苦しみをなくすためには、戒律(sīla)とサマディ(samādhi)と智慧(paññā)を育てなければなりません。育てるためには、実践しなければなりません。だれが実践するのでしょうか?
「私」です。「私」をとおして、みずから実践し、精進しなければならないのです。
だからといって、そこに変化しない固定した「私」が存在するわけではありません……。
苦しみをなくすためには、戒律(sīla)とサマディ(samādhi)と智慧(paññā)を育てなければなりません。育てるためには、実践しなければなりません。だれが実践するのでしょうか?
「私」です。「私」をとおして、みずから実践し、精進しなければならないのです。
だからといって、そこに変化しない固定した「私」が存在するわけではありません……。
人はみな、ひとりひとり違っています。
ですから他人と比べても、あまり意味がありません。
比べるよりも、自分の長所や得意なこと、社会の役に立てることを見つけて、それを活かしていきましょう。
そうすれば、何かしら幸福を感じ、慈しみが育っていくでしょう。
自分への慈しみは、他者を慈しむ基盤になります。そこが欠けていると、土台が脆くて不安定ですから、ちょっとしたことで崩れてしまい、結局、疲れ果ててしまう可能性があるのです。
したがって、まず自分をいたわり、自分を慈しむことから始めましょう。
自分を慈しめば慈しむほど、土台が安定し、心が落ち着いていきます。リラックスし、他の生命にも、自ずとやさしくできるようになるでしょう。
同様に、他の者にとっても自分のことが愛しい
「自分がいちばん愛しい」のは、自分だけではありません。他の人も同じように、自分のことがいちばん愛しいのです。
私が自分がかわいいように、他の人にとっても自分がかわいい。
私が傷つけられたくないように、他の人も傷つけられたくない。
私が苦しみたくないように、他の人も苦しみたくない。
このように、わが身にひきあてて、「他人も自分と同じように感じている」と理解するよう、ブッダは教えられたのです……。
自分より愛しい者を見いだすことはできない
Nevajjhagā piyataramattanā kvaci
「だれでも自分のことを愛しく、大切に思っていますよ」と言うと、否定する方がいらっしゃいます。
「いえいえ、自分のことはどうでもいい。自分より子どものほうが大切ですよ」とか、「自分より妻/夫を大切にしています」、「いちばん愛しているのは彼/彼女ですよ」などと。
このように、自分よりも家族や親しい人、他の人を愛している、と言われる方がけっこういます。
でも、ほんとうにそうでしょうか?
困難な状況にさらされたとき、多くの方はまず自分を優先するのではないでしょうか?
悩みたくない、苦しみたくない、瞑想したい、といった気持ちも、自分を大切にし、心を向上させたいからではないでしょうか?
偽らず、ごまかさずに心を深く見つめてみると、ブッダがおっしゃった「自分より愛しい者はいない」ということは真実だ、ということが発見できるでしょう。
『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)より
「心でどこを探してみても、 自分より愛しい者を見いだすことはできない。それと同じく、他の者にとっても、自分のことが愛しい。ゆえに、自己を愛する者は、他の者を害さないように」
・マリッカー経
・愛しい者はだれか?
・自己を愛する者は、他者を害さない
1.自己愛を否定しない
2.視点を転じて、他人に想いを向ける
3.自己を想う「自己愛」から、他者を想う「他者への慈しみ」へ
・人間関係の黄金律(ゴールデン・ルール)
・自分を思いやる
・怒りではなく、やさしさを選択する
・比べない
・心を前向きに
・定期的に瞑想する
・わが身にひきあてて
・「私(attā)」を使って心を育てる
・だれが実践するのか?
・輪廻の苦しみを感じてみる
・なんとかしなければ!
・なぜ、「無我」なのか?
・「我」からスタートして、「無我」へ
・心を育てる3つの詩句
気づいたときから実践をスタート
自分を守ってくれるもの
自分の目的をあきらめない
・自分をいたわり、他者をいたわる
・心の改革へ
■著者紹介
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila
プロフィールと書籍はこちら(画像クリック)でご覧いただけます。
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