ラベル チャンディマ長老 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル チャンディマ長老 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024/01/19

謙虚さ『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

 

6.謙虚さ(anatimānī


善い習慣の6番目は、「アナティマーニー(anatimānī)」です。
これは、傲慢ではなく謙虚であることです。


なぜ、謙虚さを身につける必要があるのでしょうか?



謙虚な人は、現実的で、正直で、地に足が着いています。


私たちは地に足をしっかり着けて生きるべきであって、宙に浮いたようにフワフワしていてはいけません。

威張って傲慢で生きるべきではありません

そのためには、謙虚で落ち着いている必要があります。


ブッダは私たちに、いつでも謙虚でいるようにとおっしゃいました。

謙虚でいることは、私たちが生きるうえで非常に重要なことです。

ブッダはとても謙虚な方でした。悟りを開く前、どの過去世においても菩薩として謙虚でいたことの例が、『ジャータカ物語(前世物語)』に記されています。

どの「生」でも、ブッダはずっと謙虚な性格でいたのです。


私たちも、謙虚さを習慣にし、身につけるべきです。
謙虚でいることは、悟りに達するために欠かせない要素なのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 6. 謙虚さ(anatimānī
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2024/01/12

外に投影されたこころの世界│『正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① 』


外に投影されたこころの世界


この点について、もう少し説明いたしましょう。

私たちは同じものを見ているのに、なぜ違う世界を感じるのでしょうか?
同じ音を聞いているのに、なぜ違う印象を受けるのでしょうか?




それは、私たちのこころや身体、知識、経験、価値観が違うからです。個々の感覚、経験、考え方によって、ものごとのとらえ方が異なるのです。


たとえばバラの花を見たとき、あなたはどんな気持ちになりますか?

嬉しいですか? 悲しいですか? 美しいと感じますか? イヤだと感じますか? それとも何も感じませんか? 


人によってバラの花にたいする気持ちはさまざまです。それはバラの花が、あなたにとってどんな意味や価値観を持つかによって決まります。

バラの花が好きな人は、喜びを感じるかもしれません。嫌いな人は、イライラするかもしれません。トゲに刺さってケガをしたことがある人は、嫌悪感を持つかもしれません。バラの花に興味がない人は、何も感じないかもしれません。


このように、同じものを見ても感じ方やとらえ方、見方は人それぞれです。バラの花にたいする気持ちや感情が異なるからです。ですから同じものを見ても、それぞれ見方は違うのです。


第2章 なぜ、ありのままに見られないのか? より

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道 ①

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① チャンディマ長老

2024/01/08

はじめに:りんごは赤い?│『正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① 』


あなたは「自分の見方が正しい」と思いますか?


たとえば、あなたは「りんごが赤い」と思っています。でも、となりの人は「りんごは青い」と言っています。

あなたは自分の見方が正しいと思いますか? となりの人の見方が正しいと思いますか?

それとも、どちらも正しいと思いますか? 間違っていると思いますか? 

自分の見方が他人の見方と違うとき、どう感じますか? 

正しい見方――正見――とは、どのようなものでしょうか?

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① チャンディマ長老


この本では、正しい見方「正見」について学んでいきます。「正見」を理解するために、主に以下のポイントをお話いたします。


まず、「正見とは何か」についてお話します。正見とは、ものごとの本質や真理をあるがままに見ることです。この正見によって、苦しみから解放されることができるのです。


それから、「正見をさまたげるもの――〈見〉と〈邪見〉」について解説します。正見をさまたげるものとはどのようなものでしょうか?

それには偏見や先入観、主観などがあります。これは自分の経験や知識、感情、欲、希望、願望、好き嫌いなどによって、ものごとを判断したり決めつけたりすることです。この「見」や「邪見」があることで、ものごとの本質や真理が見えなくなり、誤った見方をしてしまうのです。


最後に、「正見を育てる方法」についてお話いたします。

実際に実践することにより、偏見や先入観、主観(邪見)が少しずつ取り除かれ、ものごとの本質や真理を見抜けるようになっていくでしょう。


それでは、一緒に学んでいきましょう。

 

「はじめに:りんごは赤い?」より


正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道 ①

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ①  ありのままに見る智慧│チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

2024/01/06

【新刊】正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ①

 

苦しみから解き放たれる道「八正道」の要となる「正見(正しい見方)」とは?

