2019-02-08

他の役に立つように生きる

善悪とは?⑥

他の役に立つように生きる


世の中を直そうとすることは、自我でおこなう悪行為です。世直しをすることなど、私たちにはとうていできません。前の号で「功徳」について説明したとき、功徳は完成させることができないということをお話しました。いくら功徳を積んでも、やるべきことが残っているからです。これが死ぬまで続いていくのです。
世直しも、これと同じです。世直しは、いくらやってもやりきれません。不可能なことで、ありえないことなのです。


そこで、世直しをするのではなく、人の役に立つことをして生きてみてください。役に立つ行為をしている人を非難する人はいますか? いないでしょう。いないんだったら、人の役に立つことを実行すればどうでしょうか? どんな宗教でも「人の役に立つ行為は善いことだ」と言っています。です
からやってみてはいかがでしょうか。


世の中には、社会を直しましょう、皆を愛しましょうなどのスローガンが溢れています。一見、とても美しい言葉のように感じます。しかし、みな不完全な言葉に惹かれるだけで、スローガンに実行力はないのです。言葉というものは、人を感動させるために使うよりは、人々の役に立つために使ったほうがよいのです。


これから、人に何かを教えるときのポイントを説明いたします。


・個人攻撃をしない


誰かの生き方に過ちや間違いが見えたとき、「おまえが悪い」と言うのはやめてください。

真理を知っている人にとっては、「おまえ」や「私」ということは存在しません。「みな生命だ」と見るのです。その人は、「生命は過ちをするものであり、やってはいけないことをするものだ」ということを理解しています。それで、相手を責めるのではなく、「そんなことをしたらどんな結果になると思う? これをやり続けてもいいと思う?」と聞くのです。

あるいは、やったことにたいして「まあいい、終わったことだから。今日から真面目に生きましょう」と、それだけ言います。そうすると、言われたほうは安心して、気持ちが落ち着きます。こんな優しい人にもっと信頼されたいという気持ちになり、善行為をするようになるかもしれません。これが正しい世直しのやり方なのです。


・客観的な事実を語る


他人に道徳を語るときは、宗教、信仰、主義などの先入観を入れずに、客観的な事実を話さなければなりません。みんな、何かを話すときは自分の言葉に権威をつけるために、すぐ宗教や自分の信仰を持ち出すのです。そうすると対話ができなくなります。
たとえば「神様が禁止しているから〇〇をやってはいけません」と言う人に、「自分は神様を信じていません」と言えば、それで話しは終わってしまうのです。

他人に道徳を語るときは、宗教や信仰、主義などの先入観を入れてはいけません。文化も使ってはいけません。文化は変わるものですから、そういうものを使って人を育てることはできないのです。私たちはその間違いをよくやっています。

仏教がいう「善・不善・功徳・悪」は、すべての生命に共通する普遍的なものです。ある特定の宗教の教えでも、哲学でもありません。人が否定することは不可能なのです。


・自分で実践して体験する


自分がまず実践して、体験することが大切です。その後、他人に話すのです。他人の過ちを直す場合は、お釈迦様の言葉づかいを学んでみてください。お釈迦様はビシッと完璧に語られるのですが、個人攻撃はしません。相手の尊厳を害すことはしないのです。

お釈迦様は一度も「汝は殺生するなかれ」と命令したことはありません。出家者にたいする戒律項目はそういうふうにありますが、そのときでも極力命令することは避けています。

命令するというのは、人権侵害です。お釈迦様は指令ではなく、「幸福になりたければ、殺生をやめたほうがいい」とか、「自分の幸福を目指す賢い人は殺生しません」とおっしゃいます。「あなたは殺生するなかれ」と命令しません。このような言葉を使っていましたから、お釈迦様に逆らうことは誰もできなかったのです。


他の役に立つように生きる スマナサーラ長老(根本仏教講義『善悪とは?⑥』/文責:出村佳子)



直せるのは一部の人だけ


私たちが直せるのは、自分と関係のある、自分の影響力が伝わる人だけです。お釈迦様の場合は特別な能力がありましたから、影響力はものすごく強力で、広大に及びました。お釈迦様に会って5分か10分話すだけで、その人は善人に変わったほどです。他宗教の人はこれを間違えてとらえて、「お釈迦様は魔力を使っているのではないか」と言う人もいましたが、あれは魔力ではありません。


私たちが直せるのは、自分と関係のある、自分の影響力が伝わる人だけです。私たちに大それた世直しはできません。
たとえば私の話を聞くのは、私に関係がある人たちだけです。この説法も、こちらに来た皆さま、あるいはこれを読んでいる皆さまだけにしか届きません。自分の影響力が伝わる人だけなのです。ですから、そんな程度で、私たちの能力はいつでも限りがあるということを理解しなくてはいけません。


そこで、自分の限られた範囲内で他人に「道」を教えましょう。世直しをしたり、非難合戦をしたり、「なんだこの世界は」とか「この世界はろくでもない」などと言って精神的に苦しんだり病気になったりする必要はないのです。


たとえば自分の子供が何か間違ったことをしたら、それは直してあげます。となりの家の子が間違ったことをした場合には……、何も言わないほうがいいでしょうね。もし、自分の子供が「となりの子もやっているから」と言ったら、こう話してください。「それはかまいませんよ。君が立派な善い人間になってほしい」と。
(続きます)


スマナサーラ長老法話

(根本仏教講義『善悪とは?⑥』/文責:出村佳子)