2019/02/23

「慢」とは何か?

「慢」とのつきあい方①-1

第1章 「慢」とは何か?


今回のテーマは「慢とのつきあい方」です。「慢」は、なかなか消えない煩悩です。慢にはいくつかの種類がありますが、大きく分けると「慢」「卑下慢」「同等慢」の3つになります。パーリ語で「mana」(マーナ)と言います。日本語の意味は、「はかる」ことです。これには「測る、量る、計る」などいくつかの漢字が当てられます。



何を測るのか?



「慢」というのは、自分を測ることです。体重計に乗って身体の重さを量ることではありません。自分の存在を測ることです。

天秤というハカリがありますが、これは物の重さを比較して重さを測定するものです。竿(さお)の中点を支点にして両端に皿をつるし、一方に分銅を、他方に測定するモノを乗せて測ります。

自分の存在を測る場合には、天秤の一方の皿に分銅としての「自分」を乗せ、もう一方の皿には「他人」を乗せます。このとき、誰を乗せるのかは不確定です。たいてい人を乗せます。イヌやネコは乗せないでしょう。他人を乗せて、測るのです。

この自分と他人を測ることを「慢」といいます。自分のエゴや存在感を測ります。私とはいったい何者かと、自分の存在感を他人と比較して測るのです。これが「慢」です。



慢とのつきあい方 スマナサーラ長老 文責:出村佳子




誰と測るのか?


では、誰と測るのでしょうか?
 
「会う人」と測ります。私たちはいつでも「会う人」と「自分」とを測っているのです。だから大変です。きりがなく、終わりがありません。人と会うたびに、ハカリにのせて、「自分はこの程度」と測っているのです。



3つのカテゴリー


次に、測ったものを3つのカテゴリーに入れます。自分の存在を「重い・等しい・軽い」という3つのカテゴリーに測って決めるのです。ここではハカリの例で説明していますから、「重い・等しい・軽い」という言葉を使いますが、自分の存在を測る場合は物質的なハカリは使いませんから、この言葉も使いません。それに合う適切な言葉を使うのです。

たとえば「美しさ」を測る場合は、「自分よりも美しい・自分と同じ・自分よりたいしたことない」などの言葉を使います。

学会やシンポジウムで意見を発表したり討論したりするときには、他人を見て「あの人はどのくらい頭がいいのか」と頭の能力を測ります。このとき別に、ネクタイはどんなメーカーか、服はどんなブランドか、高価か、安いか、といったことは全然気にしません。その人の知識能力はどの程度か、頭がいいか悪いか、ということを測ります。この場合、「自分より頭がいい・自分と同じ・自分よりたいしたことない」の三つのカテゴリーで測るのです。



測る相手は不特定多数


このように、値(あたい)は、大きく分けると3つになります。この値も、けっして一定しているものではありません。
「自分」という一つの品物を一方の皿に乗せ、もう一方の皿には、その都度その都度「不確定多数の人」を乗せるのですから、そのたびに自分の値は変わっていきます。これにはきりがありません。

家族だったらメンバーは決まっていますから、「自分の価値はこの程度」とはっきりしています。「私の価値はこのくらい」とバーコードで貼っているため、測る必要はありません。それで誰でも家族のなかにいると落ち着くのです。

そこで、学校に行くと友だちがたくさんいますから、入学当初は測りっぱなしの状態になります。不安で、緊張します。でも、友だちの数には限りがあるため、一か月や数か月たつと、だいたい自分の値が出てきます。それで落ち着いて、学校が楽しくなるのです。

しかし、いつまでも学校のような狭い環境で生きていられるわけではありません。やがて卒業して社会に出なければなりませんし、社会には不特定多数の人がいるのです。

そういうわけで、私たちはずっと測って、測って、もうくたびれるのです。基準値はありませんし、一定していません。常に揺れています。測るたびに、自分の値が変わるのです。(続きます)



A. スマナサーラ長老 法話
Patipada(パティパダー)根本仏教講義
「慢」とは何か?(慢とのつき合い方①-1)



☆慢とのつき合い方


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2019/02/20

無駄な思考を瞬時に消す方法

2011-07-26 Tue 人生改良計画3 -2


そこで、無駄な思考をするという私たちの性格を直すために、お釈迦様は「慈悲の思考で生きてみなさい」とおっしゃいました。

慈悲の思考で頭が満たされると、無駄な妄想や屁理屈はすべて消えていきます。ですから、たとえ何か嫌なことがあっても、悩んだり落ち込んだりせず、努力して、強引にでも、慈悲の思考をつくってみてください。妄想するのではなく、いろいろ工夫をしながら、慈悲の思考を回転させるのです。

仏教が紹介しているのは、「生きとし生けるものが幸せでありますように」という言葉です。この一行を繰り返し繰り返し心のなかで念じ、慈しみの気持ちで心をいっぱいにするのです。この一行を念じるだけで、頭のなかにある無駄な妄想がサーッと消えてなくなり、頭のなかがきれいになります。これは最もスピーディで効果的な方法です。これによって、今ここで、幸福をつくることができるのです。


『人生改良計画』スマナサーラ長老(文責:出村佳子)


「生きとし生けるものが幸せでありますように」というのは妄想ではありません。事実です。なぜなら、誰でも幸せになりたいのだから。

でも、それを忘れている人がいます。まれですが、幸せになりたくないという人が、たまにいるのです。

しかしその人の話をよく聞いてみると、会社が倒産したとか、大きな失敗をしたとか、夫婦間や親子間で重大なトラブルがあったとか、なにか心に大きな傷を負っています。

それでもそういう人たちに、「そんなに幸せが嫌なら、私は不幸でありますようにと真剣に念じてみてください。不幸になりますように、あらゆる苦しみに遭いますようにと、そういう気持ちで生きてみてください」と言うと、その人は「あれっ」と、自分の矛盾に気づくのです。

