2018-12-27

善悪とは?④-1

為は完成できる」 の続き

功徳から善への進み方

ここで、皆様にちょっと勉強することがあります。
私が教えなくても、皆様は功徳とは何かということを知っているでしょう。たとえば、教会ではミサが終わるとだいたいみんな寄付をします。その寄付金は教会の維持管理だけではなく、いろいろなボランティア活動に使ったりします。あるいは目が見えない人を助けるためや、恵まれない人を助けるため、また孤児院などどこかの施設の維持管理のために使ったりします。
日本の子供たちも、路上で募金活動をしているのを見かけます。ああいうのは功徳行為なんです。

でも、これって、いくらやってもやりきれません。

ですから、「功徳」を「善」になるようにしなければなりません。パーリ語でいうと、「プンニャ(puñña)」を「クサラ(kusala)」に変えなくてはいけないのです。
このプンニャをクサラに変える方法を、これから説明いたしましょう。

功徳行為にはいろいろありますが、「不殺生」を例にあげて説明します。

不殺生(生命を殺さないこと)を、パーリ語で「Pāṇātiptipātāveramaṇī」といいます。


①とにかく殺生をやめる

「殺したいという意があっても、あるいは殺さなくてはいけない条件に遭遇しても、殺生をしないこと」です。これは、功徳行為になります。殺したいけれど、殺しません。殺さなければならないときでも、殺しません。これは功徳行為になります。


②理性を使って、徐々に命の意義を理解する

「殺さない」だけではなく、もう少し宿題があります。殺すということは命を奪うことです。それで、「命って何か?」ということを理解するのです。



善悪とは? スマナサーラ長老


③「生きる権利は皆にある」ことを理解する 

誰にでも「生きていきたい、死にたくない」という気持ちがあります。生きる権利は、アリからゾウまで、微生物からクジラまで、すべての生命にあるのです。

そこで、「生きることは生命の権利であり、尊厳だ。尊厳を守ることはすばらしい」ということを理解し、みんなの生きる権利を守るのです。

周りの人が魚釣りをやっているから自分もやろう、といった殺生の気持ちは、もうありません。命の尊厳や生きる権利を守るのです。

ここで、いきなり「不殺生」のレベルが上がります。
①の「とにかく殺生をやめる」の段階では、かなりストレスがたまります。

たとえば、会社の上司に「一緒に山に行こう」と誘われたとしましょう。「その山の池には魚がたくさんいて、けっこう釣れますよ。その場で塩焼きにして食べるとおいしいですよ。行きましょう」と。

①の「殺生をやめる」レベルの人にとっては、山に行きたいのですが、このプログラムの一つが釣りですからね。行きたくありません。でも、行かなかったらまずい、どうしよう……と悩むんです。

しかし、「命の尊厳を守る」というレベルの人は、ストレスがかかりません。上司や同僚と一緒に山に行き、魚釣りをするときになったら、「魚にも生きる権利はありますから、私は命の尊厳を守って釣りはやりません」と考えて、皆さんが釣りをしているとき、私はボートに乗って池を周っていま
す」などと言ってボートに乗るんです。そこにストレスはありません。

でも、もし「私は殺生しません」と言うと、みんなに嫌がられるでしょう。「なんだこいつは」というふうに思われるかもしれません。

しかし、善になると、それがありません。「私は命の尊厳を守りたいですから」というと、誰も反対することはできませんからね。それは巧みな行為であり、正しい判断なのです。

ですから、不殺生戒を守る人は「功徳」から「善」に変えると、結構ストレスのない大きな人間になっているのです。


自然に命の尊厳を守ることができるようになる

そのように生きていると、他の生命の尊厳を守ることが自然にできるようになります。


⑤慈しみを育てる

知らないうちに自分のこころが慈しみにあふれています。歯を食い縛って慈悲で生きようとするのではなく、自動的にそうなっていくのです。(続きます)

スマナサーラ長老法話