2024/09/29
2024/09/28
ネガティブな思考からの解放 『正思惟〈正しい思考〉欲・怒り・害意の手放し方―八正道② 』
人は知らず知らずのうちにネガティブな思考パターンに囚われてしまうものです。
怒りや嫉妬、競争心、不安、恐怖、落ち込みといった思考や感情は、自分を苦しめるだけでなく、周りの人にも悪い影響を与えます。
そこで、「正しい思考(正思惟)」を実践していくことで、これらネガティブな思考に気づき、思考を管理できるようになるのです。
「正しい思考(正思惟)」は人生の羅針盤であり、生き方そのものです。
日々、思いやりや慈しみ、施し、理解、智慧に基づいた思考を選択し、実践することによって、思考が清らかになっていくでしょう。
その結果、より安穏で幸福な人生を送り、こころを悩ませている悩みや不満、苦しみは消えていくのです。
「おわりに:ネガティブな思考からの解放」より
正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】
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2024/09/22
【新刊】正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉―八正道②
🔸苦しみから解き放たれる道「八正道」の第2の道「正思惟(正しい思考)」
悩み苦しみを生みだす思考を手放し、こころに安らぎをもたらす「正しい思考」を育てるには?
『正思惟〈正しい思考:Samma Sankappa〉
~欲・怒り・害意の手放し方 ― 八正道 ②』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕出村佳子〔訳〕
が刊行されました。
よろしければ、ぜひご一読ください。
目 次
はじめに:大切なこと
第1章 正しく考える(正思惟)ってどういうこと?
人生の羅針盤
「正しい見方」から生まれる「正しい思考」
汚れた思考をキレイにする
毎日、何を考えていますか?
オートモードで働く欲
欲はどこで生じるのか?
生きる上で必要な欲
「欲」と「怒り」のプロセス
第2章 欲は、怒りと害意の出発点
3つの思考は本能的なもの
第3章 苦しみから解放される3つの思考
1.「欲から離れる」思考
欲を手放す3つの実践
2.「怒りのない」思考
怒りを鎮める「慈・悲・喜・捨」の力
3.「害を与えない」思考
怒りの思考 と 害意の思考 の違い
無害の思考を育てるには?
3つの正思惟/邪思惟の関係
「正思惟」を育てるには?
第4章 「言葉」は「思考」を映し出す鏡
おわりに:ネガティブな思考からの解放
著者紹介
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila
タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学仏教研究所刊行『国際仏教ジャーナル誌』の編集委員。
米国ロニン・インスティテュートの研究員。初期仏教経典、アビダンマ、仏教倫理を研究。
カナダのビクトリア大学宗教社会研究センター(CSRS)の元研究員。
欧米、マレーシア、シンガポール、タイ、インド、スリランカの大学や寺院で、講演や法話をおこなう。日本でもオンライン法話会や瞑想会を開催。
◎ブログ:Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話:Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
◎オンライン法話会&書籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html
『正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方 ― 八正道②』
2024/07/31
Q&A(ダンマディスカッション)日常生活で安穏に過ごす4つの法
7月15日に行われたチャンディマ長老による法話会「日々の生活の中で安穏に過ごす4つの法」の終了後、多くの質問をいただきました。
とても興味深い質問でしたので、みなで共有し、理解を深められるよう、いただいた質問をもとに、8月3日(土)9時より(1時間~1時間半)、オンラインで「Q&A(ダンマディスカッション」を開催いたします。
(長老は来られない予定です)
私たちが身近に感じている仕事や財産の扱い方、毎日を安穏に過ごすための4つの法、その他、経典の内容に関することなど、理解を深めていこうと思います。
前回参加されていない方も、ご参加いただけます。
お申込みは下記URLからお願いいたします。
https://forms.gle/tqK2RoKWCVeVeH8r5
Zoomへのアクセスに必要なURL等は、開始時間前までに、ご記入いただいたメールアドレスにお送りいたします。
どうぞお気軽にご参加ください。
生きとし生けるものが幸せでありますように
2024/07/21
『慈悲の瞑想―慈しみの心』新装版が刊行されました!
☆『慈悲の瞑想ー慈しみの心』新装版
バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ著、出村佳子訳(春秋社)
が刊行されました。
自分への思いやりから広がる、他者・社会へのやさしい気持ち。
おだやかに明るく生きるための、心を育てる瞑想ガイド。
多くの方に慈しみが届きますように……
書店等で見かけましたら、ぜひお手にとってご覧いただければ幸いです。
*本文は旧版と同じになります。
2024/07/10
日常を安穏に過ごす4つの法「法話と瞑想 with チャンディマ長老」
2024年7月15日(月・祝)午前10時00分より、
「第26回 法話と瞑想 with チャンディマ長老」をオンライン(zoom)で開催いたします。
今回のテーマは、「日常を安穏に過ごす4つの法」です。
日々、充実感を感じながら心穏やかに過ごすブッダの智慧を学んでみませんか。
どなたでもご参加いただけます。ぜひ、お気軽に🙏
2024/07/06
仲を裂く言葉を使わない『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
人は生まれながらにして、口の中に斧を持っている
愚か者は悪口を言っては、自分を斬り、他人を斬る
ブッダ
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言葉で実践する善行為の2番目は、「人の仲を裂く言葉を使わない」ことです。
その人がいないところで悪口や嫌がらせなどを言い、相手の名誉を傷つけ、仲違いさせることは、悪い行為です。
人は裏で悪口を言いますか? 陰で中傷しますか?
