2019/07/14
勉強会2・しのさんのレポート
2019/07/05
この一瞬のことだけに気づく
2019/06/24
生きるとは変化すること
存在の法則
2019/05/18
業(kamma)は直線ではない―生き方を変えられるのは、いま:『マハーカンマヴィバンガ・スッタ(大業分別経)』
すでにやってしまった行為を過去に戻って取り消すことは、私たちにはできません。
いくら悔やんだり、悩んだりしても、やった出来事をなかったことにすることはできません。
それなら、どうすればよいのでしょうか? 苦しみの報いを受けるしかないのでしょうか?
ブッダはその解決策を教えてくださっています。
それは、「いま最善を尽くして、善い行為をすること」です。
過去はもう戻ってきません。
将来はどうなるのかわかりません。
でも、いまの瞬間なら、その条件の中で、ある程度はどのようにでもできるのです。
この経典では、「業(行為と結果の現れ方)は直線ではない」ということが説かれています。
もし「業」が直線で、すでに定められているなら、過去におこなった悪行為にたいして、私たちはもうどうすることもできません。苦しみの報いを受けるしかないでしょう。
でも幸い、「業」は直線ではありません。あらゆるものごとは無常であり、変化しています。
チャンディマ長老は、だからこそ、ブッダが説いた「業の複雑性」を理解して、常に正見を保ち、いまを最善に生きるよう、強くすすめてくださっています。
結局のところ、私たちが今後どうなるのか、どう死ぬのか、どこに生まれ変わるのかということは、いまをどう生きるのかにかかっているのでしょう。
本書は、過去のことに左右されず、いま心を清らかにし、正見を持って、「道」を前向きに歩んでいくことについて説いた、チャンディマ・ガンゴダウィラ長老による経典解説講義の日本語訳です。
2019/05/12
慈悲といっしょに育てるべきもの
それは、智慧です。智慧を開発するためには、いまの瞬間、自分の心と身体に何が起こっているか、それを観察しなければなりません。観察していくと、見事に智慧が現れるのです。これは、気づき vipassana の実践で、ものごとをありのままに観察する方法です。
2019/05/09
勉強会・しのさんのレポート
4月に行われた勉強会(湘南ダンマサークルさん)のレポートを、しのさんがブログ「瞑想以前」で5回に分けて書いてくださいました。当日の様子が伝わってきます。ありがとうございます。
8ステップマインドフルネス勉強会1 http://meisouizenn.blog.fc2.com/blog-entry-1436.html …八正道を翻訳者の出村佳子さんと勉強する会でした
8ステップマインドフルネス勉強会2 http://meisouizenn.blog.fc2.com/blog-entry-1437.html …宝くじを買うのが因なら、果は何?
2019/05/01
真理の発見は、自利・利他を超える「善悪とは?⑧」
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もし皆様の周りに理性のある人がいるなら、その人の影響を受けるようにするとよいでしょう。
でも、世間の話にはあまりのらないようにしなければなりません。仏教は「貪・瞋・痴の影響は受けないように」と教えています。
このように話すと、「それは自己中心的な態度ではないか」と思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。
ときどき、「自分のために修行したり、瞑想したりすることはわがままな行為だ」「それは自分のことしか考えていない自利の行為ではないか。我々は利他の行為をしなければならない」などと言う人がいます。
でも、その考えは正しくありません。自利とか利他という考えは、善悪とは何かを知らない人が作った概念なのです。
修行をしたり、瞑想をしたり、自己を観察したり、自己を戒めたりする行為は、けっして自己中心的なことではありません。なぜなら、その人は「すべての生命に共通する命の衝動」を発見するからです。
2019/04/13
妄想の対処法:認識プロセスを観察し、妄想ループを断ち切る―『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』
事実をあるがままに観察し、
妄想のループから離れるための本
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『妄想の対処法:マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』 |
なぜ、思考は事実から離れて、勝手にイメージを作りあげていくのか?
妄想(ねつ造)や主観は、どのように起こるのか?
私たちは、いつでも気づかぬうちに思考にとらわれ、妄想の渦に巻き込まれています。
事実を客観的に見るではなく、起きた現象にたいして、頭の中でイメージを膨らませ、悩んだり、怒ったり、心配したり、不安になったりして、多くの時間を費やしています。
この問題を、どのように解決できるでしょうか?
ブッダは「妄想の対処法」を説かれ、妄想(主観)が発生する原因と、そのプロセスを観察するよう教えられました。
仏教はいつでも原因をあるがままに観察するよう教えています。(*ここでの原因とは、眼耳鼻舌身意と色声香味触法です)
妄想に巻き込まれず、原因を観察すれば、妄想がどのように生起するのか、そのプロセスが見えてくるでしょう。
それによって、妄想を根っこから絶ち切ったり、あるいは弱めたり、悪い方向に妄想しないようにしたりなど、おのずと解決策が見えてくるのです。
本書は、中部経典 第18経『マドゥピンディカ・スッタ(密丸経)』をもとに、「妄想や主観が起こるプロセス」と「その対処法」についてわかりやすく説いた、スリランカ出身、カナダ在住の、G.チャンディマ長老による経典解説の講義に、加筆いただいたものの日本語訳です。事実をあるがままに観て、主観や妄想のループから離れるための、一冊です。
〈目次〉
第1章 事実を見れば、妄想は静まる-『マドゥピンディカ・スッタ(密丸経)』
■「パパンチャ(papañca)」とは何か?
