2025/12/20

慈しみ(mettā)『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

 

『第1章 幸せをつくる〈15の善習慣〉より


慈しみ(mettā)


みなさんは、仲のよい友だちといるとき、ほっとしませんか?


「慈しみ」とは、気ごころの知れた仲のよい友だちといるときのような、あたたかくて、やさしい気持ちのことです。


そのやさしさを、仲のよい友だちだけでなく、まわりの人へ、そして生きとし生けるものにたいして広げていきましょう。


すべての生命にたいしてやさしさを育て、幸せを願うのです。


「ブッダが説いた〈15の善い習慣〉
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/12/13

慈しみで話すか、悪意で話すか?:話す前にチェックすべき5つのこと『正語〈正しい言葉〉―八正道➂ 』より

  

『第6章 正語の育て方より


慈しみのこころで話すか、悪意で話すか?


人と話すときに最も大切なのは、慈しみの気持ちで話すか、
それとも 内心に悪意をもって話すか、をチェックすることです。


仏教では、慈しみの気持ちで話すことを とても大切にしています。


悪意をもって話すと、後で自分もイヤな気持ちになるでしょうし、
慈しみのこころで話せば、こころがあたたかくなるでしょう。


やさしい慈しみの言葉は、よい種をまくように、自分のこころにも、他人のこころにも、豊かな善い実りをもたらすのです。


「話す前にチェックすべき5つのこと

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/11/30

「生きる」という働き『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

  命を支える4つの「食」とは?


2.触 食(phassāhāra)


生命を維持するものは、物質的な食べ物だけではありません。

目に見える食べ物だけでなく、心の食べ物も摂り入れているのです。


まず、「触(phassa:パッサ)」です。「触れる」ことですね。


私たちは瞬間瞬間、何かに触れて生きています。

目に、色や形が触れてモノを見ています。

耳に、音が触れて何かを聞いています。

鼻に、香りが触れてにおいをかぎ、

舌に、食べ物や飲み物が触れて味を味わっています。

身体の皮膚に、寒さや暑さ、硬さ、やわらかさなどが触れて感触を感じています。

意には、思考や妄想などさまざまな現象が常に触れています。

こうやって、いつでも何かしら対象が触れているのです。


このように、「眼・耳・鼻・舌・身・意」に「色・声・香・味・触・法」が「触れる」ことによって、エネルギーが生まれ、命が維持されています。


生命は生まれてから死ぬまで、すべての時間にわたって、この「触食」を摂りつづけているのです。


この「触れる」ことから、苦や楽など「感覚」が生じます。

さらには、「渇愛」が生じます。

これによって、「生きる」という働きが成り立っているのです。 


命を支える4つの「食」とは?『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/11/23

苦を理解する『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

「第4章 我(attā)から無我(anattā)へ」より 


このように、生老病死など輪廻の苦しみについて考えると、

「なんとかしなければ!」と、緊迫感をおぼえるでしょう。怖くなるのです。


たとえば、みなさんの家に火がつき、火事になったら、すぐに家から飛び出しませんか?

危険だとわかったら、次にとる行動は変わるはずです。

輪廻の危険や苦しみを、みずから感じることができれば、その苦しみから逃れたい、脱出したい、と思うのではないでしょうか。


幸い、ブッダはその逃れる道を教えられました。

その道とは、善行為や瞑想、気づき、八正道などを実践して、心を清らかにすることです。


輪廻の危険を理解した人は、その苦しみから逃れる道を歩み始めるでしょう。


第4章 我(attā)から無我(anattā)へ
自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā

2025/11/15

友情を壊さない『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 


第4章 苦しみを引き起こす〈邪語〉とは? より


②離間語(陰口)


邪語の2番目は、pisunāvācā です。

Pisunāvācā は、誰かの陰口を別の人に言って2人の仲を引き裂こうとする行為です。

「離間語」や「悪口」「中傷」と訳されています。


いわゆる、本人のいないところでその人の悪口を言って2人の仲を悪くさせ、分断させるようなことを言うことです。


どういうことでしょうか?


