欲と怒りはセット
私たちの心には「檻に入ったトラ(欲)」が住みついています。檻に入っているから大丈夫、危害はない、と思うかもしれませんが、だからといってトラがネコのようなかわいいペットかというと、とんでもありません。
ただ檻に入っているから危害がない、それだけのことです。
檻の扉を開けた瞬間、たとえ毎日エサをあげて面倒をみていたとしても、トラは飼い主に襲いかかってきます。真っ先に誰を殺すかというと、ほかならぬ飼い主なのです。
同様に、異常な欲が生まれたら、真っ先に攻撃され、殺されるのは、欲をだした自分です。ひどいときは周りの人も巻き込んでしまうでしょう。
ですから、異常な欲望は大変危険なものなのです。
欲望のもうひとつの顔
欲望とは言いにくいのですが、強い願望といえる感情がもうひとつあります。
パーリ語で vyāpāda と言い、意味は「異常な怒り」です。これも異常な欲(abhijjhā)と同じで十悪に含まれ、とても罪が重いものです。
Vyāpāda とは、他人に害を与えたくなる気持ち、いわゆる暴力をふるいたいとか、他人を害したい、傷つけたいという気持ちのことです。
それも、異常なほど。異常に他人を壊したくなるのです。
社会にはときどき、突然怒りが爆発して自分と何の関わりもない人を殴るとか殺すとか、そういう異常な怒りを持つ人がいます。
こういう人たちは精神的な病気で、ノーマルレベルを越えています。
怒りを制御することができないため、何でもいいから壊したい、誰でもいいから殺してやりたいと心が絶えずイライラし、ある日突然、常識では考えられないような凶行に走るのです。
欲が強い人ほど、怒りやすい
なぜ異常な怒り(vyāpāda)のことを説明したかといいますと、欲と怒りはセットだからです。
性質は正反対ですが、二つはセットになっています。ですから、欲が強ければ強いほど、人は怒りやすい。
たとえば、ある男性が女性のことをものすごく好きになったとしましょう。それで告白したところ、もしふられたら、頭がおかしくなってその女性を殺してしまうかもしれません。
本当に好きなら相手を尊重して大事にすればいいのに、なぜ殺すのかというと、あまりにも欲望と愛着が強く、でも自分の思いどおりにならなかったため、怒りが爆発するのです。
欲と怒りは表裏一体です。欲の裏側には、怒りが潜んでいます。
ですから欲が強ければ強いほど、裏で怒りが繁殖しているのです。
朝から晩まで金儲けのことばかり考えている人がいるとしましょう。
周りの人たちは「この人はお金にしか目がないみたいだけど、まぁそれほど害はないでしょう」と、安心することはできません。何をするかわからないのです。
もしその人にお金が入らなくなったら、突然、怒るでしょう。怒って、自分や周りを破壊するのです。
日本の社会でも、エリート中のエリートが不正を働き、それが見つかって自殺する、ということがときどきあります。
自殺は怒りです。不正行為をしたら、潔く、申し訳ないと謝罪して罰を受けたほうがいいのに、こういう病的な人たちは憤慨して自殺するのです。
飼っていたトラが檻から出た瞬間、真っ先に飼い主を襲うように、常識レベルを超えた欲と怒りは、真っ先に自分を殺すのです。
そういうわけで「異常な欲」が出てきたら、気をつけてください。心の裏側では人を殺すほどの恐ろしい「異常な怒り」が繁殖しているということなのだから。
(続きます)
根本仏教講義『希望と欲望③』
糸が切れた凧
「余計な欲(abhijjhā)」は「普通の欲」とは異なります。
「普通の欲」とは、もう少し収入があったら家族を楽にしてあげられるとか、もう少し環境のいいところに住めるとか、たまにおいしいものが食べられる、という程度の欲です。
これは小さな欲ですから、すべて崩壊するところまではいかないでしょう。
でも、リミットを越えた瞬間、糸が切れた凧のように、どこまでも、あてもなく、飛んでゆくのです。
私たちの心には、ものすごい煩悩がたまっています。欲と怒りと無知(貪・瞋・痴)で、かぎりなく汚染されているのです。
私たちは、歩く原子爆弾のように大変危険なものです。
日常生活のなかでは爆発しないよう、なんとか抑えて生活していますが、少しでもネジがゆるむと、爆弾が爆発したように、貪・瞋・痴が爆発し、自分や周りを壊し、大きな苦しみをもたらすのです。
貪・瞋・痴は、どこまででも成長します。原子爆弾のように、連鎖反応でどんどんどんどん成長するのです。
たとえば、夏休みにどこかへ旅行するとしましょう。
旅行したら、「ああ、よかった。楽しかった。もう充分だ」と満足するのではなく、「次はもっと楽しいところへ行きたい」と思うのです。
それで次の年「楽しいところ」へ行ったら、またその次の年には「さらに楽しいところ」へ行きたくなります。
おいしいものが食べたい、という欲が出たら、おいしいものを探して食べ、それを食べてもまた、おいしいものを食べたい、と欲が出ます。
それを食べても満足しませんから、さらにもっとおいしいものを探します。
このように、欲は連鎖して、どんどんどんどん膨らんでいきます。
ですから、欲は危険なものです。しっかり管理することが大切なのです。
(続きます)
根本仏教講義『希望と欲望②-2』
3種類の「欲」の続き
欲をバネにして人格を向上させることはできません。欲に基づいて行動すると、最終的にはかならず失敗するのです。
そこで、幸福な生き方を目指す人は、欲は有害な毒であると見て、欲から離れることが大切です。
とくに底なしの異常な欲望(abhijjhā)に関しては、修行や瞑想を始める前から離れておかなくてはなりません。
欲があると、「いまあるもの」も失う
ジャータカ物語をひとつ、ご紹介いたしましょう。
ある人が王様のもとを訪れ、このように言いました。
「あなたはすばらしい王様で、強い軍隊をたくさん持っているのに、なぜこのような小さな国を治めることで満足しているのですか?
