2015/06/04
2015/05/31
Patipada6月号
『Patipada』 (パティパダー)
翻訳連載 : 仏教Q&A 『ただ
坐るだけでいいのか?』 (バンテ ・H・グナラタナ著/出村訳)より |
でも、ただ気づいていればいいということでもありません。
自分の行為に100パーセント鋭く気づくことができたとしても、
まったく智慧があらわれない場合もあるのです。
たとえば、野生のネコやトラは獲物を捕らえようとするとき、
獲物にたいして全注意を向けています。
でも、智慧はあらわれません。なぜでしょうか?
野生の動物が獲物を狙って鋭く注意を向けているとき、
そこにあるのは、ただの注意――
いわゆる、不善の注意だからです。
ヴィパッサナーを実践するときには、
気づきを働かせ、
対象にたいして100パーセント注意を注ぎます。
その気づきには、欲も、怒りも、無知も入っていません。
心は明晰になります……
このようにして、心の諸現象を観察する能力が育つのです。
2015/05/23
Happy wesakday
Seeking but not finding the housebuilder,
I have traveled through the round of countless births.
How painful is birth over and over again.
Oh housebuilder! You have now been caught!
You shall not build a house again.
Your rafters have been broken. Your ridgepole demolished.
The unconditioned consciousness has been attained
and every kind of craving has been destroyed.
-Dhammapada153,154
※この偈ではridgepole = avijjhā = 無明です。
~ウェーサーカ祭にちなんで
I have traveled through the round of countless births.
How painful is birth over and over again.
Oh housebuilder! You have now been caught!
You shall not build a house again.
Your rafters have been broken. Your ridgepole demolished.
The unconditioned consciousness has been attained
and every kind of craving has been destroyed.
-Dhammapada153,154
※この偈ではridgepole = avijjhā = 無明です。
~ウェーサーカ祭にちなんで
2015/05/19
ご案内
以前、大変お世話になりました学習院大学国際研究の先生より、「彬子女王殿下による一般向け講演会」のご案内をいただきましたので、こちらでもご紹介させていただきます。
講演者: 彬子女王殿下
(学習院大学国際研究教育機構客員研究員)
演 題: 「オックスフォードに学んで」
日 時: 2015年5月23日(土)13:00~
会 場: 学習院大学目白キャンパス 南3号館201教室
彬子女王殿下は、学習院大学史学科をご卒業後、イギリスのオックスフォード大学で修士号、博士号を取得され、さらに日英美術交流史を学ばれました。
現在は、海外でご専門の日本美術史、美術交流史をご発表なさるかたわら、日本文化への造詣も深められ、日本文化を体験させる活動もなさっています。
国際社会で日本人として活躍を考えられている方には、ぜひ参考になる講演会とのことです。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
リーフレット
講演者: 彬子女王殿下
(学習院大学国際研究教育機構客員研究員)
演 題: 「オックスフォードに学んで」
日 時: 2015年5月23日(土)13:00~
会 場: 学習院大学目白キャンパス 南3号館201教室
彬子女王殿下は、学習院大学史学科をご卒業後、イギリスのオックスフォード大学で修士号、博士号を取得され、さらに日英美術交流史を学ばれました。
現在は、海外でご専門の日本美術史、美術交流史をご発表なさるかたわら、日本文化への造詣も深められ、日本文化を体験させる活動もなさっています。
国際社会で日本人として活躍を考えられている方には、ぜひ参考になる講演会とのことです。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
リーフレット
2015/05/03
お知らせ
2015/04/26
2015/04/20
2015/03/30
慈しみ
慈しみを実践すると、
習慣になっている
悪い思考パターンが
弱まっていき、
善い思考パターンが
強くなります。
こころは穏やかになり、
満たされ、
リラックスします。
それで、
こころが 「集中」 するのです。
『マインドフルネスを越えてー集中と気づきの正しい実践』
悪い思考パターンが
弱まっていき、
善い思考パターンが
強くなります。
こころは穏やかになり、
満たされ、
リラックスします。
それで、
こころが 「集中」 するのです。
『マインドフルネスを越えてー集中と気づきの正しい実践』
2015/03/26
Patipada誌4月号
『Patipada』(パティパダー)
日本テーラワーダ仏教協会刊 2015年4月号 vol.21 〔通巻 no.242〕 連載 『感 覚』 より |
このとき静かに座り、
目を閉じて、
心配することも、
不安になることもなく、
その痛みだけに
ただ気づきながら観察します。
しばらくすると、
痛みが小さくなっていることに
気づくでしょう。
反対に、心配するなら、
痛みにたいして、
緊張やプレッシャーを加えていることになりますから、
結果として、痛みを悪化させてしまうかもしれません。
痛みというひとつの感覚だけでなく、
さらにもうひとつの感覚
――心配――
を加えたからです。
『Patipada』(パティパダー) 4月号、連載 『感覚』より
バンテ・H・グナラタナ著
出村佳子訳
2015/03/22
2015/02/05
お詫びと訂正
お詫びと訂正です。
月刊機関誌 『Patipadā』 (パティパダー)
2015年 2月号 連載/翻訳記事の
『感覚』 (バンテ・グナラタナ著/出村佳子訳)
39ページ、下段 3~4行目
におきまして、誤りがございました。
『 対象 (色・受・想・行・識) 』 とありますが、
ただしくは
『 対象 (色・声・香・味・触・法) 』 です。
深くお詫び申し上げますとともに、訂正させていただきます。
月刊機関誌 『Patipadā』 (パティパダー)
2015年 2月号 連載/翻訳記事の
『感覚』 (バンテ・グナラタナ著/出村佳子訳)
39ページ、下段 3~4行目
におきまして、誤りがございました。
『 対象 (色・受・想・行・識) 』 とありますが、
ただしくは
『 対象 (色・声・香・味・触・法) 』 です。
深くお詫び申し上げますとともに、訂正させていただきます。
2015/01/29
2015/01/20
なぜ献血をするのか?
