とにかく、苦しみがなくなりますように……
2024/01/01 能登半島地震
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出典:北國新聞 2023/01/03
みなさんは日々、自分を大事にまもっていることと思います。
ケガをすれば手当てをし、病気になればクスリを飲み、お腹が空けば何かを食べ、疲れたら休むなど、自分を大事にまもっているでしょう。ケガをしたまま、のどが渇いたまま、お腹がすいたまま、何日もほったらかしにしている方はいらっしゃらないと思います。
また、家族や財産も大事にまもっているでしょう。家の玄関にカギをかけたり防犯カメラをつけたりなど対策をしっかりとっているのではないでしょうか。
このように、人はさまざまなかたちで自分自身や家族、財産などをまもっています。
でも、それで十分でしょうか? 何か忘れているものがありませんか?
「心」はまもっているでしょうか? 「思考」はどうでしょうか?
ある日、ブッダは「自己を真にまもるとはどのようなことか」、また「自己をまもっているかどうかを見分ける方法」について説かれました。
ご紹介する経典は、「Attarakkhita Sutta(アッタラッキタ・スッタ)」です。
Atta(アッタ)とは「私」や「自己」という意味、rakkhita(ラッキタ)とは「まもられている」という意味で、合わせて「自己がまもられている」という意味になります。
「自己をまもる」とは一般的に、内と外から生じうる危険、危害をもたらす関係や状況など、さまざまなトラブルから自己をまもるということです。
まもることができたら、次に安全を保つ必要があります。
安全とは何でしょうか?
ひとつは身体の安全です。なかでも健康ですね。私たちはみな身体を持っています。身体を持っているかぎり病気になることは免れませんが、それでもできるかぎり健康を保つようケアをし、メインテナンスをすることが必要なのです。
ブッダは『ダンマパダ(Dhammapada)』において、
「健康は最上の利得である」
(Ārogyaparamā lābhā)
と説かれました。
利得には、お金や財産、繁栄、成功、地位などいろいろなものがありますが、どんな利得よりも健康が最高の利得である、とブッダはおっしゃっています。
健康であるからこそ、私たちは元気に活動したり、働いたり、善い行為をしたりすることができるのです。
それから、「身体」や「財産」をまもることより大切なのは、「心」をまもることです。「心」をまもることは、ほかの何をまもることよりも遥かに大切なことなのです。
『セルフケア:ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』
「はじめに:ブッダが教えた 自分と他者のまもり方」より
すべての感覚を戒めるべきか?「自由への突破口②-4」からの続き
執着(束縛)には4種あります。
・欲(五欲)への執着(欲取)kāmupādānaṃ
・見解への執着(見取)diṭṭhupādānaṃ
・儀式・儀礼・行等への執着(戒禁取)sīlabbatupādānaṃ
・我論への執着(我論取)attavādupādānaṃ
どのように嫉妬に対処することができるのでしょうか?
たとえば、同じ時期に入社した同僚が自分よりも先に出世すると、こころに嫉妬がわき起こります。「あー、自分は成功していない」とか「自分には能力がない」と考えて、相手にたいして嫉妬を感じるのです。
このとき、こころの中でフォーカスしているのは何でしょうか?
「自分には能力がない」「あの人はできるのに自分はできない」といったことです。
ここで私たちがすべきことは、視点を変えることです。「自分にはない」「自分はできない」と見ることから、「あの人はこれまでの人生、あるいは過去世で努力してきた。だから、いまその結果を得ている」と理解することです。
たとえば友人が昇進により収入がアップし、新しい車や新しい家を購入したのを見たとしましょう。嫉妬の強い人はたいていすぐに自分と比較して、「うらやましい。自分も欲しい。なんで自分にはないのか」という気持ちになります。
こころには「比較する」という働きがあります。誰かが幸せなのを見ると、「なんで自分は持っていないのか」「なんで自分にはないのか」と比べて、「自分は持っていない」「自分にはない」と嫉妬してしまうのです。
そこで、業の法則にあてはめて正しく理解するようにしてください。「この人はこれまで頑張って努力してきた。その結果をいま受けている」と理解するのです。正しく理解できれば、こころは落ち着いていくでしょう。
このように「原因と結果の法則」を観て理解することにより、嫉妬を克服することができるのです。
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
「第5章 嫉妬への3つの対処法
業(kamma)を理解する」より
『喜び〈Muditā〉― 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放しの方』
3つの感覚「自由への突破口②-3」からの続き
在家のヴィサーカ居士が次にこう質問しました。
「すべての感覚を戒めるべきですか?」
ダンマディンナー長老尼は答えます。
「いえ、例外があります。苦の感覚、楽の感覚、不苦不楽の感覚の場合、欲、怒り、無知をなくすべきです。しかし、サマーディから生まれる楽の感覚は例外です」