2021/12/05

生きるとは感じること ほんものの恐怖とは?③-2 

ほんものの恐怖とは?③-1 の続き


生きるとは感じること


眼に入る色によって、耳に入る音によって、鼻に入る匂いによって、舌に入る味によって、身体に触れるものによって、意に入る思考によって、感覚は勝手に起こります。

だから音楽が流れたからといって、ここにいる人たち皆が同じ感覚になるわけではありません。バラバラなのです。

その感じることが、命です。

2021/12/01

ほんものの恐怖とは?④-1 死を認識できない


死を認識できない


皆様の知識をちょっと調べてみてください。「死」という概念はあるでしょうか?

ダイエットの方法とかウナギの美味しい食べ方とか、そういう知識はあるかもしれません。

でも、皆様の知識に「死」はないのです。

感情にも「死」はありません。存在すらしないのです。

2021/11/26

How to Stop Dwelling | A Buddhist Perspective by チャンディマ長老

 

https://www.youtube.com/watch?v=pARa7Eh-6Gk
How to Stop Dwelling | A Buddhist Perspective

Facebook: https://www.facebook.com/sukhihotu.intl


少しですが、ライブでの簡単な和訳メモ。
下が始まりです。全体を見る⇒こちら

投稿者 Sukhi Hotu
⑮どんな現象にも批判・非難・判断を入れずに、瞬間瞬間「今にいる」こと。

投稿者 Sukhi Hotu
⑭過去・未来にいないとは、過去・未来を無視することではない。

2021/11/20

わが身にひきあてて

『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)より


Evaṃ piyo puthu attā paresaṃ,

同様に、他の者にとっても自分のことが愛しい


「自分がいちばん愛しい」のは、自分だけではありません。

他人も同じように、自分のことがいちばん愛しいのです。

自分が苦しみたくないように、他人も苦しみたくない。

自分が傷つけられたくないように、他人も傷つけられたくない。

自分が害されたくないように、他人も害されたくない。

このように、わが身にひきあてて、

「他人も自分と同じように感じている」と理解するよう、

ブッダは教えられたのです……。


『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)より



生きとし生けるものが幸せでありますように
Sabbe sattā bhavantu sukhitattā



2021/11/17

存在欲 ほんものの恐怖とは?③-1

ほんものの恐怖とは?②-2 の続き


存在欲


次のポイントは「存在欲」です。

生きるとは、眼耳鼻舌身意で色声香味触法の情報を認識することです。生きるとはそういうシンプルなカラクリなのです。決して大それたことではありません。

眼で感じ、耳で感じ、鼻で感じ、舌で感じ、身体で感じ、意で感じます。この感じることをひっくるめて、私たちは「命」と言っているのです。命とは、ただ感じるだけのことなのです。

この感じるという機能は、ずーっと変化しています。自分の好きなように操縦することはできないのです。

たとえばこのテーブルの上にある花を見て、「花だ」という感覚が起こるかもしれません。では、同じものを「犬だ」と感じてみてください。できますか?