「愚者」は損得を勘定することも、自分の感情をコントロールすることもできません。
結果として、いつでも損をする羽目になります。前回お話ししました物々交換の例で、着物を持っているAさんは、Bさんの大根が欲しいのですが、着物と大根をそのまま交換するのではAさんがちょっと損をするでしょう。そこで少し頭を働かせて工夫するのです。たとえば隣にいるCさんがリンゴと草履を持っているとします。AさんはCさんに交渉して、CさんのリンゴとBさんの大根を交換してもらうのです。リンゴと大根の価値はほぼ等しいですから、BさんもCさんも納得して物々交換が成立するでしょう。そしてその後、Aさんは自分の着物と、Cさんの大根・草履を交換するのです。これでAさんは損をしないですみます。このようにちょっと頭を働かせて、損の無いように生活することは決して悪いことではありません。でも、勘定をないがしろにする愚か者には、このような工夫ができないのです。
それから、生きる上では新しいこと(ただし善いこと)に挑戦する勇気も欠かせないものです。ですが愚か者は「失敗するのが怖い」とか「面倒臭いからやりたくない」といってチャレンジするのを億劫がります。しかしそれではいっこうに「得」することができません。なぜなら新しいことに挑戦することによって、私たちの心は徐々に進歩してゆき、何らかの「得」が得られるのですから。
賢者は損得を乗り越える
「賢者」とは悟った人のことです。賢者は損得に対してどのようなアプローチをしているのでしょうか。
完全に悟りを開いた賢者は損得には囚われません。だからといって愚かな生き方もしません。損をしても得をしても「自分は単なる交差点だ」と法則を正しく理解して、落ち着いているのです。
何が入っても何が出て行っても――宝石が出入りしても、牛馬の肥料が出入りしても、「私とはモノが出入りする交差点」と考えて冷静にいるのです。
このように賢者は、損をしてもそれに悩みませんし、得をしてもそれに惑わされません。一
切のものに執着しないで清らかな心で生き、完全なる自由を得ています。
損得は必ず勘定しなくてはならないものですが、それに引っ掛かって舞い上がったり落ち込んだりすると、心の自由が消えてしまうのです。
何にも囚われることのない賢者だけが、損得を乗り越えて、自由な心で、勝利者として生きることができるのです。
正しい価値判断能力を養う
賢者の生き方はひとまず脇に置いておきましょう。
いきなり損得を乗り越えた賢者の生き方に飛ぶのではなく、先ず、損得を正しく勘定する「知者の生き方」を学んだ方が皆様の役に立つと思います。知者の生き方については前回お話し致しましたが、ここでもう少しポイントを付け加えておきましょう。
そのときは驚いて一時的にやめるかもしれません。でもすぐに次のいたずらが始まるのです。
そして、また母親が怒鳴る――。
結局、子供の行動に振り回されて怒鳴っている母親の方が疲れてしまうのです。
そこで、子供を叱る前にちょっと立ち止まって、「どう言えば子供はいたずらをやめるだろうか」と考えてみるのです。ただ感情的に言いたい放題のことを言うのではなく「この言葉は子供にとってプラスになるか、マイナスになるか」と考えてみます。そしてプラスになることだけを言うのです。このような注意力があれば、損をして苦しむことはないでしょう。
ところで、どこのスーパーに行っても一つや二つ「安売り」などと表示された札を見かけるものです。その札を見たとたん「安い、得だ」と勘違いして、いきなり飛びついて買ってしまう人がいます。たとえば「十個まとめて買うと二〇%引き」とあるとします。確かに単品を通常の値段で買うよりも得するでしょう。しかし問題は、その品物が十個も自分に必要かということです。もしそれが食べものなら消費期限があるはずです。せっかく「安い」と思って買ったのに、結局、近所の奥さんたちに配る羽目になります。人に分けてあげるのは悪いことではありませんが、特売で安く買ったものを消費期限が切れるからといって捨てるようにあげても仕方ないでしょう。受ける側も感謝して受け取ることはないのです。ですから、総合的に見ると大変な損をしていることになるのです。
もし人に何かあげたければ、価値のあるものを買って「これを差し上げます」と大事にあげた方がいいのです。そうすれば相手も「私のことをよく思ってくれている」と気持ちよく受け取ってくれますから。
何も考えずに感情でパーっと行動しても何の得もありません。このような理由で、私たちは「注意深く生きる」ということが大切なのです。
人生の会計士
社会には「会計士」と呼ばれる職業があります。会社の金銭や物品の出入りを監督して検査する人のことです。残念ながら、このように個人の人生を検査・監督してくれるような会社はありません。ですから自分の人生は自分で管理しなければならないのです。「あなたの代わりに私が生きてあげます」とか「あなたの代わりに私が勉強してあげます」というのは絶対に成り立ちません。自分の人生を他人に任せることはできないのです。自分が智慧を身に付けて、自分で自分の人生を管理する以外に方法はないのです。