③ 儀式・儀礼・行への執着(戒禁取)
sīlabbatupādānaṃ
これはよく調べて理解しないと、気づきにくい執着です。
善い習慣の6番目は、「アナティマーニー(anatimānī)」です。
これは、傲慢ではなく謙虚であることです。
なぜ、謙虚さを身につける必要があるのでしょうか?
謙虚な人は、現実的で、正直で、地に足が着いています。
私たちは地に足をしっかり着けて生きるべきであって、宙に浮いたようにフワフワしていてはいけません。
威張って傲慢で生きるべきではありません。
そのためには、謙虚で落ち着いている必要があります。
ブッダは私たちに、いつでも謙虚でいるようにとおっしゃいました。
謙虚でいることは、私たちが生きるうえで非常に重要なことです。
ブッダはとても謙虚な方でした。悟りを開く前、どの過去世においても菩薩として謙虚でいたことの例が、『ジャータカ物語(前世物語)』に記されています。
どの「生」でも、ブッダはずっと謙虚な性格でいたのです。
私たちも、謙虚さを習慣にし、身につけるべきです。
謙虚でいることは、悟りに達するために欠かせない要素なのです。
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 6. 謙虚さ(anatimānī)」より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
この点について、もう少し説明いたしましょう。
私たちは同じものを見ているのに、なぜ違う世界を感じるのでしょうか?
同じ音を聞いているのに、なぜ違う印象を受けるのでしょうか?
それは、私たちのこころや身体、知識、経験、価値観が違うからです。個々の感覚、経験、考え方によって、ものごとのとらえ方が異なるのです。
たとえばバラの花を見たとき、あなたはどんな気持ちになりますか?
嬉しいですか? 悲しいですか? 美しいと感じますか? イヤだと感じますか? それとも何も感じませんか?
人によってバラの花にたいする気持ちはさまざまです。それはバラの花が、あなたにとってどんな意味や価値観を持つかによって決まります。
バラの花が好きな人は、喜びを感じるかもしれません。嫌いな人は、イライラするかもしれません。トゲに刺さってケガをしたことがある人は、嫌悪感を持つかもしれません。バラの花に興味がない人は、何も感じないかもしれません。
このように、同じものを見ても感じ方やとらえ方、見方は人それぞれです。バラの花にたいする気持ちや感情が異なるからです。ですから同じものを見ても、それぞれ見方は違うのです。
第2章 なぜ、ありのままに見られないのか? より
正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道 ①
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】
五欲への執着を戒める"戒と律"「自由への突破口③-1」からの続き
執着の二番目は、見解への執着(見取)diṭṭhupādānaṃ です。
誰にだって自分の考えがあります。人は情報を認識すると、心に概念が生じます。
たとえばテーブルに触れたとき、身体は「硬さ」と「熱」しか感じません。
でも、頭の中では「これはテーブルだ」と考えます。
そういう感じで頭の中に概念が起こるのです。
あなたは「自分の見方が正しい」と思いますか?
たとえば、あなたは「りんごが赤い」と思っています。でも、となりの人は「りんごは青い」と言っています。
あなたは自分の見方が正しいと思いますか? となりの人の見方が正しいと思いますか?
それとも、どちらも正しいと思いますか? 間違っていると思いますか?
自分の見方が他人の見方と違うとき、どう感じますか?
正しい見方――正見――とは、どのようなものでしょうか?
この本では、正しい見方「正見」について学んでいきます。「正見」を理解するために、主に以下のポイントをお話いたします。
まず、「正見とは何か」についてお話します。正見とは、ものごとの本質や真理をあるがままに見ることです。この正見によって、苦しみから解放されることができるのです。
それから、「正見をさまたげるもの――〈見〉と〈邪見〉」について解説します。正見をさまたげるものとはどのようなものでしょうか?
それには偏見や先入観、主観などがあります。これは自分の経験や知識、感情、欲、希望、願望、好き嫌いなどによって、ものごとを判断したり決めつけたりすることです。この「見」や「邪見」があることで、ものごとの本質や真理が見えなくなり、誤った見方をしてしまうのです。
最後に、「正見を育てる方法」についてお話いたします。
実際に実践することにより、偏見や先入観、主観(邪見)が少しずつ取り除かれ、ものごとの本質や真理を見抜けるようになっていくでしょう。
それでは、一緒に学んでいきましょう。
「はじめに:りんごは赤い?」より
正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道 ①
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】