希望が小さいのはよいことではありません。
となりの国に侵攻して、自分の国を拡げてはどうですか」
それを聞いた王様の心に、巨大な欲(mahicchatā)が生まれました。
「よし、わかった。となりの国を攻めて、私の国にしよう!」
そう言って、すぐに軍隊を集め、戦いに出ようとしたのです。
ところで、王様には、知識のある優れた大臣たちがそばにいました。
そのなかで、もっとも智慧のある偉い大臣が、
「戦争はやめたほうがいい。落ち着いて平和でいたほうがいい」と、戦争にまったく賛成しないのです。
しかし、王様はこの大臣の言葉にはまったく耳を傾けませんでした。
智慧のある大臣は、王様のことが心配になりました。
そこで戦争には反対でしたが、あまりにも心配ですから、軍隊といっしょに出かけることにしたのです。
ちょうどその頃、インドは雨季に入り、毎日、雨が降り続いていました。
しかし王様は軍隊に、「前に進みなさい。たとえ雨が降っても引き返してはならない」と命じました。
ある日のこと、森で野宿しているとき、馬のエサとして、栄養のある豆を小分けにし、あちこちに置いておいたところ、それを見ていたサルが、「おいしそうな食べものだ」とばかりに、木から降りてきました。そして、手で豆をひとつかみ握ったのです。
でも、まだ豆はたくさんあります。
それで、反対の手でもう一つかみ握りました。
見ると、豆はまだたくさんあります。それで今度は口いっぱいに豆を頬張りました。
口と両手いっぱいに豆を持ち、木の上に登ろうとしました。
しかし、両手は使えませんから、足で登るしかありません。
どうにかこうにか木の上に登ったところ、手から豆が一粒、ポトンと地面に落ちました。
サルは「キャー」と鳴き、あわててその一粒の豆を拾うために木から降りたのです。
鳴いた瞬間、口から豆が全部落ち、さらに両手の豆も全部落ちてしまったのです。
たった一粒の豆のために、サルはすべての豆を失ったのです。
その様子を見ていた王様が、
「あー、バカなサルだ。一粒ずつ手で取って食べればいいのに。欲深いなぁ。欲が深いから、全部なくしてしまったんだ」と言いました。
それを聞いた智慧のある大臣は、
「欲深いのはサルだけではありませんよ。あのサルと同じことをやっている人がこちらにもいるのではないでしょうか」と言いました。
王様が「なんのことか」と言うと、大臣は、
「これまで王様は自分の国を治めることだけで充分満足していました。なのにいまは隣国に侵攻して、自分のものにしようとしています。それもこの雨季の時期に。ゾウや馬は風邪をひいて熱をだし、となりの国に着くころには身体が弱っているでしょう。軍隊も雨で衰弱し、疲れ切っていますから、戦う力はありません。私たちは簡単に相手軍に殺されるでしょう。ですからいま王様がやろうとしていることは、あのサルがやっていることよりもひどいことではないでしょうか」
王様はようやく目が覚めました。
「わかりました。国へ帰りましょう」
そう言って、引き返したのです。
この話は「欲をだしたら、いま持っているものも失う」という話です。
欲は崩壊のもと
これは社会を見るといくらでも例があります。
日本でも、ある偉い方が、わずかなお金に欲をだしたために、地位も権力も失って逮捕された、というニュースをときどき聞くことがあります。
毎月高い給料をもらい、そのうえ国や会社から住宅や車などを安く貸してもらい、外国に行くときには旅費や滞在費が全部おりますから、お金のかかるものはほとんどありません。奥さんの服代や子供の養育費ぐらいです。
なのに、もう少し裏でお金をもらおうではないかと欲をだし、不正行為をしたため、逮捕され、結局は職も、地位も、立場もすべて失うはめになるのです。
ですから、理解してください。
欲はネガティブで、暗い思考です。英語で言えば、productiveではなくdestructiveです。
いわゆる有効的・効果的ではなく、破壊的ということです。
会社は、経営者が欲をだせば、倒産しますし、家庭は、家族の誰かが欲をだせば、崩壊するでしょう。
国は、国の権力者が欲をだせば、すぐに崩壊するのです。
1990年、イラクが隣国のクウェートを奪おうと欲をだし、たった1日でクウェート全土を支配下に収めたということがありました。
それでどうなったかというと、米英軍によってハイテク兵器がイラクに投入され、その劣化ウラン弾の影響で、いま多くのイラクの子供たちが、ガンや白血病、奇形の病気にかかって大量に死んでいるのです。
また、経済制裁のために食料が不足していますから、栄養失調や飢餓でも苦しみ死んでいます。
これからどのくらいこの国の人々が死んでいくかわかりません。
これは、当時のイラクの大統領が自分の国だけでは満足せず、「となりの国を奪って自分のものにしよう」と、とんでもない欲をだしたことによります。
その結果、国民を苦しみの泥沼に落とし入れたのです。
(続きます)
根本仏教講義『希望と欲望②-1』