・正見とはどのようなものか?
・正見を妨げているものは何か?
・正見の育て方

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉― 八正道 ①』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕出村佳子〔訳〕

新刊(電子書籍が刊行されました。よろしければ、ぜひご一読ください。


◇ ◇ ◇ ◇ 

 目 次


   はじめに りんごは赤い?


 第1章 苦しみから解放される道「八正道」

4つの真理が教えてくれること

8つの正しい道――八正道

中 道

「正見」の2つの役割

 

 第2章 なぜ、ありのままに見られないのか?

外に投影されたこころの世界

ありのままに見るために欠かせないこと

 

 第3章 見方はどのように生まれるのか?

見方が苦しみを生み出すプロセス

落ち着きのこころ「ウペッカー」

 

 第4章 正見とは?

太陽のように明るく照らす「正見」

「正見」は八正道のタネ

誤った見方に気づく

 

 第5章 進むべき道を示す地図とコンパス

見方を超える「No views」

歪んだ認知から離れる

「道」を歩むために――正しい判断力

なぜ、見方に執着してしまうのか?

 

 第6章 苦しみを引き起こす「邪見」

常住論と断滅論

62種の邪見

6人の思想家たち

 

 第7章 正見の実践

   ①10項目の正見

   ②四聖諦の正見

   因果法則としての四聖諦


 第8章 正見は八正道のかなめ

   他の道をサポートする正見

   見方への執着を捨てれば、苦しみはない

   「善」のほうへ

 

 おわりに 智慧の眼で見る


 著者紹介


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila

12歳のとき出家。スリランカの国立スリジャヤワルダナプラ大学で学士号(優等学位)を取得。最優秀賞受賞。博士号を取得。
カナダに渡り、ブリティッシュコロンビア大学で4年間、仏教チャプレンを務め、ヴィクトリア大学で教鞭を執る。
現在、欧米、マレーシア、シンガポール、タイ、インド、スリランカの大学や寺院で、講演や法話をおこなう。
日本でもオンライン法話会や瞑想会を開催。
タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学発行『国際仏教ジャーナル誌』の英語エディター。

◎ブログ:Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話:Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
オンライン法話会&書籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html



正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道 ① 




2023/12/23

自分と他者のまもり方『セルフケア: ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』より


ブッダが教えた「自分と他者のまもり方」


みなさんは日々、自分を大事にまもっていることと思います。


ケガをすれば手当てをし、病気になればクスリを飲み、お腹が空けば何かを食べ、疲れたら休むなど、自分を大事にまもっているでしょう。ケガをしたまま、のどが渇いたまま、お腹がすいたまま、何日もほったらかしにしている方はいらっしゃらないと思います。


また、家族や財産も大事にまもっているでしょう。家の玄関にカギをかけたり防犯カメラをつけたりなど対策をしっかりとっているのではないでしょうか。


このように、人はさまざまなかたちで自分自身や家族、財産などをまもっています。

でも、それで十分でしょうか? 何か忘れているものがありませんか?

「心」はまもっているでしょうか? 「思考」はどうでしょうか?


ある日、ブッダは「自己を真にまもるとはどのようなことか」、また「自己をまもっているかどうかを見分ける方法」について説かれました。



ご紹介する経典は、「Attarakkhita Sutta(アッタラッキタ・スッタ)」です。

Atta(アッタ)とは「私」や「自己」という意味、rakkhita(ラッキタ)とは「まもられている」という意味で、合わせて「自己がまもられている」という意味になります。


「自己をまもる」とは一般的に、内と外から生じうる危険、危害をもたらす関係や状況など、さまざまなトラブルから自己をまもるということです。


まもることができたら、次に安全を保つ必要があります。
安全とは何でしょうか?


ひとつは身体の安全です。なかでも健康ですね。私たちはみな身体を持っています。身体を持っているかぎり病気になることは免れませんが、それでもできるかぎり健康を保つようケアをし、メインテナンスをすることが必要なのです。


ブッダは『ダンマパダ(Dhammapada)』において、

「健康は最上の利得である」
(Ārogyaparamā lābhā)

と説かれました。


利得には、お金や財産、繁栄、成功、地位などいろいろなものがありますが、どんな利得よりも健康が最高の利得である、とブッダはおっしゃっています。

健康であるからこそ、私たちは元気に活動したり、働いたり、善い行為をしたりすることができるのです。


それから、「身体」や「財産」をまもることより大切なのは、「心」をまもることです。「心」をまもることは、ほかの何をまもることよりも遥かに大切なことなのです。


『セルフケア:ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』
「はじめに:ブッダが教えた 自分と他者のまもり方」より

 




2023/12/16

原因と結果の法則を理解する『喜び〈Mudita〉ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる: 嫉妬の手放し方 』より

 

嫉妬への対処法


業(kamma)


どのように嫉妬に対処することができるのでしょうか?


