善悪とは?⑧-1
だからといって、すべての人がこの「対話」の手段を使えるかというと、そうではありません。対話形式で話し合い、相手のことを理解して、互いに納得して合意に達することは、心が落ち着いている人でなければ出来ないことです。
普通の人はいきなり、「あ、それ、おかしいですよ」などと言って、すぐに判断してしまいます。でも、これはやめなければなりません。
対話をするためには、けっこう能力が必要です。判断せずに、話し合わなければなりません。対話ができれば、最終的に自動的に合意に達することができるでしょう。
では、対話ができない場合はどうしましょうか?
できなかったら、それはそれでよいのです。代わりに、自分を直すことに頑張るのです。人の能力はさまざまですから、対話をしたり、他人を諭したりする能力がない人も、たくさんいます。その場合、自分自身が悪行為をしないよう、戒めればよいのです。
自分自身を戒めましょう。自分を戒めることで、他人の役に立つことができるのです。
生命の本能は悪(貪・瞋・痴)
悪はやりやすく、善は行い難いものです。
善行為をする人は、自分の本能と闘っています。皆様もときどき何か善いことをしようとするとき、「恥ずかしい」と思うことがあるでしょう。あれは本能と闘っているからです。
電車でちょっと席を譲るだけでも、恥ずかしいと思うでしょう。ほんのわずかな善行為をするためでも、やはり本能と闘わなければならないのです。
成功の度合いによって、人格が向上する
このように、ちょっとした善行為をするためにも、私たちは自分の本能と闘わなければなりません。
本能に勝てば、成功したことになります。本能に勝ったということは、貪・瞋・痴の悪に勝ったということです。人格が向上したということなのです。
周りの真似をする人の人生
周りがやっていることを真似する人は、人格がなかなか成長しません。そのままで止まってしまいます。
皆がやっているからやりましょうと真似することは、ある意味、危険なことなのです。だって、その「皆」は覚っているのでしょうか? 智慧があるのでしょうか?
多くの人はたいてい感情的で、簡単に人を騙したり、人に騙されたりするものです。ですから「皆がやっているから私もやります」というのは危険なことです。
皆がやっているかいないかは、どうでもよいことです。善いことなら、周りに関係なく、自ら進んで実践することが大切です。勇気を出して、前に進まなくてはならないのです。
(続きます)
A. スマナサーラ長老
善悪とは?⑧-1『自分自身を戒める』
文責:出村佳子
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善悪とは?
A. スマナサーラ長老
善悪とは?⑧-1『自分自身を戒める』
文責:出村佳子
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善悪とは?
①-1)まず善悪の勉強から始める
①-2)不善と悪の違い
②-1)悪と不善・功徳と善の関係
②-2)悪と不善に完成はあるか?
③-1)功徳と善に完成はあるか?
③-2)善行為は完成できる
④-1)功徳から善への進み方①
④-2)功徳から善への進み方②
⑤-1)自己を観察し「平等」を理解する
⑥-1)他の役に立つように生きる
⑦-1)「自分は悪いことをしない」と決める
⑦-2)対話と理解
・・・・・・・・・・・・・①-2)不善と悪の違い
②-1)悪と不善・功徳と善の関係
②-2)悪と不善に完成はあるか?
③-1)功徳と善に完成はあるか?
③-2)善行為は完成できる
④-1)功徳から善への進み方①
④-2)功徳から善への進み方②
⑤-1)自己を観察し「平等」を理解する
⑥-1)他の役に立つように生きる
⑦-1)「自分は悪いことをしない」と決める
⑦-2)対話と理解