そういう人もいますね。その人がいるところでは別のことを言い、陰では貶したり、悪口を言ったり、中傷したり、ひどいのです。
なぜ、そのようなことをするのでしょうか?
それは、こころに怒りや嫉妬があるからです。他人の幸せや成功が悔しいのです。
ブッダは、言葉における不善行為の2番目は、「人の仲を裂く言葉を言うこと」とおっしゃいました。陰で中傷することは何であれ、このなかに入るのです。
その反対の「人の仲を裂く言葉を言わないこと」が善行為です。そこには「インテグリティ(誠実さ)」があるのです。
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「10の善行為:人の仲を裂く言葉を言わない」より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
2024/06/22
時間:与えられていないものを取らない『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
2 与えられていないものを取らない
身体で実践する善行為の2番目は、「与えられていないものを取らない」ことです。
これは、お金やモノだけではありません。多くの人がよくやっていることがあります。
それは、時間を取ることです。
たとえば、午前10時に取り引き先の会社で人と会う約束をしているとしましょう。
でも、自分が到着したのは午前11時。1時間、遅刻しました。
この場合、(もし理由がなく連絡もしなければ)相手の時間を取ったことになるでしょう。
なぜなら相手はその時間、ほかのことをせずに、自分のことを待っていたのですから。
あるいは、1時間前の9時に到着したとしましょう。
外で待ったり、時間をつぶしたりすることなく、相手に会いに行くとします。
この場合も問題です。
というのも、相手は別の仕事をしているからです。
チャンディマ長老
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「10の善行為:2. 与えられていないものを取らない」より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
2024/06/19
自由と平等へ向けて「仏教から見る女性⑧ 〈最終回〉」
女性が得た真の自由「仏教から見る女性⑦」から続きます。
自由と平等へ向けて
ブッダの時代から幾世紀も経た19世紀~20世紀、女性の解放と自由・平等を求める動きが、特に欧米諸国で活発に起こりました。
これは女性たちが高い教育を受けたことの結果です。
1848年、アメリカでスーザン・B・アントニー(Susan B. Anthony)が先頭に立ち、女性平等を訴える旗を掲げました。
2024/06/15
現象をより明瞭に観る(択法覚支)『こころの栄養――悟りの栄養素:七覚支』より
②区別して調べる(択法覚支)
悟りを支える7つの要素(七覚支)の2番目はなんでしょうか?
択法覚支です。パーリ語で「dhammavicaya-sambojjhaṅga(ダンマヴィチャヤ・サンボッジャンガ)」といいます。
気づきを実践し、念覚支が育っていくと、次に「見ている現象をより明瞭に観る」ことができるようになります。これを「択法(dhammavicaya)」といいます。
択法とは、「さまざまな現象を区別して調査する/調べる」ことです。ものごとを区別して、その特性がよく見えるようになるのです。これは「差別」ではなく、「区別」という客観的な観察になります。
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では、択法(ダンマヴィチャヤ)の「法(ダンマ)」とはなんでしょうか?
「法(ダンマ)」という言葉には意味がいくつかありますが、ここでは「現象の性質」という意味になります。
具体的にいえば、「善・不善」の性質、「非難されるもの・非難されないもの」の性質、「劣・優」の性質、「黒・白・混在」の性質です。
これらの性質を、区別して詳細に観察するのです。
悟りの1番目の要素「気づき(sati)」を十分に実践し、さまざまな現象を絶えまなく観察していると、次に「択法」がおのずと生じます。
択法が生じると、諸々の現象がよりはっきりと見えてくるのです。
心に生じる現象には、それぞれ固有の性質があります。
心はさまざまな現象を区別して、データどおりにその性質を見ることができるのです。
この経典で挙げられているのは、
・善いもの(kusala)
・不善のもの(akusala)
・非難を伴うもの(sāvajja)
・非難のないもの(anavajjā)
・劣っているもの(hīna)
・優れているもの(paṇītā)
・暗いもの(kaṇha)
・明るいもの(sukka)
・暗いものと明るいものが混在しているもの(sappaṭibhāgā)
です。
最後の3つを少し補足しておきましょう。
Kaṇhaとは、暗いものや黒いものという意味で、悪行為・罪のある行為(pāpa)を指しています。
Sukkaとは、明るいものや白いものという意味で、善い行為・徳のある行為(puñña)のことです。
Sappaṭibhāgāとは、暗いもの(黒)と明るいもの(白)の両方が混在しているもののことです。
こうした法(現象)を区別して観察するのです。
択法(dhammavicaya:ダンマヴィチャヤ)の択(vicaya:ヴィチャヤ)とは「調べる」という意味です。
悟りの第1の要素「気づき(sati)」を十分に実践していると、心に「調べ、区別する機能」が育っていきます。
それで「現象(法)がどのようなものか」と、より細かく見えるようになるのです。
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)