2019/04/13

妄想の対処法:認識プロセスを観察し、妄想ループを断ち切る―『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』


事実をあるがままに観察し、
妄想のループから離れるための本

妄想と主観を断ち切るための観察法

『妄想の対処法:マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』



なぜ、思考は事実から離れて、勝手にイメージを作りあげていくのか?
妄想(ねつ造)や主観は、どのように起こるのか?


私たちは、いつでも気づかぬうちに思考にとらわれ、妄想の渦に巻き込まれています。
事実を客観的に見るではなく、起きた現象にたいして、頭の中でイメージを膨らませ、悩んだり、怒ったり、心配したり、不安になったりして、多くの時間を費やしています。
この問題を、どのように解決できるでしょうか? 

ブッダは「妄想の対処法」を説かれ、妄想(主観)が発生する原因と、そのプロセスを観察するよう教えられました。

仏教はいつでも原因をあるがままに観察するよう教えています。(*ここでの原因とは、眼耳鼻舌身意と色声香味触法です)
妄想に巻き込まれず、原因を観察すれば、妄想がどのように生起するのか、そのプロセスが見えてくるでしょう。

それによって、妄想を根っこから絶ち切ったり、あるいは弱めたり、悪い方向に妄想しないようにしたりなど、おのずと解決策が見えてくるのです。

本書は、中部経典 第18経『マドゥピンディカ・スッタ(密丸経)』をもとに、「妄想や主観が起こるプロセス」と「その対処法」についてわかりやすく説いた、スリランカ出身、カナダ在住の、G.チャンディマ長老による経典解説の講義に、加筆いただいたものの日本語訳です。
事実をあるがままに観て、主観や妄想のループから離れるための、一冊です。



〈目次〉


第1章 事実を見れば、妄想は静まる-『マドゥピンディカ・スッタ(密丸経)』


■「パパンチャ(papañca)」とは何か?
■ 思考を増殖させるものー渇愛・慢・見
■ 妄想のプロセス
■「主観の世界」から「客観の世界」へ
■ 妄想のループを破るには?
■ 原因にアプローチする
■ 妄想からの解放


第2章 Q&A― 原因に気づき、思考の舵をとる


■ コントロールか? 管理か?
■ 思考を色づけるもの
■『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』の名前の由来
■ 縁起(paṭicca-samuppāda)の法則
■ 思考の舵をとる



〈著者プロフィール〉

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老

Ven. Dr. Chandima Gangodawila

テーラワーダ仏教長老。
スリランカの国立スリジャヤワルダナプラ大学で、学士号(優等学位)を取得。人文社会科学部において、最優秀者賞を受賞。博士号を取得。
カナダに渡り、ブリティッシュコロンビア大学で4年間、仏教チャプレンを務め、さらにヴィクトリア大学で教鞭を執る。
現在、カナダのオタワ・テーラワーダ・ブッディストヴィハーラに在住。カナダを中心に、イギリスのケンブリッジ大学、アメリカ、マレーシア、タイ、スリランカの大学や寺院で、講義や法話をおこなっている。
著書に『幸せへの鍵:慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』業(カルマ)は直線ではない――生き方を変えられるのは、いま:マハーカンマヴィバンガ・スッタ(大業分別経)』(Sukhi Hotu)、英語の主な著書・論文に“A Critical appraisal of the contribution of Germany and France to Sanskrit studies”, “An Annotated Translation Into English Of Ratnamālāvadāna With A Critical Introduction”などがある。
Paṭisota(YouTubeチャンネル)で、ブッダの教えを伝え続けている。



2019/04/08

【お知らせ】八正道勉強会


2019/04/03

自分自身を戒める

善悪とは?⑧-1

だからといって、すべての人がこの「対話」の手段を使えるかというと、そうではありません。対話形式で話し合い、相手のことを理解して、互いに納得して合意に達することは、心が落ち着いている人でなければ出来ないことです。

普通の人はいきなり、「あ、それ、おかしいですよ」などと言って、すぐに判断してしまいます。でも、これはやめなければなりません。

対話をするためには、けっこう能力が必要です。判断せずに、話し合わなければなりません。対話ができれば、最終的に自動的に合意に達することができるでしょう。

では、対話ができない場合はどうしましょうか?

できなかったら、それはそれでよいのです。代わりに、自分を直すことに頑張るのです。人の能力はさまざまですから、対話をしたり、他人を諭したりする能力がない人も、たくさんいます。その場合、自分自身が悪行為をしないよう、戒めればよいのです。

自分自身を戒めましょう。自分を戒めることで、他人の役に立つことができるのです。


善悪とは?




生命の本能は悪(貪・瞋・痴)



悪はやりやすく、善は行い難いものです。
善行為をする人は、自分の本能と闘っています。皆様もときどき何か善いことをしようとするとき、「恥ずかしい」と思うことがあるでしょう。あれは本能と闘っているからです。

電車でちょっと席を譲るだけでも、恥ずかしいと思うでしょう。ほんのわずかな善行為をするためでも、やはり本能と闘わなければならないのです。


成功の度合いによって、人格が向上する



このように、ちょっとした善行為をするためにも、私たちは自分の本能と闘わなければなりません。

能に勝てば、成功したことになります。本能に勝ったということは、貪・瞋・痴の悪に勝ったということです。人格が向上したということなのです。


周りの真似をする人の人生


周りがやっていることを真似する人は、人格がなかなか成長しません。そのままで止まってしまいます。
皆がやっているからやりましょうと真似することは、ある意味、危険なことなのです。だって、その「皆」は覚っているのでしょうか? 智慧があるのでしょうか? 

多くの人はたいてい感情的で、簡単に人を騙したり、人に騙されたりするものです。ですから「皆がやっているから私もやります」というのは危険なことです。

皆がやっているかいないかは、どうでもよいことです。善いことなら、周りに関係なく、自ら進んで実践することが大切です。勇気を出して、前に進まなくてはならないのです。
(続きます)

A. スマナサーラ長老 
善悪とは?⑧-1『自分自身を戒める』
文責:出村佳子


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善悪とは?