差別することは悪行為です。
世の中の人は他人を差別し、指をさして、非難合戦ばかりしています。
でも、相手に指をさすとどうなりますか?
1本の指を向ければ、3本の指は自分に向いています。「悪いのはお前だ」と言って相手をさすと、残りの3本は自分をさしています。
ですから、他人を非難することはあまりにも愚かな行為です。
「生命」の定義
生命には貪瞋痴があります。
その貪瞋痴によって、生命は輪廻転生しています。
これは生命の定義でもあります。
貪瞋痴があるものを「生命(sattā)」といい、貪瞋痴がなければ「生命」ではありません。
ですから聖者は「生命(sattā)」とはいいません。
聖者には特別な仏教用語があり、「ariya」という言葉を使っています。
これは「乗り越えた」という意味です。
「sattā」は、日本語では「衆生」や「有情」という訳語になります。
感情があること、つまり貪瞋痴があるという意味です。
貪瞋痴の強度によって、区別が現れる
貪瞋痴の量は、生命によって異なります。貪瞋痴が働くためには、身体が必要ですからね。身体で貪瞋痴が制限されるのです。
たとえばアリが怒っても、人を殺すことはできませんし、スズメが怒っても、人を殺せません。
でも、人が怒ると、アリやスズメの巣をまるごと壊して、潰すことができるのです。この差です。貪瞋痴を動かす能力によって、貪瞋痴の強弱やランクが異なるのです。私たち人間の貪瞋痴と、アリやスズメの貪瞋痴の強さや量は違うのです。
他の生命を非難するのは愚かな行為
だからといって、人がアリやスズメを非難し、ばかにするのは間違っています。
「生命みなに貪瞋痴がある」ということは、すべての生命に共通していることです。
ですから、貪瞋痴で生きている生命が、他の生命に指をさして、ばかにすることは、とんでもない愚かな行為です。
たとえばアリに向かって、「お前は小さいからたいしたことができない」とか、ヘビやコブラにたいして、「身体が小さいのに瞬時に人を殺して、お前はとんでもないやつだ。殺される前に、お前を殺してやる」などと考えることは愚かなことです。
アリも、ヘビも、コブラも貪瞋痴で生きています。
人も、貪瞋痴で生きています。
みな同じ貪瞋痴で生きているのです。そこに差はありません。
自己を観察し「平等」を理解する
私たちはみな平等です。この平等ということを理解するために、自己観察をしなければなりません。
自分のこころを観察してみてください。
そうすると、欲があること、怒りがあること、嫉妬や怠けがあること、無知があることが見えてくるでしょう。
このとき「あー、気持ち悪い」と見るのではなく、「みな同じだ」と見るのです。
誰だって貪瞋痴があります。強弱やレベルの差があるだけです。
それから、「私は嫉妬深い。なんて情けないか」と見るのも、正しい自己観察ではありません。
そうではなく、「私に嫉妬がある。嫉妬がちょっと強い。嫉妬はどんな生命にもある……」とそのように自己を観察すると、落ち込むことがなくなります。
「生命は平等だ」ということがわかるのです。
これが「区別はあるが、平等」ということです。
差があるのに、平等だとわかるのです。
差異があって平等なんです。区別があって平等なんです。
これは現代社会で言われている、いい加減な平等ではありません。
こころの広い人になる
こころの広い人は他人に指をさしません。「あー、そういうことか」と理解して落ち着いています。
たとえば自分の子供が万引きして警察につかまっても、混乱したり、焦ったり、大声で怒鳴ったりしません。
落ち着いていると、子供のこころの中が見えてきます。
この子はこころに何か怒りがあってやったんだ、ということが。
だいたい子供が万引きするのはカネやモノが欲しいからではありません。それは大人です。
子供の場合、中学生や高校生になるとだんだん勉強についていけなくなって、学校がいやになって、遊びたくなるんです。
でも遊ぶカネがなくて万引きしてしまうというのが本当なんです。
子供はカネそのものが欲しいわけではありません。
こころに何か別の問題があるのです。
社会にたいして、親にたいして、学校にたいして反発したい、暴動を起こしてやりたいという別な衝動があるのです。
しかしまだ子供ですから、悪い行動をしたら自分が破滅するということは理解できません。
親や学校に迷惑かけたいと思って万引きして、わざとつかまるのです。
学校はそれなりにうまくごまかすかもしれませんが、子供の人生はそれでかなり苦しくなるのです。
そこで、こころが広い親だったら、子供の本当のこころがわかります。
そうすると、解決策が見えてきます。
子供をいきなり怒鳴ったり、非難したりしません。
落ち着いたこころで、「もし今度何か問題があったら言ってください。私はあなたの味方です。私に言いたくなかったら、信頼できるだれか年上の人に言ってください。学校に相談しやすい先生がいるなら、その先生に相談してください」と言います。
それで、何か解決策が見えてくるのです。
このように、「平等」ということを正しく理解すれば、世の中のさまざまな問題は解決できるのです。
(続きます)