たとえばAさんにBさんの悪口を言って、Bさんのことを悪く思わせたり、
逆にBさんにAさんの悪口を言って、Aさんのことを悪く思わせたりして、2人の仲を引き裂こうとするのです。


これは2人の間だけでなく、グループ間にも、組織間にも、会社間にも、国家間にも、政治間にも、あてはまりますね。


仲を引き裂く離間語は、どんな場合でも悪い行為であり、
悪い業を生み出すことになりますから、
結果として他人だけでなく、自分にも苦しみをもたらすのです。



友情を壊さない


私たちは人として「言葉を使って家族や友人、社会、そして世界に調和をもたらす」ことが期待されます。


ですから自分の使う言葉が、

 ・他者の仲を引き裂かないか

 ・調和をもたらすか

ということをチェックするようにしてください。


悪口を言わないことは、言い換えれば「友情を壊さない」「仲を引き裂かない」ということです。


自分の友情も含め、他人の友情を壊さないことが、安穏への道なのです。


第4章 苦しみを引き起こす〈邪語〉とは?より

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/11/02

執着のないこころ『ウペッカー - こころの平穏:偏見を超え、客観的に見る智慧』より

 


執着のないこころ


そこで、自分に何かが起きたとき、

誰かに何かをされたとき、誰かに何かを言われたとき、

いま世の中で起きていることを見るとき、

どんなことも、どんな出来事も、

できるだけ自分の感情や主観を入れないよう、

客観的に観るようにしてください。

このようにして、ものごとに執着しないこころが育っていくのです。


執着は、苦しみをもたらします。

仏教では、苦しみの原因は執着にあると説いています。


モノや出来事、人にたいして執着すると、

それを失うことを恐れ、

不安や怒りなどネガティブな感情が生まれてきます。

それで苦しみを感じてしまうのです。


客観的にものごとを観、ウペッカーがあれば、

こころは執着の苦しみから解放され、平穏になるでしょう。


『こころの平穏 - ウペッカー〈upekkhā〉
 偏見を超え、客観的に見る智慧』

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/10/25

害を与えない思考『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 


幸せになる思考(第3章 言葉と思考


正しい思考の3番目は、「害を与えない思考」です。他者をいじめたり、傷つけたり、虐待したりしないことです。


いじめやパワハラは、学校や大学、会社などどこでも大きな問題となっていますね。人はさまざまなやり方で知らないうちに誰かをいじめているのです。


たとえば「自分はいつもトップでありたい」とか「社会的地位を誇示したい」といった気持ちが働いて、他人を貶しめようといじめるかもしれません。


社会には強い者が弱い者を支配するという構造が、いまだにあるのです。


そのような中、「弱い生命をいじめない人」は、優れた人格を持っていると言えるでしょう。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


そこで、これら「離欲の思考」「怒りのない思考」「害を与えない思考」など正しい思考(正思惟)が働いているとき、私たちは正しい言葉(正語)を実践することができます。


思考が正しく清らかですから、問題を引き起こす悪い言葉(邪語)を発することはないでしょう。


「幸せになる思考:第3章 言葉と思考より

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/10/17

怒りのない思考『正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉~欲・怒り・害意の手放し方―八正道② 』より』


2.「怒りのない」思考(無瞋の思考)


正思惟の2番目は「瞋恚(怒り)のない思考(abyāpāda saṅkappa:アビャーパーダ・サンカッパ)」です。


これは「無瞋の思考」と呼ばれ、強い怒りや憎しみの思考を抱かないことです。


この反対が「瞋恚(怒り)の思考(byāpāda saṅkappa:ビャーパーダ・サンカッパ)です。


瞋恚とは、普通の怒りではなく、強い怒りのことです。自分や他人にたいして激しく怒ったり、不満を抱いたり、憎んだりすることですね。「ゆるせない!」といった強い怒りです。



