2018/10/23

智慧と善行為⑤

2018年10月23日更新、2012年6月24日作成

善悪の行為は意志で決まる



生きるとは、行為をすることです。
行為は、どんな行為であれ、意志(心)がないと起こりません。

「食べたい」という意志がなければ、食べる行為はありません。

呼吸をするときも、ずっと意志が生まれ続けています。息を吐き終わった瞬間に息を吸っていますが、そこにも意志が働いています。すべての行為は意志でおこなっているのです。






生きるとは、行為をすることです。
そして行為はすべて、意志から生まれます。「立ちたい」という意志がなければ立ちませんし、「話したい」という意志がなければ話しませんし、「歩きたい」という意志がなければ歩きません。

それから、意識的にわかる意志もありますし、わからない意志もあります。呼吸の場合は明確で、意識して呼吸をすることもできますし、意識しなくても呼吸はしています。

意識する・しないかにかかわらず、意志はいつでも働いているのです。

心臓も同じです。意志が働かないと、心臓は動きません。
でも私たちがいちいち意識して「はい膨らみましょう」「次は縮みましょう」などと考えていると生きていられませんから、そこはオートモードになっています。意識的にわからないだけで、本当は意志が管理しているのです。

たとえば、何か怖いことが起こると心臓はどうなるでしょうか? 

ドクンドクンとするでしょう。意志が管理しているからです。

すべての細胞の動きは、意志がやっています。また、その行為は心と身体に影響を与えます。

心と身体に善い影響を与えたいと思うならば、当然、善い意志で善い行為をしなくてはいけないのです。

しかし、生命はもともと心が汚れていますから、自然に悪い意志を起こして、悪い結果をだす行為を簡単にしています。


一般的に、「善行為に善果・悪行為に悪果」と言われていますが、お釈迦様は、「善い意志でおこなう行為には善い結果。悪い意志でおこなう行為には悪い結果」がおっしゃっています。

行為そのものよりも、「意志」に注意したほうがよいのです。

たとえば、義捐金として、ホームレスの人が1000円寄付し、大企業の社長が10,000,000万円を寄付したとしましょう。どちらの善行為が、より価値の高いものになるのでしょうか?

この判断は、「善行為をしたい」という意志によって決めなくてはいけないのです。

ホームレスの人の1000円は、もしかするとその人の全財産かもしれません。ごはんも食べられなくなるかもしれません。ですから、寄附行為をするときは、強い意志が必要だと言えるのです。

大企業の社長の場合は、全財産ではないのです。家計が苦しくなることも、飛行機に乗るお金がなくなることもないでしょう。ですから、それほど強い意志が必要ありません。

金額は1000円かもしれませんが、「全財産」をあげたホームレスの人のほうが善行為の価値が高くなるのです。

行為の結果は表面的なかたちではなく、内面的な意志によって決められるのです。

したがって、派手な行為が善い行為というわけではありません。どのくらい財産を持っているか、どのくらい派手なことをしたか、そのようなもので徳の大きさが決まるのではありません。自分の意志で決まるのです。
 (続きます)


 根本仏教講義「智慧と善行為⑤」