2019/01/17

希望と欲望⑥-1


最上の希望は「悟り」

    


寝ずに精進したチャックパーラ長老Ven. Cakkhupala Thero



むかし、年配のお坊様が出家しました。このお坊様は、

「私は年をとっている。私には時間がない。だから寝るのがもったいない。雨安居の3か月間は絶対、横になりません」

と決意し、歩く瞑想や立つ瞑想、坐る瞑想に励んで、全然横になって寝ようとしなかったのです。

2日や3日なら大丈夫でしょうが、身体はだんだんもたなくなってきます。一般の人なら「ちょっとやり過ぎ」と思うでしょう。

ところがお釈迦様は「やめなさい」と修行を止めることはしなかったのです。


1か月ほどたつと、お坊様は病気になりました。目が痛くなり、充血して真っ赤になったのです。ある日、お医者さんが来て、即効性のある一番いい薬をお坊様にあげました。

でも、このお坊様はあまりにも必死に修行しているものですから、薬を目に入れるとき、横にならずに座ったまま入れるのです。

当然、薬は目の奥まで入りません。それで病気はなかなか治らなかったのです。


ある日、お医者さんがお坊様の目の具合を見に来ると、症状は前と全然変わっていません。そこで、また薬をあげました。でも、治りません。あげても、あげても、いっこうに治りません。お医者さんは考えました。

「私は目の病気に一番よく効く薬をあげているのに、どうしてこのお坊様には効かないのか」

そこでお坊様に、「薬をどのように入れていますか?」と聞くと、「座って入れています」と言うのです。

お医者さんは、「それでは薬が効くはずがありません。横になって入れてください」と言いました。

しかし、お坊様は横になりません。

お医者さんは、もうやりきれないとばかりに、

「これ以上の薬は他にないですよ。なのにお坊様は薬を正しく使用しません。これでは病気は治るはずがありません。ですから私は治療をやめます」

と言って帰ってしまったのです。


このときお坊様が何を考えたかというと、さらに自分を戒めたのです。

「自分は医者から見放された。もう誰も自分の面倒をみてくれない。だから解脱することにもっと精進しよう」

そう考えて、次の月も頑張ったのです。


頑張った結果、雨安居の3か月間が終わると、悟りを開いたのです。

しかし、悟ったと同時に両目の視力を失いました。失明したのです。

このことを知ったお釈迦様は、チャックパーラ長老のことを愚か者だとか、やり過ぎだなどと否定しませんでした。それどころか、

「すばらしい。とにかく頑張って精進して最高の目的に達しました」

と称賛したのです。そして、チャックパーラ長老を悟りを開いた聖者として、モデルにすべき大弟子の一人として認めました。


このお話はダンマパダの第1番目、第1章の第1偈に出てくる物語です。ですから、仏教はどれぐらい精進を奨励しているかということがわかると思います。


(続きます)

根本仏教講義『希望と欲望⑤-2』