現代社会における怒りの落とし穴


インターネットやSNSが普及した現代社会では、さまざまな情報が飛び交い、怒りを刺激するような情報も増えています。


何気なく目にした情報やニュースに腹を立てたり、憤りを感じたり、理不尽な出来事によって怒りを爆発させたりしてしまう経験は、誰しもがあるのではないでしょうか。


これには気をつけなければなりません。


怒りは、こころの平穏を乱し、人間関係を悪化させるだけでなく、いろいろな問題を引き起こす元凶となるからです。


だからこそ怒りが生じたときには、それに気づき、すぐに怒りから離れることが重要なのです。


怒りの反対が、「怒りのない思考」です。


別の言葉で言えば、やさしい慈しみの思考や相手を尊重する思考、助けたいといった思いやりの思考です。


この思考が、正思惟の2番目です。


2.「怒りのない」思考(無瞋の思考)
「第3章 苦しみから解放される3つの思考」


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/10/03

命を支える4つの「食」とは?『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

 

どんな生命も、「食(栄養・エネルギー)」によって支えられ、維持され、管理されて生きています。

「食」を摂り入れなければ生きていられません。


この「食」を、ブッダは4つの要素に分類して教えられました。


一般的に「食」や「食べる」といえば、私たちはパンやご飯など物質としての食べ物しか思い浮かばないでしょう。


しかしブッダは、「生命は、物質的な食べ物以外に3つの要素を摂り入れて4つの食で生きている」と説かれました。


4つの「食(āhāra)」とは、


 1.段食(kabaliṇkārāhāra)

 2.触食(phassāhāra)

 3.意思食(manosañcetanāhāra)

 4.識食(viññāṇāhāra)


です。


これら4つの食のうち、身体を維持している食が1つ、心の食が3つになります。

4分の3を、心の食が占めているのです。ここで、心がいかに生命の維持に大きく関わっているか、ということがわかりますね。


命を支える4つの「食」とは?『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/09/28

穏やかな世界『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

 

人のなかには、他人が何をしたのか、何を得たのか、何に成功したのか、
どんな間違いをしたのか、どんな失敗をしたのかと、あれこれ気になる人もいます。


そうやって、自分と他人とを比べたがるのです。それがクセになっています。


これは悪いクセです。


なぜなら比べた時点で、こころに欲や怒り、嫉妬などが生まれ、自分にたいする慈しみが消えてしまうからです。


そこで、比べるのではなく、自分のよいところを認め、他人のよいところを認めることが大切です。


そうやって、互いに助け合い、励まし合い、学び合うことで、自分にも他人にも、美しい穏やかな世界があらわれるのです。


自己愛から慈しみへ、我から無我へ『マッリカー経』より



2025/09/20

思考の真のあり様『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

  

思考の真のあり様


さらに、真理の観点からものごとを観るならば、

どんな思考も浮かんで消えていくことがわかるでしょう。

それが思考の真のあり様です。


ブッダはこのことを発見し、他の人もそれを発見できるよう、

さまざまなやり方で教えを説かれました。

だからこそブッダは「阿羅漢(arahant)」と呼ばれるのです。


ブッダの特質の1番目は、阿羅漢です。

ブッダの偉大な「徳」は9つあり、その第一が阿羅漢なのです。


では、「阿羅漢」とは何でしょうか?

阿羅漢とは、「煩悩」をすべて滅し尽くし、

神々と人間の尊敬や供養を受けるに値する方」です。


「煩悩をすべて滅し尽くした」とは、

いわゆる「生まれかわり死にかわりの輪廻の輪を断ち切った方」ということです。

輪廻転生のサイクルから脱出することによって、阿羅漢に達することができるのです。


ブッダは、いかなる不善行為(akusala)もしませんでした。

こころの中でも、思考の中でも、微塵の不善行為もしないのです。

なんと尊い人生でしょうか!


「頭の中でのおしゃべり:第3章 言葉と思考より

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




生きとし生けるものが幸せでありますように

2025/08/30

頭の中でのおしゃべり『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

   

頭の中でのおしゃべり


私たちは普段から無意識に言葉を使ってものごとを考えています。

考えているときは口に出しませんが、頭の中でいろいろな言葉が行き交かっているのです。


たとえば、「今日はコンビニに寄って飲み物を買っていこう。職場に着いたら昨日やり残した仕事を終わらせないと。あー、全然進んでない。どうせまた上司に怒鳴られるんだ。ほんとにストレスがたまる。もう辞やめちゃおうかな。でもお金も必要だし。でもな……」などと。


