"About suffering they were never wrong,
The Old Masters: how well they understood
Its human position; How it takes place
While someone else is eating or
opening a window or just walking dully along......"
-W. H. Auden
苦について、
過去の偉人たちは 間違っていなかった。
その意味を よく理解していた。
苦は、食べているときも、
窓を開けているときも、
ぼんやり歩いているときも、
起こるのものだと......
***
苦は普遍的な感覚...
ふと目にとまった詩を 訳してみた。
2015/06/23
2015/06/16
2015/06/15
2015/06/04
2015/05/31
Patipada6月号
『Patipada』 (パティパダー)
翻訳連載 : 仏教Q&A 『ただ
坐るだけでいいのか?』 (バンテ ・H・グナラタナ著/出村訳)より |
でも、ただ気づいていればいいということでもありません。
自分の行為に100パーセント鋭く気づくことができたとしても、
まったく智慧があらわれない場合もあるのです。
たとえば、野生のネコやトラは獲物を捕らえようとするとき、
獲物にたいして全注意を向けています。
でも、智慧はあらわれません。なぜでしょうか?
野生の動物が獲物を狙って鋭く注意を向けているとき、
そこにあるのは、ただの注意――
いわゆる、不善の注意だからです。
ヴィパッサナーを実践するときには、
気づきを働かせ、
対象にたいして100パーセント注意を注ぎます。
その気づきには、欲も、怒りも、無知も入っていません。
心は明晰になります……
このようにして、心の諸現象を観察する能力が育つのです。
2015/05/23
Happy wesakday
Seeking but not finding the housebuilder,
I have traveled through the round of countless births.
How painful is birth over and over again.
Oh housebuilder! You have now been caught!
You shall not build a house again.
Your rafters have been broken. Your ridgepole demolished.
The unconditioned consciousness has been attained
and every kind of craving has been destroyed.
-Dhammapada153,154
※この偈ではridgepole = avijjhā = 無明です。
~ウェーサーカ祭にちなんで
I have traveled through the round of countless births.
How painful is birth over and over again.
Oh housebuilder! You have now been caught!
You shall not build a house again.
Your rafters have been broken. Your ridgepole demolished.
The unconditioned consciousness has been attained
and every kind of craving has been destroyed.
-Dhammapada153,154
※この偈ではridgepole = avijjhā = 無明です。
~ウェーサーカ祭にちなんで
2015/05/19
ご案内
以前、大変お世話になりました学習院大学国際研究の先生より、「彬子女王殿下による一般向け講演会」のご案内をいただきましたので、こちらでもご紹介させていただきます。
講演者: 彬子女王殿下
(学習院大学国際研究教育機構客員研究員)
演 題: 「オックスフォードに学んで」
日 時: 2015年5月23日(土)13:00~
会 場: 学習院大学目白キャンパス 南3号館201教室
彬子女王殿下は、学習院大学史学科をご卒業後、イギリスのオックスフォード大学で修士号、博士号を取得され、さらに日英美術交流史を学ばれました。
現在は、海外でご専門の日本美術史、美術交流史をご発表なさるかたわら、日本文化への造詣も深められ、日本文化を体験させる活動もなさっています。
国際社会で日本人として活躍を考えられている方には、ぜひ参考になる講演会とのことです。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
リーフレット
講演者: 彬子女王殿下
(学習院大学国際研究教育機構客員研究員)
演 題: 「オックスフォードに学んで」
日 時: 2015年5月23日(土)13:00~
会 場: 学習院大学目白キャンパス 南3号館201教室
彬子女王殿下は、学習院大学史学科をご卒業後、イギリスのオックスフォード大学で修士号、博士号を取得され、さらに日英美術交流史を学ばれました。
現在は、海外でご専門の日本美術史、美術交流史をご発表なさるかたわら、日本文化への造詣も深められ、日本文化を体験させる活動もなさっています。