■ 思考を増殖させるものー渇愛・慢・見
■ 妄想のプロセス
■「主観の世界」から「客観の世界」へ
■ 妄想のループを破るには?
■ 原因にアプローチする
■ 妄想からの解放
第2章 Q&A― 原因に気づき、思考の舵をとる
■ コントロールか? 管理か?
■ 思考を色づけるもの
■『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』の名前の由来
■ 縁起(paṭicca-samuppāda)の法則
■ 思考の舵をとる
〈著者プロフィール〉
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawilaテーラワーダ仏教長老。
スリランカの国立スリジャヤワルダナプラ大学で、学士号(優等学位)を取得。人文社会科学部において、最優秀者賞を受賞。博士号を取得。カナダに渡り、ブリティッシュコロンビア大学で4年間、仏教チャプレンを務め、さらにヴィクトリア大学で教鞭を執る。
現在、カナダのオタワ・テーラワーダ・ブッディストヴィハーラに在住。カナダを中心に、イギリスのケンブリッジ大学、アメリカ、マレーシア、タイ、スリランカの大学や寺院で、講義や法話をおこなっている。
著書に『幸せへの鍵:慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』『業(カルマ)は直線ではない――生き方を変えられるのは、いま:マハーカンマヴィバンガ・スッタ(大業分別経)』(Sukhi Hotu)、英語の主な著書・論文に“A Critical appraisal of the contribution of Germany and France to Sanskrit studies”, “An Annotated Translation Into English Of Ratnamālāvadāna With A Critical Introduction”などがある。
Paṭisota(YouTubeチャンネル)で、ブッダの教えを伝え続けている。
2019/04/08
【お知らせ】八正道勉強会
2019/04/03
自分自身を戒める
だからといって、すべての人がこの「対話」の手段を使えるかというと、そうではありません。対話形式で話し合い、相手のことを理解して、互いに納得して合意に達することは、心が落ち着いている人でなければ出来ないことです。
普通の人はいきなり、「あ、それ、おかしいですよ」などと言って、すぐに判断してしまいます。でも、これはやめなければなりません。
対話をするためには、けっこう能力が必要です。判断せずに、話し合わなければなりません。対話ができれば、最終的に自動的に合意に達することができるでしょう。
では、対話ができない場合はどうしましょうか?
できなかったら、それはそれでよいのです。代わりに、自分を直すことに頑張るのです。人の能力はさまざまですから、対話をしたり、他人を諭したりする能力がない人も、たくさんいます。その場合、自分自身が悪行為をしないよう、戒めればよいのです。
自分自身を戒めましょう。自分を戒めることで、他人の役に立つことができるのです。
生命の本能は悪(貪・瞋・痴)
悪はやりやすく、善は行い難いものです。
善行為をする人は、自分の本能と闘っています。皆様もときどき何か善いことをしようとするとき、「恥ずかしい」と思うことがあるでしょう。あれは本能と闘っているからです。
電車でちょっと席を譲るだけでも、恥ずかしいと思うでしょう。ほんのわずかな善行為をするためでも、やはり本能と闘わなければならないのです。
成功の度合いによって、人格が向上する
このように、ちょっとした善行為をするためにも、私たちは自分の本能と闘わなければなりません。
本能に勝てば、成功したことになります。本能に勝ったということは、貪・瞋・痴の悪に勝ったということです。人格が向上したということなのです。
周りの真似をする人の人生
周りがやっていることを真似する人は、人格がなかなか成長しません。そのままで止まってしまいます。
皆がやっているからやりましょうと真似することは、ある意味、危険なことなのです。だって、その「皆」は覚っているのでしょうか? 智慧があるのでしょうか?
多くの人はたいてい感情的で、簡単に人を騙したり、人に騙されたりするものです。ですから「皆がやっているから私もやります」というのは危険なことです。
皆がやっているかいないかは、どうでもよいことです。善いことなら、周りに関係なく、自ら進んで実践することが大切です。勇気を出して、前に進まなくてはならないのです。
A. スマナサーラ長老
善悪とは?⑧-1『自分自身を戒める』
文責:出村佳子
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善悪とは?
①-2)不善と悪の違い
②-1)悪と不善・功徳と善の関係
②-2)悪と不善に完成はあるか?
③-1)功徳と善に完成はあるか?
③-2)善行為は完成できる
④-1)功徳から善への進み方①
④-2)功徳から善への進み方②
⑤-1)自己を観察し「平等」を理解する
⑥-1)他の役に立つように生きる
⑦-1)「自分は悪いことをしない」と決める
⑦-2)対話と理解



