第一に持つべき目的とは?
私たちは、希望や目的がなければ、なかなか努力しようとしません。だからといって、なんでもいいから目的を持てばいいというのではなく、「正しい目的」を設定することが大切です。
そこで、私たちの一番悪いところは、心です。心が汚くて考え方が正しくないから、さまざまな悩みや苦しみが生まれてくるのです。
ですから、ものごとを正しく考えて、正しく判断できるよう、日々、自分の思考を直すこと、そして、欲や怒り、嫉妬、怠けなど悪い感情を取り除き、心を清らかにすること、これを第一の目的にして、精進することが大切です。
これが、人類が持つべき普遍的な目的です。
世俗社会における目的
それから、私たちは生きる上で、そのときそのとき世俗的な目的を設定しなければならないことがあります。
たとえば、学生なら卒業前に就職先を決めなければなりません。会社の経営者なら会社をいかにうまく存続させていくか、目的を持って行動しなければなりません。
そこで、目的を作るときに考慮すべきポイントが3つあります。
(1) 実行可能かどうか
まず、「自分に実行できるかどうか」ということを計算することです。
自分に実行できそうな具体的な目的を作ることが大事です。実行できない目的をわざわざ作って自己破壊する必要はありません。
私たちには夢や希望、やりたいことがいっぱいあります。だからといって、全部実現できるはずがありません。ですから、自分に実行できる具体的な目的を作ってください。そして、その目的に達するよう、しっかり頑張るのです。
それを達成したら、次にまた新しい目的を作ればよいのです。
たとえば、物理や工学が苦手な人は、エンジニアになろうと思わないほうがいいでしょうし、生物が分からない人は、医者になろうと思わないほうがいいでしょう。
エンジニアも、医者も、世間から見ればかっこいいかもしれません。だからといって「自分もなりたい」と思ったら大間違いです。自分が本来持っている能力もなくなってしまうでしょう。
科学よりも文学に強い人は文学で頑張ればよいですし、文学や歴史、政治が苦手な人は、理工系で頑張ればよいのです。かっこいいからとか、いま流行っているから、みんながやっているからといった理由で決めるのはよくありません。
日本でサッカーが流行りだした頃、男の子たちはみんなサッカーボールを蹴って遊んでいました。お母さんたちも「自分の子供をサッカー選手にする!」と張り切っていました。私はそれを見ておかしくて笑っていたのです。あれはマスコミが人気を作っただけです。人は何でも鵜呑みにする傾向がありますから、お母さんたちはマスコミが宣伝する人気に引かれて「息子をサッカー選手にする」と考えるようになったのです。
だからといって、簡単にサッカー選手になれるでしょうか?
なるには、走るのが速くて、体力があり、筋力や瞬発力、持久力、ボールを上手にコントロールする能力などさまざまな能力が必要です。
ですから、いくらサッカー選手がかっこよく見えても、自分がなれるかというと、それは雲の上の話です。
人気があるからとか、みんながやっているから自分もやりたい、という目的はよくありません。誰にでも、自分にできることがひとつぐらいはあるはずです。その自分にできることを見つけて、目的にすればよいのです。
スポーツや勉強が苦手でも料理が上手なら、料理の腕を磨いて専門家になればよいのです。プロになれば、それなりに社会に役立つことができます。ですから、まず、自分に実行可能なことを目的に設定してください。
(2)道徳的かどうか
次に、「道徳的な目的」を持つことです。いくら目的が自分に実行可能であっても、それが「道徳的かどうか」ということを考えなくてはなりません。
つまり、他の生命に害を与えてはならない、ということです。
たとえば、声がきれいだから声楽家になりたいといって、昼夜、大声で発声練習をしていると、それは周りの人に迷惑です。声楽家になりたいなら、他人に迷惑をかけずに目的を達成することが大切です。
(3)自然や環境を破壊しないかどうか
利益を増やしたいとか、会社を発展させたいと考えて、自然や社会のシステムを破壊するような目的を作ってはなりません。
たとえば、現代はごみの問題や二酸化炭素の問題などがあります。いろいろな家電メーカーが、とにかく自社の製品を売って儲けることを目的にして、新しい製品を次から次へと大量に生産しています。消費者もそれに合わせて新しい物へ買い換えていきます。
生活が便利になることは悪いことではありませんが、新しい製品を作れば、当然、古い製品の廃棄の問題が出てきます。
古い製品はどこに捨てるのでしょうか? どのように処分するのでしょうか?
自然や環境のことは何も考えていないのです。ただ自分の会社の利益のみを考えて物を生産すると、それは自然を破壊し、結局、生活環境を汚染することになるのです。
地球スケールと個人スケール
仏教は、自分勝手に目的を決めることは認めていません。私たちは生きる上で何らかの目的が必要ですが、その目的は「自然、社会、人類に害を与えないこと」でなくてはならないのです。
害を与えない商売なら、決して倒産しません。なぜ会社が倒産するかというと、会社の目的が間違っているか、あるいは作る品物が人々に必要ないかのどちらかです。
多くの場合、必要のない物を作っています。仏教では「人類に必要な物、なければ困る物を作ってください」と教えています。そうすれば、わざわざ誇大宣伝して強引に物を売るという問題は出てきませんし、いくら経済状況が悪くてもみんな買いますから、会社が倒産することはないのです。ですから正しい目的を持って正しく頑張ると、倒産する恐れがないのです。
目的には「個人スケール」と「地球スケール」の二つがあります。
「個人スケール」とは、たとえば旦那さんが「家族が楽に、生活できるよう、正しく頑張って仕事をして稼ごう」と小さなスケールで考えることです。家族のことしか考えていないからといって、これはわがままな考えではありません。
しかし、三菱やソニーなどの大企業が「自分の会社だけ儲かればいい」と小さなスケールで考えると、それは自然破壊につながります。
また、国家が自分の国だけよければいいと思ったら、その国は崩壊してしまうのです。
個人や家族の場合は小さな目的でもよいのですが、大企業や国家レベルになると、地球スケールで物事を考えなくてはならないのです。
(続きます)
根本仏教講義『希望と欲望⑥-2』
スマナサーラ長老
文責:出村佳子
希望と欲望
⑥-2)何を「目的」にするか?
⑥-2)何を「目的」にするか?