たとえば、同じ時期に入社した同僚が自分よりも先に出世すると、こころに嫉妬がわき起こります。「あー、自分は成功していない」とか「自分には能力がない」と考えて、相手にたいして嫉妬を感じるのです。


このとき、こころの中でフォーカスしているのは何でしょうか?


「自分には能力がない」「あの人はできるのに自分はできない」といったことです。




ここで私たちがすべきことは、視点を変えることです。「自分にはない」「自分はできない」と見ることから、「あの人はこれまでの人生、あるいは過去世で努力してきた。だから、いまその結果を得ている」と理解することです。


たとえば友人が昇進により収入がアップし、新しい車や新しい家を購入したのを見たとしましょう。嫉妬の強い人はたいていすぐに自分と比較して、「うらやましい。自分も欲しい。なんで自分にはないのか」という気持ちになります。


こころには「比較する」という働きがあります。誰かが幸せなのを見ると、「なんで自分は持っていないのか」「なんで自分にはないのか」と比べて、「自分は持っていない」「自分にはない」と嫉妬してしまうのです。


そこで、業の法則にあてはめて正しく理解するようにしてください。「この人はこれまで頑張って努力してきた。その結果をいま受けている」と理解するのです。正しく理解できれば、こころは落ち着いていくでしょう。


このように「原因と結果の法則」を観て理解することにより、嫉妬を克服することができるのです。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老


「第5章 嫉妬への3つの対処法
 業(kamma)を理解する」より

『喜び〈Muditā〉― 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放しの方』




2023/12/09

身体にある4つの車輪とは?『身体の苦しみの手放しかた:輪廻からの解放へ』より

 

身体の「4つの車輪」(catucakkaṃ)


まず、ナンディウィサーラ神が語った「身体にある4つの車輪」とは何でしょうか?


『身体の苦しみの手放しかた:ナンディウィサーラ経』より チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


それは、私たちが身体でおこなうあらゆる姿勢のことです。


姿勢には4つあります。

「歩く・立つ・座る・横になること(行・住・坐・臥)」の4つです。

『四念処経(Satipaṭṭhāna Sutta:サティパッターナ・スッタ)』をご存じでしょうか?

2023/12/02

「老い・病気・死」の苦しみから逃れるには?『身体の苦しみの手放しかた:輪廻からの解放へ』より

 

身体があるかぎり、老いや病は私たちにいつでもつきまとい、苦しみをもたらします。

どんな人も、1日1日歳をとり、「老い」ていきます。

また、かぜをひいたり、熱が出たり、あちこち痛んだりなど「病気」になることもあります。ケガをすることもあります。

最終的に、身体は壊れます。心臓が止まり、呼吸が止まり、機能がすべて停止します。これが、「死」というものです。


老いて、病気になり、死を避けることは、だれにもできません。これら「老・病・死」はどこから生じるのでしょうか?



身体です。すべて身体から生じるのです。


では、この身体とどのようにつきあっていけばよいのでしょうか? 身体がもたらす苦しみから逃れることはできるのでしょうか?


ご紹介する経典は『ナンディウィサーラ経(Nandivisāla Sutta)』です。身体の苦しみを解き放つ方法について説かれた経典です。

 

みなさんのなかには、「自分の身体からどうやって逃れることができるのか、できるはずがない」と思っている方もいらっしゃるでしょう。

たとえば思考であれば、考え方をかえることによって、ある種の思考から逃れたり、離れたりすることはできるかもしれません。


でも、身体からどうやって逃れることができるでしょうか? 身体から離れることもできませんし、別の身体に取りかえることもできません。

ちょっとやっかいですね。
死ぬまで、生まれたときに構成された身体とつきあっていかなければならないのです。


しかし、ブッダは「身体の苦しみから逃れることができる」とおっしゃいました。


その方法は、結局のところ、心(精神)に関連しており、完全に苦しみを滅するためには、涅槃(Nibbāna)に達するしかありませんが、ブッダはこの『ナンディウィサーラ経』において「身体(輪廻における個々の “生” で構成される身体)の苦しみから脱出する方法」を説かれたのです。


『身体の苦しみの手放しかた:ナンディウィサーラ経』
「はじめに:〈老い・病気・死〉をもたらすもの」より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

『身体の苦しみの手放しかた:ナンディウィサーラ経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
 


2023/11/26

こころの柔和さ―変化にたいする対応力『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』


5.心の柔和さ(mudu)


「どこへ行こうと、何をしようと、柔和であるように」
ブッダはおっしゃいました。




柔和であるためには、心に柔軟性がなければなりません。相手のことを知り、理解することが大切です。

相手はどのような見方や考えを持っていますか?


