2012/03/17

智慧と善行為(4)


生命のネットワーク


「生きる」ということは「行為をする」ということです。そして、その諸々の行為は互いにネットワークをつくって働かなくてはなりません。行為というものは、いつでもそのように働いているのです。

私たち一人一人は、社会ではたいしたことをやっていません。会社で仕事をしていても、一人一人は本当につまらないちっぽけなことしかやっていないのです。

でも、全体的に見ると、社員が互いに調和して仕事をすることによって、会社という大きなシステムができあがっているのです。

たとえば航空会社は大規模な会社ですが、一人一人を見ますと、それぞれはほんの小さな仕事しかやっていません。機内の乗務員さんたちがやっていることは何かというと、ドアを開けたり閉めたりするとか、アナウンスをするとか、飲み物や食べ物を配るとか、お客さんがシートベルトを締めているかチェックするとか、その程度のことです。ものすごくつまらない仕事でしょう。でも、その仕事がないと全体が壊れてしまうのです。

もし乗務員さんがいなかったら、お客さんは勝手に座って足をあげたり、俺は恐くないからシートベルトはしないぞと言って立ち歩いたり――。そんな勝手なことをすると、大変危険です。ですから乗務員さんはとても大切な仕事をしているのです。

それから飛行機から全員降りたところで、今度は清掃員さんたちが乗ってきます。サッと掃除をして機内をきれいにし、忘れ物でもあったら所定のところに届けます。
 これもつまらない仕事ですが、全体的に見ますと、なくてはならない仕事なのです。

同様に、私たちの身体の内部でも一個一個の臓器が働いていますが、それぞれはたいした仕事はやっていません。でも全体的なネットワークになりますと、それぞれが欠かせない仕事をしているのです。

たとえば心臓は収縮と拡張の動きをただ単調にくり返すだけのポンプの働きで、本当につまらない仕事しかしていません。でも全体的に見ますと、全身に血液を送りこむという命に直接係わる大変重大な仕事をしているのです。

そういうことで、つまらないことだと思われる行為でも、システム全体からみると欠かせない役割を果たしていることがわかります。

それで、会社であれ、社会全体であれ、この一個の身体であれ、一つ一つの行為が全体的なシステムを支えているということが理解できます。

個人の人生のみならず、社会全体が調和して平和に繁栄しつつ生き続けるためには、私たちは自分に与えられている小さくてつまらない行為を大事に行わなくてはいけないのです。

善行為とはこのようなものだと理解してください。

会社でつまらない仕事を割り当てられても、なんでこんなくだらない仕事をやらなくちゃいけないのかと考えて仕事をさぼったり、腹を立てたり、いい加減にやったりすると、それは明らかに悪行為になります。 家庭でも同じことが言えます。

社会全体の調和と繁栄を壊す行為は、当然、悪行為なのです。

人生は善行為をするか悪行為をするかということで成り立っています。「善行為をすべき」ということは、いうまでもありません。

善行為をすると、人生はうまくいきますし、他との調和もきちんと保たれるのです。 

 (続きます)

 
 根本仏教講義「智慧と善行為④」
スマナサーラ長老法話