2018/11/22

人生改良計画①-1

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「改良」の問題点 


人はよく「自分を向上させたい」「改良したい」と言っています。では、どのように「向上しよう、改良しよう」と考えているのでしょうか?


一般的に私たちはなんでも「合理的に」「より便利に」「より快適に」することが改良だと思っています。


より便利に、よりスピーディーに、より快適に生活したいと考えて、さまざまな機械や電化製品を開発しているのです。

このようなことを「改良」と呼んでいるのです。


しかし、ここには大きな問題があります。それは、自分を改良しないことです。


モノや機械はどんどん合理的になっていくものの、人間は非合理的なままですから、非合理的な人間が合理的な機械を使いこなせない、という問題が出てくるのです。


たとえば医療の世界をみると、技術が進歩すればするほど医療ミスが多くなるという傾向があります。


進歩が激しいため、医者たちは機器の使い方がわからず、十分に使いこなせないのです。


たとえば1千万円かけて最新機器を導入しても、その機器をうまく使えないまま、数か月経つと、また新しい機器が発売されます。


医療機関は、医者の腕だけでは現代のさまざまな病気に対処することができないということを知っていますから、最新の機器を買いたがりますが、なにしろ最新ですから、導入するたびに使い方を覚えなくてはなりません。


このような状態では、医療関係者は新しい機器に慣れることに精一杯で、患者のことを考える余裕がなくなってしまいます。


このように、自分はそのままで、機械だけが合理的になると、問題が生じるのです。



改良の中身は?



私たちは「自分を改良したい」と考えていますが、その中身はどのようなものかというと、たいしたことではありません。


男性なら「よりかっこよく」「より力強く」「よりもてるように」、女性なら「より美しく」「よりきれいに」「よりスリムに」ということが自己改良だと考えています。


自分を向上させたいという若い男女が何を考えているかというと、そういうことに頑張っているのです。

それで、あらゆる美容法を試みたり、流行を追いかけたり、ダイエットをしたり、男性なら、身体を鍛えたり、お金がないのに見栄を張って車やバイクを買ったりするのです。


中年になると、「より元気に」「より健康に」という目的が出てきます。

いろんな健康法が次から次へと出てきますし、健康食品やサプリメントはきりがなくあります。


仕事の世界では「上達」や「スキルアップ」「キャリアアップ」というものを目指しています。そのためのスクールやセミナーがどれほどあるでしょうか。

マニュアル本もいくらでもありますし、アドバイザーたちもたくさんいます。


食べ物の分野では「よりおいしく」「より手軽に」「より安く」ということに頑張っています。ファーストフードのお店などは、その結果できたものでしょう。


また、現代人、とりわけ都会に住む人たちは、より利便性を求めてスーパーやコンビニで冷凍食品や加工食品を買って食べるようになっています。

でも、そういうものには何が含まれているかわかりません。着色料、香料、酸化防止剤、漂白剤、保存料などたくさんの添加物が入っていますから、決して身体にいいとはいえません。

ときどき、「こんなものを食べたらどうかなあ」と思うものもあります。おいしいと思って食べているものが、身体を壊す場合もあるのです。それを私たちは毎日のように食べています。

なかには、身体がものすごく拒絶反応を起こすものもあります。(続きます)
スマナサーラ長老

根本仏教講義『人生改良計画①-1』文責:出村佳子

2018/11/20

希望と欲望④-1



正しい希望の持ち方



これまで「希望と欲望」のうち「欲望」について説明してきました。
今回は、「希望」についてお話しましょう。 


仏教は希望を持つことを否定しているのかというと、そうではありません。それどころか、「希望を持って頑張りなさい、励みなさい」と、大いに応援しているのです。





八正道のなかに「正精進」という言葉があります。パーリ語で Sammā vāyāma(サンマー・ワーヤーマ)といいます。

Sammāは「正しい」、vāyāmaは「精進する、努力する」という意味で、「正しく努力する」という意味になります。


そこで、私たちは希望がないと、なかなか努力しません。
なぜ努力するのかというと、何らかの希望や目的があって、それを実現させるために努力するのです。


希望のない人は、何も努力しようとせず、ただ怠けているだけです。仏教はこの「怠け」や「怠ること」をものすごく嫌っています。


お釈迦様は怠ける人のことをきつく批判しました。とくに出家者にたいしては厳しいですから、出家者が怠けたら、もう人間扱いしないのです。




学ぶことの少ない者は
牛のように老いる。
肉は増えるが、智慧は増えない。
(ダンマパダ 152)

Appassutāyam puriso, 
Balibaddho'va jîrati;
Mamsāni tassa vaddhanti,
paññā tassa na vaddhati.




怠け者は、食べて楽をして、老いていくだけです。智慧はまったく成長しません。お釈迦様は怠ける人のことを牛のように見て、人間扱いしなかったのです。



正しく頑張る


 
仏教は高度な道徳である「精進・努力」を高く評価しています。

しかも、ただ努力すればいいという、なまやさしいものではなく、「瞬間も怠けてはなりません」と厳しく教えています。

精進・努力というのは、わかりやすくいえば、「頑張る」という意味です。

でも、なんでもかんでも頑張るというのではなく、正精進(Sammā vāyāma)をするということです。


正精進とは、「道徳的で立派な人間になるために、正しくコントロールして頑張る」という意味です。
(続きます)


根本仏教講義『希望と欲望④-1』
スマナサーラ長老法話


2018/11/18

希望と欲望③-2


カッとなる子供


現代の子供たちはなぜカッとなってキレやすいのかといいますと、おそらく途轍もない欲望と誘惑で心がいじめられていると思います。


一流の学校に進学したい、いい成績をとりたい、勉強しなくてはいけない、でも遊びたい、ゲームをやりたい、サッカーもやりたい、あれをやらなくてはいけない、これもやらなくてはいけない、ああだこうだと、ありとあらゆる欲望と、さらには親の過剰な期待や要望がのしかかってきて、子供たちの心が病んでいます。


欲望が強いと、それは逆の性質の怒りとして表面に現れます。それでカッとなったり、キレたりするのです。



猛獣(欲)の管理



お釈迦様は、ノーマルな欲に関しては、それほど厳しく言っていませんが、異常な欲に関しては厳しく戒めています。異常な欲は、猛獣のようなものです。


そこで、猛獣をどうしても自宅で飼いたいというなら別に飼ってもいいのですが、そのときはかなり気をつけなければなりません。

たとえば毒ヘビを飼うときは、首に巻いて飼ってはなりません。自分が殺されます。毒ヘビと遊んではならないのです。


そうではなく、どうやって飼えば安全か、エサをあげるときはどうすればよいか、万一噛まれたときはどうすればよいかなど、どのように扱えばよいのかを十分調べて、慎重に扱う必要があります。

そうすると、危険が低い状態で毒ヘビを飼うことができるのです。もし、格好いいから、美しいから、珍しいからといって、何も注意せず、毒ヘビと遊んでしまったら、その人の命は危ないでしょう。
(続きます)

根本仏教講義『希望と欲望③-2』
スマナサーラ長老法話

編集/文責:出村佳子