たとえ意見や立場が違っても、相手のことを尊重し、理解していれば、人間関係はスムーズに運びます。


反対に、家族や友人など親しい人のあいだでも、もし相手の意見や立場を尊重せず、自分のわがままを押しとおし、適切な接し方を知らなければ、トラブルが起こるでしょう。


自分が間違っていたり、意見や考えを変える必要があることを知りながらも、それを変えずにいることは、柔軟性に欠けています。その結果、家族や友人から疎まれてしまうのです。


ブッダは私たちに、柔和で柔軟になるようすすめています。


柔和な人は穏やかで、精神的に安定しています。


それで、相手やまわりの状況、環境の変化にたいして効果的に対応することができるのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 5. 心の柔和さ(mudu
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/11/18

よく聴く:善い習慣『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

 

4. 助言を求め、よく聴くこと(suvaco)


「スワチョー(suvaco)」とは何でしょうか?


適切な人にたいして心をひらき、指導やアドバイスを求めることができること、
また人の話をよく聴き、アドバイスされやすく、教わりやすい性格でいることです。


みなさんは、自分はすでに完璧で、他人からの指導やアドバイスは必要ないと思っていませんか? そのように考えていませんか?

それは、よいメンタリティではありません。




とはいえ、誰からでも指導を受ければいいというものでもありません。

受ける人に気をつけることも大切です。

愚かな人からではなく、善い人から指導を受けることが大切なのです。このことを知っておくとよいでしょう。


ブッダは、こうおっしゃっています。

適切な人に助言やアドバイスを求めるなら、多くのことが学べます。あなたが何か間違ったことをしたときには、それを指摘し、教えてくれるでしょう、と。


これは、人が成長するうえで欠かせないことです。

なぜなら人は誰でも不完全なのだから――。ダメなところや弱いところ、短所、欠点などがいろいろあり、それを直していくことこそ、人がすべきことなのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 :4. 助言を求め、よく聴くこと(suvaco)
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/11/04

こころの能力を磨く:善い習慣『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

    

1. 能力がある(sakko)


どんな習慣であれ、善い習慣を身につけるためには、チャレンジが欠かせません。努力が必要なのです。


でも、感情がどうしても先立ってしまい、感情に負けてしまうことが多々あります。


たとえば、「怒ることはよくない、誰にたいしても慈しみで接したほうがいい」ということは、みなさんよくご存じだと思います。


でも、実際に何かイヤなことがあったとき、腹が立ち、怒りをそのまま言葉や行動に表わしていませんか?


嫉妬することはよくないことだと知っていますが、実際に嫉妬がわき起こったとき、嫉妬にとらわれ、嫉妬から脱け出せなくなることがありませんか?

そこなのです。


慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉


そこで、私たちがすべきことは、苦しみをもたらす感情から離れるようチャレンジすることです。


瞑想しているときだけでなく、職場にいるときでも、家庭にいるときでも、どこにいるときでも、日常生活のなかで感情が生じたとき、それにすぐに気づき、観察して、とらわれないようにするのです。


心を清らかにするためには、精進(viriya)が欠かせません。

もし精進せず、実践もしなければ、いくら仏教を学んでも、学問としての知識に留まるだけでしょう。

学んだことを実生活に活かすことはできません。


知識を得るだけで実践しなければ、現実の生き方が改善することはなく、向上することもありません。

机上の学問は、現実の人生ではないのですから――。


したがって、日々、慈悲を実践し、育てる努力をすることは、欠かせないことなのです。


では、「慈悲喜捨」とはどのようなものかを簡単にご説明しましょう。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 1. 能力がある(sakko)
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/10/29

平等に見るこころ(ウペッカー)

 

捨(upekkhā:ウペッカー)


最後は「捨(ウペッカー)」です。


ウペッカーとは、どんな人に出会っても、どんな困難な状況に陥っても、理解し、落ち着いていられる平静なこころのことです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』 幸せをつくる15の善習慣「捨(upekkhā:ウペッカー)」


