2022/01/25

他と自分の死④-2

死を認識できない「ほんものの恐怖とは?④-1の続き


死を理解できませんが、変化していることなら、ある程度はわかります。

変化の過程を観察するならば、死という概念を理解することができるのです。


ここで問題としているのは、「他人が死んだことがわからない」ということではありません。

自分以外の生命(現象)の死はわかりますが、それにたいする態度は様々です。

親しい生命の死は、なにか間違いが起きたような、あってはならないことがあったような感情を引き起こします。

ゴキブリ、蚊、害虫などの死ならば喜びます。

カツオ、サンマ、ニワトリの死は、当然起こるべきことなのです。

そのような態度なら、他の死を理解しているとは言えません。

2022/01/21

慈しみ


瞑想は心を落ち着かせ清らかにするために必要なものです。

だからといって瞑想だけしていればいいというものではありません。

シンプルなことですが、

親を大切にすること、

周りの人が困っていたら助けてあげること、

自分の意見ばかり主張するのではなく、聴く耳を持つこと……

そういった慈しみを常に持って日々を過ごすことが大切です。

チャンディマ長老

2021/12/8「マインドフルネス:チャンディマ長老と心理学者の対談」より


2022/01/19

死を認識できない④-1

存在欲は妄想「ほんものの恐怖とは?③-5の続き


死を認識できない


皆様の知識をちょっと調べてみてください。

「死」という概念はあるでしょうか?

ダイエットの方法とかウナギの美味しい食べ方とか、そういう知識はあるかもしれません。でも、皆様の知識に「死」はないのです。

感情にも「死」はありません。存在すらしないのです。

例えば私たちは三次元の世界に生きていますが、誰かが
「六次元の世界もある。その世界の花はどのようなものか?」
と尋ねるとしましょう。

2022/01/15

善い言葉とは

自分を苦しめず、また

他人を害しない言葉だけを使うように。

これこそが善い言葉です。

チャンディマ長老法話会「八正道:正語」より


生きとし生けるものが幸せでありますように


2022/01/12

自分より愛しい者を見いだすことはできない

 

自分より愛しい者を見いだすことはできない
Nevajjhagā piyataramattanā kvaci


「だれでも自分のことを愛しく、大切に思っていますよ」

と言うと、否定する方がいらっしゃいます。

「いえいえ、自分のことはどうでもいい」と。

でも、ほんとうにそうでしょうか?

困難な状況にさらされたとき、多くの方はまず自分を優先するのではないでしょうか?

また、悩みたくない、苦しみたくない、瞑想したい、といった気持ちも、自分を大切にし、心を清らかにしたいからではないでしょうか?

偽らず、ごまかさずに心を深く見つめてみると、ブッダがおっしゃった「自分より愛しい者はいない」ということは真実だ、ということが発見できるでしょう。


『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)より

 『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


生きとし生けるものが幸せでありますように
Sabbe sattā bhavantu sukhitattā