瞑想は心を落ち着かせ清らかにするために必要なものです。
だからといって瞑想だけしていればいいというものではありません。
シンプルなことですが、
親を大切にすること、
周りの人が困っていたら助けてあげること、
自分の意見ばかり主張するのではなく、聴く耳を持つこと……
そういった慈しみを常に持って日々を過ごすことが大切です。
チャンディマ長老
2021/12/8「マインドフルネス:チャンディマ長老と心理学者の対談」より
瞑想は心を落ち着かせ清らかにするために必要なものです。
だからといって瞑想だけしていればいいというものではありません。
シンプルなことですが、
親を大切にすること、
周りの人が困っていたら助けてあげること、
自分の意見ばかり主張するのではなく、聴く耳を持つこと……
そういった慈しみを常に持って日々を過ごすことが大切です。
チャンディマ長老
2021/12/8「マインドフルネス:チャンディマ長老と心理学者の対談」より
皆様の知識をちょっと調べてみてください。
「死」という概念はあるでしょうか?
ダイエットの方法とかウナギの美味しい食べ方とか、そういう知識はあるかもしれません。でも、皆様の知識に「死」はないのです。
感情にも「死」はありません。存在すらしないのです。
例えば私たちは三次元の世界に生きていますが、誰かが
「六次元の世界もある。その世界の花はどのようなものか?」
と尋ねるとしましょう。
自分より愛しい者を見いだすことはできない
Nevajjhagā piyataramattanā kvaci
「だれでも自分のことを愛しく、大切に思っていますよ」
と言うと、否定する方がいらっしゃいます。
「いえいえ、自分のことはどうでもいい」と。
でも、ほんとうにそうでしょうか?
困難な状況にさらされたとき、多くの方はまず自分を優先するのではないでしょうか?
また、悩みたくない、苦しみたくない、瞑想したい、といった気持ちも、自分を大切にし、心を清らかにしたいからではないでしょうか?
偽らず、ごまかさずに心を深く見つめてみると、ブッダがおっしゃった「自分より愛しい者はいない」ということは真実だ、ということが発見できるでしょう。
『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)より
私たちはつい、「バラの花が好きだ。だから近くに置いておきたい」と考えてしまいます。
実際に起きている現象に即して、「以前、どこかでバラの花を見たときによい感覚が生まれた。それだけのことだ。自分の身体が、いつでもそのよい感覚を作ってくれる保証はないのだ」とわかったら、バラの花への愛着は生まれません。
理性を用いて、そのように落ち着くことができればよいのですが、私たちは「愛着し続けるために、生きていなくてはいけない」とまた壮大な勘違いをして、「存在欲」という巨大な愛着を作り出すのです。
私たちがどんな妄想をしようとも、一切の現象は無常で変化しています。
誰でも持っている「生きていきたい」という存在欲は、現実を無視した妄想の産物に過ぎません。現実ではないのです。
あけましておめでとうございます。
2022年が皆さまにとって幸せな年になりますように。
健康で安穏でありますように。
悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように
https://patisota.blogspot.com/2021/12/what-are-you-looking-forward-to-in-2022-patisota.html
修正しました(↓)
「マインドフルネス:チャンディマ長老とオーストラリアの心理学者による対談」ライブ法話の簡単な通訳メモ
➤https://sukhi-hotu.blogspot.com/2021/12/mindfulness-compassion.html
生きとし生けるものが幸せでありますように
Sabbe sattā bhavantu sukhitatthā
チャンディマ長老 法話「Vulnerability(弱さ)の力」
The Power of Vulnerability | Bhante Dr. Gangodawila Chandima
2021年12月28日午前10時~(日本時間)
Sukhi Hotu(翻訳)
◎Vulnerabilityとは一般的に、脆弱、弱い、傷つきやすい、欠けているという意味で使われる。
社会の中では弱いがために強者の犠牲にならないよう気を付けなければならない。
◎Vulnerabilityには、社会的弱さ、認知的弱さ(偏見など)、環境的弱さ(気候)、感情的弱さ……などがある。マイナスの意味で使われることが多いが、別の意味もある。
◎仏教におけるVulnerabilityとは?
◎私たちは関係性の中で生きている。ひとりで生きていくことはできない。慈しみや思いやりの気持ちがなくてはならない。慈悲の実践をするとき、すべての人にたいして慈悲を送るとき、善いつながりの感覚を創造している。
◎生きとし生けるものにたいして慈しみを向けるとき、対象が誰かは知らないし、会ったこともない。そのため違和感を覚えるかもしれない。でも、そうした人にたいして慈悲を向けることによって、つながりの感覚が育まれる。
◎たとえば他者の幸せや成功を喜ぶとき(ムディター)、他者とのつながりを心で創り出し、育てている。会ったこともない人にたいしてムディターを抱くことはむずかしいこともかもしれないが、これは心を広く育ててくれる。
◎慈・悲・喜・捨のどれをとっても、善い人格を育てることができる。
◎これが涅槃へとつながる「原因」を作る。
◎仏法僧を尊敬すること、自分の心のエゴを認めて、三宝を理解し、謙虚に仏法僧に帰依すること、仏法を実践すること、これは一種のvulnerabilityであるが、ポジティブな意味。
◎Vulnerabilityは弱さであるが、これが自分の心の成長や強さにもつながる。
◎恐れは悪い恐れだけではなく、善い恐れもある(悪いことをするのが怖い、輪廻が怖いなど)。謙虚に善い恐れを受け入れることは、心を成長させる。
◎自分の心に他者にたいする壁があると、他者と(善い人や賢者とも)つながることができない。
◎心をオープンにして、新しいことを受け入れようとする心が必要。同時に慈悲も必要。慈悲によって「善」とつながることができる。
◎いやな人、苦手な人にも、考え方を変えることによって、慈悲を向けることができるようになる。
◎すべての生命は生老病死という身体的な弱さを抱えている。ブッダはすべての生命にそなわっている生老病死の弱さを発見し、そこから抜け出す方法を発見した。
◎弱さを退けるのではなく、そこから学び、理解することが大事。
◎人は弱いもの。だからこそブッダは「善い人とつきあいなさい。悪い人とつきあわないでください」と説いた。
◎悪い人に騙されないよう、悪いことに引っ張られないよう、心を守る理性が必要。
◎善にたいしては謙虚になる。善とは慈悲喜捨、道徳、瞑想など。毎日5分でも1分でも瞑想することは、自分の心を清らかにしてくれる。
◎涅槃に達するのに必要なことは、無常・苦・無我を理解すること。
◎すべては変化するがゆえに、心に不満が生まれる。またそこに「変わらない私」は存在しない。これを理解するためにも謙虚さが必要。
◎真理を知るためには謙虚さが欠かせない。傲慢な心で真理を理解することはむずかしい。
2022年が皆さまにとって善い年になりますように🙏
生きとし生けるものが幸せでありますように🙏
チャンディマ長老 法話「Vulnerability(弱さ)の力」
The Power of Vulnerability | Bhante Dr. Gangodawila Chandima
「眼でいい感覚を感じたい、耳でいい感覚を感じたい、鼻でいい感覚を感じたい、舌でいい感覚を感じたい、身体でいい感覚を感じたい、思考でいい感覚を感じたい」という無理な希望を、さらに誇大妄想的な希望へと膨らませるのです。
この妄想を、心が「生きていきたい」と解釈するのです。