2023/05/24

『ヴィパッサナー瞑想の教科書:マインドフルネス 気づきの瞑想』新装版で再刊!

   


拙訳書刊行のお知らせです。

ヴィパッサナー瞑想の教科書:マインドフルネス 気づきの瞑想

 バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ【著】 出村佳子【

が徳間書店より、新装版で再刊されます


ヴィパッサナー瞑想の実践入門書として、

米国で出版されて以来、20年以上にわたって読みつがれ、

世界24カ国語に翻訳されているベスト & ロングセラー。


仏教の知識がなくともわかる平易な言葉で、

ヴィパッサナーを実践するために必要な情報を余すところなく伝えるものです。


ジョン・カバット・ジン(マサチューセッツ大学医学部名誉教授)や

ラリー・ローゼンバーグなど多くの瞑想指導者、実践者が絶賛する名著。


『マインドフルネス:気づきの瞑想』(サンガ/絶版)の訳を見直し、

再刊行するものです。


ヴィパッサナー瞑想に興味を持ったら、まずは手にしてほしい一冊です。

(紹介文より)


よろしければ、書店等でお手に取っていただければ幸いです。


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バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ

12歳のときスリランカのマランデニアで出家。1947年、20歳のときキャンディで具足戒を受けて正式な僧侶(比丘)になる。ガンパハのヴィディヤセーカラ・ジュニアカレジ、ケラニアのヴィディヤランカーラ・カレジ、コロンボのブッディスト・ミッショナリー・カレジを卒業。その後インドに渡り、マハーボーディ・ソサエティで5年間伝道活動。1973年から1988年までアメリカ大学で仏教僧として務める。アメリカ大学で哲学博士号取得。1982年、ウェストバージニア州(シェナンドーバレー近郊)の森林に僧院と瞑想センター「バーワナー・ソサエティ」をマシュー・フリックステインと共に設立。



生きとし生けるものが幸せでありますように



2023/05/20

卓抜した天才/修行に励む行者〈ブッダに出会った人たち〉3-①


対機説法:医者が薬を処方するように来た見よ2-④からの続き

 

3 お釈迦さまに出会った人たち



お釈迦さまは悟りを開かれた日から涅槃に入られる日まで、無数の人々に出会い、法を説かれ、人々の苦しみを解決し、悟りに導かれました。

その代表的な方々を何人かご紹介しましょう。

2023/05/18

精進覚支を育てる栄養素とは?


精進覚支(Viriya-Sambojjhanga)の栄養素



そこで、①始める努力、②継続する努力、③困難を乗り越える努力、

これらが「精進覚支」を育てるために必要な要素です。


これら3つの要素をありのままに観察し(如理作意)、多く実践することによって、精進覚支が生まれます。

さらには完成へと導いてくれるのです。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著) 『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉 ありのままに見る智慧』



①起動力(Ārambhadhātu)


Ārambhadhātu(アーランバダートゥ)とは、始めること、開始すること、起動すること、という意味です。


力を起こして行為を始めることであり、あらゆる努力の出発点になります。


どんな行為をするときでも、善い行為をするときにはとくに、この「起動の要素」は欠かせません。


善い行為をしよう、悪い行為をやめよう、戒律を守ろう、瞑想をしよう、心を育てよう、善い道を歩もう、心を清らかにしようなどと、新たに行動を起こそうとする力が必要なのです。


頭の中でただ考えているだけでは、行動に移せませんね。そのときは、とにかく始める努力が必要なのです。


このように心のエネルギーを起動させ、努力のエネルギーを引き起こすことが、精進覚支の1番目の要素です。


まず、ここから始めるのです。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
 ありのままに見る智慧』より


2023/05/14

対機説法:医者が薬を処方するように2-④

 

苦しみを解決する人・解決できない人来た見よ2-③からの続き


医者が薬を処方するように


お釈迦さまは、人々が抱えている苦しみや問題を解決するために「対機説法」という方法を用いて法を説かれました。


対機説法とは何でしょうか?

2023/05/11

苦しみを解決する人・解決できない人2-③


仏教がハイライトしたもの来た見よ2-③からの続き


生き方しだいで苦しみは増減する


苦しみは誰にでもあります。

むかしの人にも現代人にも、男性にも女性にも、子供にも大人にも、金持ちにも貧しい人にも、教養のある人にもない人にも、誰にでもあるのです。

年齢、性別、生まれ、職業、地位、お金の有無、知識の有無に関係なく、すべての人に苦しみがあるのです。

苦しみは皆、平等です。


しかし、その質や量は同じではありません。