2019/02/16

脳細胞を元気にする(人生改良計画③-1)

2011-07-26 Tue 人生改良計画3 -1

妄想は時間の無駄


役に立たない思考、実行できない思考、自分を悲しませる思考、落ち込ませる思考、混乱させる思考など、思考にはいくらでもあります。これらをまとめて、妄想といいます。データに支えられていないから妄想というのです。


たとえば「自分はダメな人間だ」と思っている人がいるとしましょう。なぜ「ダメだ」と考えるのでしょうか?
何かをやってそれがうまくいかなかった。それで、私はダメだと考えるからです。

でも、その「ダメ」というのはその人のすべてでしょうか?

何か失敗したといっても、それは長い人生のなかの、ある一つの出来事にすぎません。それに、自分がやることはなんでも成功するのでしょうか? 私たちはいろんなことにチャレンジしますが、実際に成功するのは千分の一、いや一万分の一ぐらいではないでしょうか。

なのに、ある一つの失敗だけを見て、「自分はダメだ」とすべてを否定して悩むのです。ですから、いかにこの思考が屁理屈で非合理的な思考かということがお分かりになるでしょう。

現実的に考えるなら、「これをやりましたが失敗しました。次にこれをやったらまあまあで、これがまたダメで、これはなんとかうまくいきました。でも次はまたダメで……」と、この連続なのです。

たとえば、仕事で大きなミスをしたとしましょう。たいていの人は「大変だ。取り返しのつかないことをやってしまった。やばい、どうしよう」とあれこれ悩んで混乱します。これでは落ち着いて問題に対処することなどできません。大騒ぎして何の役に立つでしょうか。

そこで、論理的にこう考えてみるのです。もしその問題が解決できるものなら、心を落ち着けて、解決できるよう努力すればいいでしょうし、もし解決できないものなら、「この仕事はうまくいかなかった。今はもうどうすることもできません。では、次の仕事にいきます」と瞬時に頭を切り替えて、次の仕事をしっかりやればよいのです。

このように、余計なことを考えずに、自分はダメだと妄想せずに、事実のところできれいにストップするなら、心は混乱しませんし、時間もずいぶん残るのです。思考を極力ケチると、ものすごく時間が残るのです。

「忙しい、時間がない」という人は、なぜ時間がないのかというと、たいてい妄想ばかりして時間を無駄に使っているからです。

たとえば、「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ。毎日、掃除と洗濯と料理だけで一日が終わってしまう」と、不平ばかりこぼしている家庭の奥さんは、なぜそんなに忙しいかというと、四六時中、無駄な妄想をしているからです。そのため、一つのことにあまりにも時間がかかってしまうのです。何も妄想せずに淡々と料理を作るのと、あれこれ妄想しながら作るのとでは、どちらが早いでしょうか? 当然、妄想しない方です。


『人生改良計画』スマナサーラ長老法話(文責:出村佳子)


どんな人でもスピーディに手際よく物事をやりたいでしょう。妄想さえしなければ、ものすごいスピードが生まれてきます。無駄が消え、仕事が早く進むのです。

そこで考えてみましょう。なぜ私たちは無駄なことをするのでしょうか? なぜ失敗するのでしょうか? なぜやり直しになるのでしょうか? なぜ一回できちんとできないのでしょうか?

すべて妄想のせいなのです。たとえば、ある会社に長年勤務している50歳の男性が、会社の改良のため、今まで一度もやったことのない仕事の分野にまわされたとしましょう。そうすると、はじめての仕事ですから、当然、何一つ分かりません。それでも今までの仕事の経験がありますから、たとえ仕事の内容が違っても、少々頑張れば一週間ぐらいで慣れるはずなのです。

しかし、そうはなりません。妄想して、前の仕事に戻りたいとか、こんな歳になってなんで新しい仕事を憶えなくてはいけないのかとか、もとの部署に戻りたいとか、あれこれ妄想します。

ですから一週間で憶えられる仕事が、何か月間もかかるのです。新しい仕事に適応できなければ、会社はいい顔をしません。だんだんお荷物扱いするようになるでしょう。


スピーディーな人


自分には能力がない、仕事ができない、新しいものを身につけることができないなど、いろいろ問題があるのは、自我をつくって妄想しているからです。妄想で、頭がクタクタに疲れているのです。脳細胞が全部使用済みで、もう使えない状態です。それもほとんど役に立たないことばかりに使ってしまったため、能力がないのです。

スピーディーな人は、無駄な思考をしません。それで成功するのです。「今晩のおかず、何にしようか」と一分で考えるのと一時間かけるのと、どちらが有効でしょうか? 

