2018/10/12

仏教の「悪」の定義「善悪とは? ①‐2」


仏教の「悪」の定義


「悪」の定義は何でしょうか?
それは、「自分と他の生命にたいして迷惑な行為をすること」です。

ここで理解してほしいのは、仏教では対象は「自分」と「他の生命」だということです。自分に迷惑な行為をすることも、悪であり罪なのです。


皆さんは他の生命をいじめることは罪だと知っているでしょう。自分で自分をいじめたり害を与えたりすることも罪なのです。


このように、仏教の悪の定義とは自分と他の生命に迷惑をかけることです。仏教心理学から、この定義を設定しているのです。

2018/10/09

善悪の勉強「善悪とは? ①‐1」


まず善悪の勉強から始める


私たちは善と悪について新たに理解すべきです。みながよく言っている「世界は悪(善)で満ちている」などのセットフレーズに乗るのではなく、実際に「善とは何か、悪とは何か」をちゃんと理性で理解したほうがよいのです。

仏教では、善には二種類あり、悪には二種類あります。それぞれどのような意味なのかを学んでみましょう。

2018/10/07

【Q&A】ブッダの教えとは?②

グナラタナ長老への質問


【Q&A】ブッダの教えとは?① の続き


もちろん、ブッダが説いた気づきの瞑想を知らなくても、人は自分の人生経験から智慧をいくらか得ることもできるでしょう。智慧はいつでも起こりうるものです。
賢い人は、自分の過ちや失敗から学ぶこともできるでしょう。また、なかなかやめられずに続けてしまう愚かで軽率な失敗をくり返すのをやめることもできるのです。

しかし、残念ながら、世の中は混乱した教えや混乱した人、混乱した影響でいっぱいです。混乱した教えや思考は、人を迷わせます。それで多くの人は何を受け入れるべきか、何をやめるべきかを判断しきれなくなっているのです。


『ブッダの教えとは?』グナラタナ長老〔著〕出村佳子〔訳〕
『パティパダー10月号』


ブッダの「道」



こうした混乱の中、ブッダは「道」明確に示されました。どのような「道」でしょうか?



まず、「道」の基盤となる戒律(戒)です。私たちはこの戒律を守らなければなりません。

「道」を歩み続けるために必要なものが、心の強さ――集中力(定)です。

そして「道」を歩んでいるときに持つべき目標が、智慧(慧)なのです。

この「道」の到達点(ゴール)は何でしょうか? 
「覚り」であり「解脱」です。苦しみが完全に滅した境地なのです。



 これが唯一の道である。

 見を清らかにするために、

 これ以外に道はない。

 この道を歩むがよい。

 マーラを迷わせるであろう。

 

 この道を歩めば、

 苦しみが終わるであろう。

 矢(欲)の抜き方を知り、

 私はこの「道」を説く。


 ダンマパダ274-275



 Ese va maggo natthañño,

 dassanassa visuddhiyā;

 Etañhi tumhe paṭipajjatha,

 mārassetaṃ pamohanaṃ.

 

 Etañhi tumhe paṭipannā,

 dukkhassantaṃ karissatha;

 Akkhāto ve mayā maggo,

 aññāya sallasanthanaṃ.

       

 Dhammapada 274-275