ときどきいます。自分は嫌いだとか、お金がなくても気にしませんとか、仕事をやりたくないとか、勉強したくない、と言う人たちが。

でも彼らに、「私が不幸になりますようにと念じて、堂々とそのように生きてみてください」と言うと、「あれっ、おかしい。不幸になるのは嫌だ!」ということに気づくのです。(続きます)
スマナサーラ長老

根本仏教講義『人生改良計画③-2』文責:出村佳子

2019/02/16

脳細胞を元気にする(人生改良計画③-1)

2011-07-26 Tue 人生改良計画3 -1

妄想は時間の無駄


役に立たない思考、実行できない思考、自分を悲しませる思考、落ち込ませる思考、混乱させる思考など、思考にはいくらでもあります。これらをまとめて、妄想といいます。データに支えられていないから妄想というのです。


たとえば「自分はダメな人間だ」と思っている人がいるとしましょう。なぜ「ダメだ」と考えるのでしょうか?
何かをやってそれがうまくいかなかった。それで、私はダメだと考えるからです。

でも、その「ダメ」というのはその人のすべてでしょうか?

何か失敗したといっても、それは長い人生のなかの、ある一つの出来事にすぎません。それに、自分がやることはなんでも成功するのでしょうか? 私たちはいろんなことにチャレンジしますが、実際に成功するのは千分の一、いや一万分の一ぐらいではないでしょうか。

なのに、ある一つの失敗だけを見て、「自分はダメだ」とすべてを否定して悩むのです。ですから、いかにこの思考が屁理屈で非合理的な思考かということがお分かりになるでしょう。

現実的に考えるなら、「これをやりましたが失敗しました。次にこれをやったらまあまあで、これがまたダメで、これはなんとかうまくいきました。でも次はまたダメで……」と、この連続なのです。

たとえば、仕事で大きなミスをしたとしましょう。たいていの人は「大変だ。取り返しのつかないことをやってしまった。やばい、どうしよう」とあれこれ悩んで混乱します。これでは落ち着いて問題に対処することなどできません。大騒ぎして何の役に立つでしょうか。

そこで、論理的にこう考えてみるのです。もしその問題が解決できるものなら、心を落ち着けて、解決できるよう努力すればいいでしょうし、もし解決できないものなら、「この仕事はうまくいかなかった。今はもうどうすることもできません。では、次の仕事にいきます」と瞬時に頭を切り替えて、次の仕事をしっかりやればよいのです。

このように、余計なことを考えずに、自分はダメだと妄想せずに、事実のところできれいにストップするなら、心は混乱しませんし、時間もずいぶん残るのです。思考を極力ケチると、ものすごく時間が残るのです。

「忙しい、時間がない」という人は、なぜ時間がないのかというと、たいてい妄想ばかりして時間を無駄に使っているからです。

たとえば、「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ。毎日、掃除と洗濯と料理だけで一日が終わってしまう」と、不平ばかりこぼしている家庭の奥さんは、なぜそんなに忙しいかというと、四六時中、無駄な妄想をしているからです。そのため、一つのことにあまりにも時間がかかってしまうのです。何も妄想せずに淡々と料理を作るのと、あれこれ妄想しながら作るのとでは、どちらが早いでしょうか? 当然、妄想しない方です。


『人生改良計画』スマナサーラ長老法話(文責:出村佳子)


どんな人でもスピーディに手際よく物事をやりたいでしょう。妄想さえしなければ、ものすごいスピードが生まれてきます。無駄が消え、仕事が早く進むのです。

そこで考えてみましょう。なぜ私たちは無駄なことをするのでしょうか? なぜ失敗するのでしょうか? なぜやり直しになるのでしょうか? なぜ一回できちんとできないのでしょうか?

すべて妄想のせいなのです。たとえば、ある会社に長年勤務している50歳の男性が、会社の改良のため、今まで一度もやったことのない仕事の分野にまわされたとしましょう。そうすると、はじめての仕事ですから、当然、何一つ分かりません。それでも今までの仕事の経験がありますから、たとえ仕事の内容が違っても、少々頑張れば一週間ぐらいで慣れるはずなのです。

しかし、そうはなりません。妄想して、前の仕事に戻りたいとか、こんな歳になってなんで新しい仕事を憶えなくてはいけないのかとか、もとの部署に戻りたいとか、あれこれ妄想します。

ですから一週間で憶えられる仕事が、何か月間もかかるのです。新しい仕事に適応できなければ、会社はいい顔をしません。だんだんお荷物扱いするようになるでしょう。


スピーディーな人


自分には能力がない、仕事ができない、新しいものを身につけることができないなど、いろいろ問題があるのは、自我をつくって妄想しているからです。妄想で、頭がクタクタに疲れているのです。脳細胞が全部使用済みで、もう使えない状態です。それもほとんど役に立たないことばかりに使ってしまったため、能力がないのです。

スピーディーな人は、無駄な思考をしません。それで成功するのです。「今晩のおかず、何にしようか」と一分で考えるのと一時間かけるのと、どちらが有効でしょうか? 

当然、一分で考えるほうです。その余った五十九分の時間で何か役立つことをし、そのようにして毎日を生きているなら、人生が成功しないはずはないでしょう。

すべてのものは無常です。変化するのです。この「あらゆるものはすべて変化する」ということを理解するなら、私たちはいろんなことを身につけることができるでしょう。(続きます)