当然、一分で考えるほうです。その余った五十九分の時間で何か役立つことをし、そのようにして毎日を生きているなら、人生が成功しないはずはないでしょう。

すべてのものは無常です。変化するのです。この「あらゆるものはすべて変化する」ということを理解するなら、私たちはいろんなことを身につけることができるでしょう。(続きます)

2019/02/11

『智慧への道』気づきと正知による心の観察


★このブログにて少しずつ公開していきます。

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『アチャン・チャー法話集』全3巻をすべて訳し終えられたことに、いま、ほっとしております。肩の荷がおりました。

2008年より数年間、『Patipada』にてアチャン・チャー法話の翻訳を始め、その後、出版社より翻訳出版のお話をいただきました。

長年、アチャン・チャーの法話に触れてきました。

このように続けてこられたのも、読んでくださる皆さまの、あたたかいお声かけと励ましがあったからこそです。

この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。


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【新刊のお知らせ】

智慧はどのように現れ、私たちを覚りに導くのでしょうか?

アチャン・チャー法話集 第三巻『智慧への道――気づきと正知による心の観察』が刊行されます。

智慧と思考の関係は? 正見とは? 無執着とは? など、第三巻には "智慧" に関する法話が収められています。よろしければ、ぜひその智慧に触れてみてください。



アチャン・チャー法話集 第三巻『智慧への道―気づきと正知による心の観察』アチャン・チャー著、出村佳子訳
アチャン・チャー法話集 第三巻
『智慧への道――気づきと正知による心の観察』


1970 年代から80 年代初頭にかけて、アチャン・チャーが、タイやイギリスの出家者・在家者に語った法話の中から、珠玉の16 法話を収録。
20 世紀を代表するタイ森林派の名僧は、出会った人々の心に寄り添い、その瞬間ごとにダンマを説かれてきました。
ものごとをあるがままに見ること、そして、無執着の実践をくり返し強調し、苦しみを滅する道を指し示してきた賢者の智慧に触れる一冊


目 

23 「観察」とは何か?
24 ダンマの性質
25 コブラを扱うように
26  心の「中道」
27 やすらぎを超えて
28 「世俗」と「解脱」
29 変わらないものはない
30 正見――落ち着きの場
31 本当の家
32 四聖諦―四つの聖なる真理
33 「トゥッチョー・ポーティラ」中身のない長老
34 聖者の基準―「確かなものはない」
35 静かに流れゆく川
36 超越
37 「無条件」へ
38  エピローグ
用語解説、注、出典
訳者あとがき
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生きとし生けるものが幸せでありますように

2019/02/08

他の役に立つように生きる「善悪とは?⑥」


他の役に立つように生きる


世の中を直そうとすることは、自我でおこなう悪行為です。

世直しをすることなど、私たちにはとうていできません。

前の号で「功徳」について説明したとき、功徳は完成させることができないということをお話しました。いくら功徳を積んでも、やるべきことが残っているからです。これが死ぬまで続いていくのです。

世直しも、これと同じです。世直しは、いくらやってもやりきれません。不可能なことで、ありえないことなのです。


そこで、世直しをするのではなく、人の役に立つことをして生きてみてください。

役に立つ行為をしている人を非難する人はいますか?

いないでしょう。

いないんだったら、人の役に立つことを実行すればどうでしょうか?

