今おこなっている善行為を、完成するまで拡大する
私たちは日常生活の中でいろいろな善いことをしています。
たとえば仕事をまじめにするとか、社会が発展するよう努力するとか、そういう自分が誠意をもってやっていることがいろいろあると思います。
その「善いことをさらに完成するところまで努力する」のが3番目の希望――いわゆる「正精進(sammā vāyāma)の3番目」です。
これぐらいでいいのではないかと、ほっとしないようにしてください。私は毎朝9時から夕方5時まで仕事をしているから、それでいいのではないかと安心するのではなく、さらに「善いこと、役に立つことはないでしょうか」と、自分が日々やっている善い行為を、完成させるまで努力しなければならないのです。
たとえば、学校の先生の場合、「自分は10年間も教えてきたからそこそこ経験もあるし、教える内容も身についているし、教え方も、子供をまとめる方法も知っているから、それぐらいでよいのではないか」と安心してはなりません。
より立派なことをしようと智慧をしぼって、さらに努力することが大切なのです。
正精進④
今までしたことのない善行為をする
正精進の4番目は「今までしたことのない善行為を勇気をだしてする」ことです。
先ほどの学校の先生を例だと、今まで教科書どおりに教室で教えてきましたが、ちょっと方向を変えて、子供たちと外に出て自然のなかで授業をするとか、あるいはキャンプに行くとか。
そうすると机上の勉強では学ぶことのできない新しい発見が生まれてくるかもしれないのです。
でも、私たちはたいてい何か新しいことをしようとするとき、「やったことがないからやめよう」という弱気な気持ちが出てくるものです。善い考えは浮かぶけれども、やったことがないからやめましょうと、そういう弱さがあるのです。
これは仏教ではあまり認めていません。
仏教は、たとえやったことがなくても、それが善い行為なら、勇気をもってやりなさいと教えています。いつでも前進です。
これが4つ目の正精進であり、善い希望なのです。
(続きます)
根本仏教講義『希望と欲望⑤-1』
スマナサーラ長老法話