Rudhira Dāna(ルディラ・ダーナ)
仏教では、「徳」(Punna)という言葉がよく使われます。行為には、善行為と悪行為の2つがあります。簡単にいうと、業(Kamma)です。お釈迦様は「人は業によって幸福か不幸になる」と教えています。
善行為を行うことを、「徳を積む」といいます。この「徳を積む」方法は3つあります。
・Dāna―布施をする
・Sila―戒を守る
・Bhāvanāー瞑想をする(心を育てる)
です。(AN:Tikanipata)
献血をすることは、布施(Dāna)であり、自分の血のお布施することになります。
お布施には、3種類あります。
まず、自分の物を他人のために差し上げることです。
他人のために自分が持っている食べ物や着る物、お金などをお布施するのです。これは3番目のお布施で「ダーナ・パーラミター(布施波羅蜜)」といいます。
2番目は、他人のために自分の身体の部分をお布施することです。これを「ダーナ・ウパ・パーラミター」といいます。
最も高いお布施は、他人のために自分の命を差し上げることです。これを「ダーナ・パラマッタ・パーラミター」といいます。
献血は、2番目の「ダーナ・ウパ・パーラミター」を実践することになります。
仏道を歩む人は、徳を積みながら仏道を実践すべきです。「病気で苦しんでいる人々の苦しみがなくなりますように」と願って、自分の血をお布施することは素晴らしい行為です。
本当の幸せとは、心の喜びのことです。
自分にも他人にも役立つことをして喜ぶことができれば、それこそが最高の幸せなのです。
スダンマ長老法話
(文責:出村佳子)
生きとし生けるものが幸せでありますように。
Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā
2015/01/17
2015/01/11
生まれたもの…
2015/01/03
姿 勢
なぜ姿勢に気づく必要があるのか?
歩いているときは 歩いているし、 座っているときは 座っている。 横になっているときは 横になっている。 自分の姿勢くらい知っている。座る・立つ・歩く・横になる姿勢に 気づくことで、 何か特別な智慧が得られるのか、と思うかもしれません。
姿勢に注意すると、身体の動きが絶えまなく変化していることがわかるでしょう。
動かずに、じっとしているように見えても、変化しているのです。
心臓は鼓動していますし、身体からは熱が出ています。肺は拡がったり縮んだりしています。このように、身体は無常なのです。
また、身体の外側の動きに関しては、一部コントロールすることができますが、内側の微細な動きに関してはコントロールすることができない、ということに気づくでしょう。
コントロールできないため、心はいらだちます。
このことを理解することによって、「身体の動きの本質は 苦であり、無我である」と見る智慧が育つのです。
8マインドフル・ステップス
バンテ・グナラタナ著
2014/12/29
よいお年を
本年もいろいろありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
来る年が皆様にとって
幸せな年になりますように。
よいお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
来る年が皆様にとって
幸せな年になりますように。
よいお年をお迎えください。
生きとし生けるものが幸せでありますように
2014/12/01
維持する
たとえいま
心が穏やかで、清らかで、
洗練されていても、
(なにもしなければ)
そのうち堕落することも
事実です。
だからこそ、
いちど善い心を育てたなら、
それを維持し、
実践しつづけることが
大切なのです。
苦しみを
根本から取り除くためには、
善い心を育てることが欠かせません。
さらに、
その善い心を維持することによって、
一時的な安心感や喜びではない、
長つづきする幸せが
得られるのです。
清らかな善い心は、
無常を見る「智慧」を育てるための
基盤になります。
この「智慧」によって、
欲と無知を
根こそぎ断つことができるのです。
8マインドフル・ステップス
2014/11/21
心を注意深く調べてみると
なぜ、自分にたいして「思いやり」を
実践しなければならないのか、
と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
「自分を思いやることは
わがままではないか」
「自分のことはどうでもいい。
真の精神修行とは、
他者を思いやることだ」
と言うのです。
これは一見すばらしいことのように聞こえますが、
自分を騙している可能性もあります。
自分の心を注意深く調べてみてください。
そうすれば、
「世界中で 自分よりも愛しい者は ほかにいない」
ということがわかるでしょう。
自分に思いやりを向けることは、悪いことではありません。
実際、それは 「他者を思いやる実践」の土台になるのです。
ブッダはこのようにおっしゃいました。
心で 全世界を捜してみても、
自分より愛しい者は どこにも見いだせない。
そのように、他者にとっても自分は
このうえなく 愛おしい。
ゆえに、自分を愛する者は、
他者を傷つけないように。
(ウダーナ5、1)
バンテ・H・グナラタナ著
実践しなければならないのか、
と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
「自分を思いやることは
わがままではないか」
「自分のことはどうでもいい。
真の精神修行とは、
他者を思いやることだ」
と言うのです。
これは一見すばらしいことのように聞こえますが、
自分を騙している可能性もあります。
自分の心を注意深く調べてみてください。
そうすれば、
「世界中で 自分よりも愛しい者は ほかにいない」
ということがわかるでしょう。
自分に思いやりを向けることは、悪いことではありません。
実際、それは 「他者を思いやる実践」の土台になるのです。
ブッダはこのようにおっしゃいました。
心で 全世界を捜してみても、
自分より愛しい者は どこにも見いだせない。
そのように、他者にとっても自分は
このうえなく 愛おしい。
ゆえに、自分を愛する者は、
他者を傷つけないように。
(ウダーナ5、1)
バンテ・H・グナラタナ著