どんな宗教でも「人の役に立つ行為は善いことだ」と言っています。

ですからやってみてはいかがでしょうか。


世の中には、社会を直しましょう、皆を愛しましょうなどのスローガンが溢れています。

一見、とても美しい言葉のように感じます。

しかし、みな不完全な言葉に惹かれるだけで、スローガンに実行力はないのです。

言葉というものは、人を感動させるために使うよりは、人々の役に立つために使ったほうがよいのです。


これから、人に何かを教えるときのポイントを説明いたします。



・個人攻撃をしない


誰かの生き方に過ちや間違いが見えたとき、「おまえが悪い」と言うのはやめてください。

真理を知っている人にとっては、「おまえ」や「私」ということは存在しません。「みな生命だ」と見るのです。

その人は、「生命は過ちをするものであり、やってはいけないことをするものだ」ということを理解しています。

それで、相手を責めるのではなく、「そんなことをしたらどんな結果になると思う? これをやり続けてもいいと思う?」と聞くのです。


あるいは、やったことにたいして「まあいい、終わったことだから。今日から真面目に生きましょう」と、それだけ言います。

そうすると、言われたほうは安心して、気持ちが落ち着きます。

こんな優しい人にもっと信頼されたいという気持ちになり、善行為をするようになるかもしれません。

これが正しい世直しのやり方なのです。



・客観的な事実を語る


他人に道徳を語るときは、宗教、信仰、主義などの先入観を入れずに、客観的な事実を話さなければなりません。

みんな、何かを話すときは自分の言葉に権威をつけるために、すぐ宗教や自分の信仰を持ち出すのです。

そうすると対話ができなくなります。

たとえば「神様が禁止しているから〇〇をやってはいけません」と言う人に、「自分は神様を信じていません」と言えば、それで話しは終わってしまうのです。


他人に道徳を語るときは、宗教や信仰、主義などの先入観を入れてはいけません。

文化も使ってはいけません。文化は変わるものですから、そういうものを使って人を育てることはできないのです。

私たちはその間違いをよくやっています。



仏教がいう「善・不善・功徳・悪」は、すべての生命に共通する普遍的なものです。

ある特定の宗教の教えでも、哲学でもありません。人が否定することは不可能なのです。


・自分で実践して体験する


自分がまず実践して、体験することが大切です。

その後、他人に話すのです。

他人の過ちを直す場合は、お釈迦様の言葉づかいを学んでみてください。

お釈迦様はビシッと完璧に語られるのですが、個人攻撃はしません。

相手の尊厳を害すことはしないのです。


お釈迦様は一度も「汝は殺生するなかれ」と命令したことはありません。

出家者にたいする戒律項目はそういうふうにありますが、そのときでも極力命令することは避けています。


命令するというのは、人権侵害です。お釈迦様は指令ではなく、「幸福になりたければ、殺生をやめたほうがいい」とか、「自分の幸福を目指す賢い人は殺生しません」とおっしゃいます。

「あなたは殺生するなかれ」と命令しません。

このような言葉を使っていましたから、お釈迦様に逆らうことは誰もできなかったのです。



他の役に立つように生きる スマナサーラ長老(根本仏教講義『善悪とは?⑥』/文責:出村佳子)



直せるのは一部の人だけ


私たちが直せるのは、自分と関係のある、自分の影響力が伝わる人だけです。

お釈迦様の場合は特別な能力がありましたから、影響力はものすごく強力で、広大に及びました。

お釈迦様に会って5分か10分話すだけで、その人は善人に変わったほどです。

他宗教の人はこれを間違えてとらえて、「お釈迦様は魔力を使っているのではないか」と言う人もいましたが、あれは魔力ではありません。



私たちが直せるのは、自分と関係のある、自分の影響力が伝わる人だけです

私たちに大それた世直しはできません。


たとえば私の話を聞くのは、私に関係がある人たちだけです。

この説法も、こちらに来た皆さま、あるいはこれを読んでいる皆さまだけにしか届きません。

自分の影響力が伝わる人だけなのです。

ですから、そんな程度で、私たちの能力はいつでも限りがあるということを理解しなくてはいけません。



そこで、自分の限られた範囲内で他人に「道」を教えましょう。

世直しをしたり、非難合戦をしたり、「なんだこの世界は」とか「この世界はろくでもない」などと言って精神的に苦しんだり病気になったりする必要はないのです。



たとえば自分の子供が何か間違ったことをしたら、それは直してあげます。

となりの家の子が間違ったことをした場合には……、

何も言わないほうがいいでしょうね。

もし、自分の子供が「となりの子もやっているから」と言ったら、こう話してください。「それはかまいませんよ。君が立派な善い人間になってほしい」と。


(続きます)


生きとし生けるものが幸せでありますように