2024/06/22

時間:与えられていないものを取らない『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

  

2 与えられていないものを取らない



身体で実践する善行為の2番目は、「与えられていないものを取らない」ことです。


これは、お金やモノだけではありません。多くの人がよくやっていることがあります。




それは、時間を取ることです。


たとえば、午前10時に取り引き先の会社で人と会う約束をしているとしましょう。

でも、自分が到着したのは午前11時。1時間、遅刻しました。

この場合、(もし理由がなく連絡もしなければ)相手の時間を取ったことになるでしょう。

なぜなら相手はその時間、ほかのことをせずに、自分のことを待っていたのですから。


あるいは、1時間前の9時に到着したとしましょう。

外で待ったり、時間をつぶしたりすることなく、相手に会いに行くとします。

この場合も問題です。

というのも、相手は別の仕事をしているからです。


したがって、遅刻することも、早く着きすぎることも、相手の時間を取ることにつながりますから、気をつけたほうがよいでしょう。


チャンディマ長老


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「10の善行為:2. 与えられていないものを取らない」
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

2024/06/19

自由と平等へ向けて「仏教から見る女性⑧ 〈最終回〉」

 

女性が得た真の自由「仏教から見る女性⑦」から続きます。


自由と平等へ向けて

ブッダの時代から幾世紀も経た19世紀~20世紀、女性の解放と自由・平等を求める動きが、特に欧米諸国で活発に起こりました。

これは女性たちが高い教育を受けたことの結果です。




1848年、アメリカでスーザン・B・アントニー(Susan B. Anthony)が先頭に立ち、女性平等を訴える旗を掲げました。

2024/06/15

現象をより明瞭に観る(択法覚支)『こころの栄養――悟りの栄養素:七覚支』より

 

②区別して調べる(択法覚支)


悟りを支える7つの要素(七覚支)の2番目はなんでしょうか?


択法覚支です。パーリ語で「dhammavicaya-sambojjhaṅga(ダンマヴィチャヤ・サンボッジャンガ)」といいます。


気づきを実践し、念覚支が育っていくと、次に「見ている現象をより明瞭に観る」ことができるようになります。これを「択法(dhammavicaya)」といいます。


択法とは、「さまざまな現象を区別して調査する/調べる」ことです。ものごとを区別して、その特性がよく見えるようになるのです。これは「差別」ではなく、「区別」という客観的な観察になります。





では、択法(ダンマヴィチャヤ)の「法(ダンマ)」とはなんでしょうか?


「法(ダンマ)」という言葉には意味がいくつかありますが、ここでは「現象の性質」という意味になります。


具体的にいえば、「善・不善」の性質、「非難されるもの・非難されないもの」の性質、「劣・優」の性質、「黒・白・混在」の性質です。
これらの性質を、区別して詳細に観察するのです。


悟りの1番目の要素「気づき(sati)」を十分に実践し、さまざまな現象を絶えまなく観察していると、次に「択法」がおのずと生じます。
択法が生じると、諸々の現象がよりはっきりと見えてくるのです。


心に生じる現象には、それぞれ固有の性質があります。
心はさまざまな現象を区別して、データどおりにその性質を見ることができるのです。


この経典で挙げられているのは、

・善いもの(kusala)

・不善のもの(akusala)

・非難を伴うもの(sāvajja)

・非難のないもの(anavajjā)

・劣っているもの(hīna)

・優れているもの(paṇītā)

・暗いもの(kaṇha)

・明るいもの(sukka)

・暗いものと明るいものが混在しているもの(sappaṭibhāgā)

 です。


最後の3つを少し補足しておきましょう。

Kaṇhaとは、暗いものや黒いものという意味で、悪行為・罪のある行為(pāpa)を指しています。

Sukkaとは、明るいものや白いものという意味で、善い行為・徳のある行為(puñña)のことです。

Sappaṭibhāgāとは、暗いもの(黒)と明るいもの(白)の両方が混在しているもののことです。

こうした法(現象)を区別して観察するのです。


択法(dhammavicaya:ダンマヴィチャヤ)の択(vicaya:ヴィチャヤ)とは「調べる」という意味です。

悟りの第1の要素「気づき(sati)」を十分に実践していると、心に「調べ、区別する機能」が育っていきます。

それで「現象(法)がどのようなものか」と、より細かく見えるようになるのです。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
第4章 悟りの栄養素――七覚支』より

2024/06/12

女性が得た真の自由「仏教から見る女性⑦」

     

愛する人を亡くした女性へのアドバイス「仏教から見る女性⑥」から続きます。


女性が得た真の自由



ブッダが法(ダンマ)を説き始めてから数年後、比丘尼サンガ(尼僧の僧団)が設立されました。このとき女性にたいして、出家の自由という新しい道が切り開かれたのです。

2024/06/09

掉挙(浮ついた心、あせり)『こころの栄養――こころを害する食:五蓋』より

 

◎掉挙(浮ついた心、あせり)


「掉挙(じょうこ)」は、不善心所の「痴(ち)」( moha :モーハ )のグループに入っています。

「痴」とは、ものごとを正しく理解していないことです。


そこで、心に掉挙があり、落ち着きがなく、浮ついた状態では、何をしてもうまくいきません。

なぜでしょうか?


それは、無知が働いているからです。
そのときそのときの状況や自分自身のことを理解していないからです。



不善心所には、