どんな生命も、「幸せになりたい、安心して楽しく暮らしたい」と願っています。「不幸になりたい、苦しみたい、嫌われたい」と望んでいる生命はいません。


その観点から見れば、生命はみな同じです。


平等なのです。


このことが理解できれば、たとえ苦手な人(生命)がいたとしても、
「この人も自分と同じように幸せを望んでいる」と考えて、落ち着いていることができるでしょう。


嫌悪感はもう生まれません。


この、「みなを平等に観て、落ち着いているこころ」がウペッカーなのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
幸せをつくる15の善習慣「捨(upekkhā:ウペッカー)
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/10/22

善い習慣が善い性格をつくる――幸せをつくる15の善習慣(第1章)より

 

習慣は、ある意味、危険なものでもあります。

よい習慣ならいいのですが、悪い習慣の場合には、さまざまな問題を引き起こします。

というのも、人は楽なほうへ楽なほうへ流されやすいのだから――

ほうっておけば悪い習慣に支配され、苦しみが増大するでしょう。

それで人生は閉ざされてしまうのです。



仏教は人々に、善い習慣を身につけるよう教えています。それによって生き方が調和し、人生がひらけてくるのです。


本章でお話するのは、ブッダが教えた「善い習慣」です。ブッダは善い習慣について具体的に説かれました。

~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~


そこで、この善い習慣を新しく身につけるためには、こつこつ取り組んでいくことがカギになります。


悪いクセが心にしみついている方は、もしかすると身につけるのに時間がかかるかもしれません。

しかし、これは苦労してでも育てる価値があるものです。

人生を幸せにし、悩み苦しみをなくしたければ、善い習慣を身につけることは欠かせないことなのです。


それでは、これから「15の善い習慣」とはどのようなものか、ひとつずつ学んでいきましょう。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
第1章 幸せをつくる15の善習慣「善い習慣が善い性格をつくる
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/10/15

人は皆それぞれ ~長所を活かす『喜び〈Muditā〉― 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放しの方』より

 

嫉妬への対処法

人は皆それぞれ ~長所を活かす


嫉妬に対処するために、「人はみな違う」と理解することも役に立ちます。

人はみなそれぞれです。たとえばピアノを弾くのが上手な人がいるとしましょう。
その人はその分野では確かに優れているかもしれません。でも、他の分野ではどうでしょうか?


実際のところ、誰でも「得意なこと」と「苦手なこと」があるものです。
長所もあり、短所もあるのです。
ですから人の一面だけを見て嫉妬したり、ねたんだり、あるいは「なんで自分はダメなのか」と落ち込んだりすることはナンセンスです。




あなたには他人にはない優れたところがあるはずです。

「自分の持ち味はなんだろうか?」「得意なことはなんだろうか?」と考えてみてください。
それを見いだし、活かしていくのです。

そうすればモチベーションが高まり、よい結果が得られるでしょう。

自分の得意なことですから、楽しくできますし、ストレスはほとんどかかりません。

他人と比べることもなくなり、嫉妬も生まれなくなるのです。


地位、才能、容姿、学歴、収入など、社会には嫉妬が生まれるきっかけがいろいろあります。

そこで、「人は人、自分は自分」と考えて、人と自分とを比べないようにしてください。
そうすれば嫉妬は起こらないでしょう。


たとえ嫉妬が生まれたとしても、「人は皆それぞれだ。自分の得意なことを活かそう」と理解して、自分の長所や強みを認められれば、嫉妬は消えていき、嫉妬の感情にうまく対応することができるでしょう。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老


「第5章 嫉妬への3つの対処法
 人は皆それぞれ ―長所を活かす」より

『喜び〈Muditā〉― 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放しの方』




2023/09/21

嫉妬の2つの顔『喜び〈Mudita〉ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる: 嫉妬の手放し方 』より

 

嫉妬の2つの顔


嫉妬の感情をもう少し詳しく分析してみると、嫉妬には2つの面があることがわかります。


・他人が失敗すると、喜びを感じる

・他人が幸せだと、腹が立つ


強弱の差はあれ、人のこころにはたいていこの2つの働きがあります。



嫉妬の2つの顔『喜び〈Mudita〉ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる: 嫉妬の手放し方 』より



「他人が失敗すると喜びを感じる」のは、どのようなときでしょうか?