生まれたものは

必ず滅する。

この構造が

完全に止むとき、
究極の安穏が
訪れるのである」


スリダンマーナンダ長老法話より

(Maha parinibbana sutta)

出村佳子訳

2015/01/03

姿 勢


なぜ姿勢に気づく必要があるのか? 

 歩いているときは 歩いているし、 座っているときは 座っている。 横になっているときは 横になっている。 自分の姿勢くらい知っている。
 座る・立つ・歩く・横になる姿勢に 気づくことで、 何か特別な智慧が得られるのか、と思うかもしれません。



『8マインドフル・ステップス』バンテ・グナラタナ著、出村佳子訳



姿勢に注意すると、身体の動きが絶えまなく変化していることがわかるでしょう。

動かずに、じっとしているように見えても、変化しているのです。

心臓は鼓動していますし、身体からは熱が出ています。肺は拡がったり縮んだりしています。このように、身体は無常なのです。

また、身体の外側の動きに関しては、一部コントロールすることができますが、内側の微細な動きに関してはコントロールすることができない、ということに気づくでしょう。

コントロールできないため、心はいらだちます。

このことを理解することによって、「身体の動きの本質は  苦であり、無我である」と見る智慧が育つのです。


8マインドフル・ステップス

バンテ・グナラタナ著