国際社会で日本人として活躍を考えられている方には、ぜひ参考になる講演会とのことです。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
リーフレット
2015/05/03
お知らせ
2015/04/26
2015/04/20
2015/03/30
慈しみ
慈しみを実践すると、
習慣になっている
悪い思考パターンが
弱まっていき、
善い思考パターンが
強くなります。
こころは穏やかになり、
満たされ、
リラックスします。
それで、
こころが 「集中」 するのです。
『マインドフルネスを越えてー集中と気づきの正しい実践』
悪い思考パターンが
弱まっていき、
善い思考パターンが
強くなります。
こころは穏やかになり、
満たされ、
リラックスします。
それで、
こころが 「集中」 するのです。
『マインドフルネスを越えてー集中と気づきの正しい実践』
2015/03/26
Patipada誌4月号
『Patipada』(パティパダー)
日本テーラワーダ仏教協会刊 2015年4月号 vol.21 〔通巻 no.242〕 連載 『感 覚』 より |
このとき静かに座り、
目を閉じて、
心配することも、
不安になることもなく、
その痛みだけに
ただ気づきながら観察します。
しばらくすると、
痛みが小さくなっていることに
気づくでしょう。
反対に、心配するなら、
痛みにたいして、
緊張やプレッシャーを加えていることになりますから、
結果として、痛みを悪化させてしまうかもしれません。
痛みというひとつの感覚だけでなく、
さらにもうひとつの感覚
――心配――
を加えたからです。
『Patipada』(パティパダー) 4月号、連載 『感覚』より
バンテ・H・グナラタナ著
出村佳子訳
2015/03/22
2015/02/05
お詫びと訂正
お詫びと訂正です。
月刊機関誌 『Patipadā』 (パティパダー)
2015年 2月号 連載/翻訳記事の
『感覚』 (バンテ・グナラタナ著/出村佳子訳)
39ページ、下段 3~4行目
におきまして、誤りがございました。
『 対象 (色・受・想・行・識) 』 とありますが、
ただしくは
『 対象 (色・声・香・味・触・法) 』 です。
深くお詫び申し上げますとともに、訂正させていただきます。
月刊機関誌 『Patipadā』 (パティパダー)
2015年 2月号 連載/翻訳記事の
『感覚』 (バンテ・グナラタナ著/出村佳子訳)
39ページ、下段 3~4行目
におきまして、誤りがございました。
『 対象 (色・受・想・行・識) 』 とありますが、
ただしくは
『 対象 (色・声・香・味・触・法) 』 です。
深くお詫び申し上げますとともに、訂正させていただきます。
2015/01/29
2015/01/20
なぜ献血をするのか?
Rudhira Dāna(ルディラ・ダーナ)
仏教では、「徳」(Punna)という言葉がよく使われます。行為には、善行為と悪行為の2つがあります。簡単にいうと、業(Kamma)です。お釈迦様は「人は業によって幸福か不幸になる」と教えています。
善行為を行うことを、「徳を積む」といいます。この「徳を積む」方法は3つあります。
・Dāna―布施をする
・Sila―戒を守る
・Bhāvanāー瞑想をする(心を育てる)
です。(AN:Tikanipata)
献血をすることは、布施(Dāna)であり、自分の血のお布施することになります。
お布施には、3種類あります。
まず、自分の物を他人のために差し上げることです。
他人のために自分が持っている食べ物や着る物、お金などをお布施するのです。これは3番目のお布施で「ダーナ・パーラミター(布施波羅蜜)」といいます。
2番目は、他人のために自分の身体の部分をお布施することです。これを「ダーナ・ウパ・パーラミター」といいます。
最も高いお布施は、他人のために自分の命を差し上げることです。これを「ダーナ・パラマッタ・パーラミター」といいます。
献血は、2番目の「ダーナ・ウパ・パーラミター」を実践することになります。
仏道を歩む人は、徳を積みながら仏道を実践すべきです。「病気で苦しんでいる人々の苦しみがなくなりますように」と願って、自分の血をお布施することは素晴らしい行為です。
本当の幸せとは、心の喜びのことです。
自分にも他人にも役立つことをして喜ぶことができれば、それこそが最高の幸せなのです。
スダンマ長老法話
(文責:出村佳子)
生きとし生けるものが幸せでありますように。
Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā
2015/01/17
2015/01/11
生まれたもの…
2015/01/03
姿 勢
なぜ姿勢に気づく必要があるのか?
歩いているときは 歩いているし、 座っているときは 座っている。 横になっているときは 横になっている。 自分の姿勢くらい知っている。座る・立つ・歩く・横になる姿勢に 気づくことで、 何か特別な智慧が得られるのか、と思うかもしれません。
姿勢に注意すると、身体の動きが絶えまなく変化していることがわかるでしょう。
動かずに、じっとしているように見えても、変化しているのです。
心臓は鼓動していますし、身体からは熱が出ています。肺は拡がったり縮んだりしています。このように、身体は無常なのです。
また、身体の外側の動きに関しては、一部コントロールすることができますが、内側の微細な動きに関してはコントロールすることができない、ということに気づくでしょう。
コントロールできないため、心はいらだちます。
このことを理解することによって、「身体の動きの本質は 苦であり、無我である」と見る智慧が育つのです。