2024/10/12

「私」とは誰か?②

 「私」とは誰か?① からの続き


無数の私が争っている        

私たちが生きているということは、瞬間瞬間に「実感」が起きているということです。それは誰にでも明確に理解できると思います。それからさらに、その実感はどういうものか、どのようにしてその実感が現れるのか、実感は本当にずっと変わらないものなのか等と、いろいろ調べていくことができます。やがて頭の中で実感に「私」という主語を入れることが無くなったら、そこから真理の世界に入ることになるのです。

2024/10/06

本能的な3つの思考『正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②』


3つの思考は本能的なもの



「欲」と「怒り」と「害意」は本能的なもので、自然に湧いてくる思考です。

私たちがこころを育てよう、清らかにしようとしないかぎり、抱いている思考なのです。


そこで、ブッダは「本能的な思考から離れて、その反対の思考を育ててください」と教えられました。


 反対の思考とは、

・欲から離れる思考 (nekkhamma saṅkappa)

・怒りのない思考 (abyāpāda saṅkappa)

・害を与えない思考 (avihiṃsā saṅkappa)


の3つです。

これらが「正しい思考(正思惟)」であり、安穏をもたらす思考なのです。



「第2章 欲は、怒りと害意の出発点」より

正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



2024/09/30

「私」とは誰か?①

 

〈私がいる〉という実感

「私とは誰か?」という一般的な質問があります。それは私のことを知りたい、という欲求から起こる問いのようです。一方、仏教では「私という実体はない」と言っています。「ない」と言われても、誰にだって「自分がいるんじゃないか」という実感があるので、仏教は変なことを教えていると訝しがられる結果になるのです。

2024/09/28

ネガティブな思考からの解放 『正思惟〈正しい思考〉欲・怒り・害意の手放し方―八正道② 』

 


人は知らず知らずのうちにネガティブな思考パターンに囚われてしまうものです


怒りや嫉妬、競争心、不安、恐怖、落ち込みといった思考や感情は、自分を苦しめるだけでなく、周りの人にも悪い影響を与えます。


そこで、「正しい思考(正思惟)」を実践していくことで、これらネガティブな思考に気づき、思考を管理できるようになるのです。


「正しい思考(正思惟)」は人生の羅針盤であり、生き方そのものです。


日々、思いやりや慈しみ、施し、理解、智慧に基づいた思考を選択し、実践することによって、思考が清らかになっていくでしょう。


その結果、より安穏で幸福な人生を送り、こころを悩ませている悩みや不満、苦しみは消えていくのです。

 

「おわりに:ネガティブな思考からの解放」より

正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】