このように、頭の中でいろいろな言葉がまとわりついてくるのです。

これは誰か他人と話しているのではなく、自分自身と話しているということです。

ある種の会話が自分の頭の中で起こっていて、言葉が生成されています。

いわゆる、思考の中で言葉のやりとりが行なわれているのです。


もし、この思考が悪いものなら苦しみを生み出すでしょうし、

善いものなら幸せな結果を生み出すでしょう。


ですから、頭の中でのおしゃべりも善悪の業(kamma)をつくり出すことを理解して、よく気をつけたほうがよいのです。


2025/08/23

まず、善い性格を育てる『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 

まず、善い性格を育てる


生命は誰でも過去生で積み重ねてきた業(kamma)を

こころに備えて今生に生まれています。

たとえば過去生で数学者だったとしたら、

その性格や傾向を、今生でもいくらか引き継いでいるということです。


無数の過去生からさまざまな性質が引き継がれており、

この世でのいのちを終えたとき、

今生で蓄積された行為や性質、傾向はいくらか

次の「生」へと引き継がれていくのです。


これについては「第3章 言葉と思考:こころの癖と意図」で

詳しくお話いたします。

2025/08/16

なぜ、言葉が大切なのか?『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 

なぜ、言葉が大切なのか?


 


「なぜ、言葉が大切なのか?」と聞かれることがあります。


私たちは普段、何気なく話しています。まるで空気のように言葉を使っています。なかには「自分は思っていることをそのまま口に出して言う。それが自然体だ」と言う人もいるでしょう。


一見、ないがしろにされがちな「言葉」ですが、ブッダは最も重要な真理である「八正道(苦しみを滅する8つの道)」のひとつに「正しい言葉(正語:しょうご)」を含めました。


なぜ、言葉がそれほど大切なのでしょうか?


それは、私たちの生き方に言葉が深く関わっているからです。


人はこころだけでなく、言葉を通じてものごとを学んだり、自分の考えを他人に伝えたり、相手の考えを理解したり、互いにコミュニケーションをとることができます。言葉によるコミュニケーションが、人との関係の中で重要なものとなっているのです。


たとえば、仕事では連絡や報告、アイデアなどを共有し、協働するために欠かせないツール(道具)となっていますし、学校や研修では知識を身につけ技術を習得するために言葉が使われますね。情報をやりとりするときにも言葉が使われます。


では、言葉は単に情報をやりとりするだけのツールでしかないのでしょうか?


そうではありません。言葉は単なるツールではなく、「正しく育てるべきもの」なのです。


「言葉」のことをパーリ語で vācā(ワーチャー)と言います。
この vācā を正しく使うことを「正語:sammā vācā(サンマー・ワ―チャー)」と言い、この正語を育てることによって私たちの性格も「善」のほうへと向上していくのです。


そのため、苦しみをなくしたい、「善」の道を歩みたい方にとっては、言葉の善い面である「正語」を実践することが非常に大切になります。

 

また、言葉を正しく使う人は他人からも尊敬されるでしょう。


はじめに 言葉の大切さより


正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




生きとし生けるものが幸せでありますように

2025/07/31

【新刊】正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉―八正道➂

  

🔸苦しみから解き放たれる道「八正道」の第3の道
 「正語(正しい言葉)」


悩み苦しみを生みだす言葉を手放し、 こころに安らぎをもたらす「正しい言葉」を育てるには?


『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉 ~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道 ➂』

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕出村佳子〔訳〕が刊行されました。


よろしければ、ぜひご一読ください。




◇ ◇ ◇ ◇ 


目 次


はじめに 言葉の大切さ


第1章 八正道における「言葉」


 悩み苦しみをなくす道「八正道」

 ありのままに見る「正見」

  ・自分中心の見方を手放す

 3つの清らかな思考


第2章 言葉はどのように生まれるのか?


 言葉の危うさ

 正しい言葉「正語」とは?

 まず、善い性格を育てる


第3章 言葉と思考


 頭の中でのおしゃべり

 こころの癖と意図

 習慣によって染みついた傾向

 「言葉」をつくるのは「思考」

 幸せになる思考


第4章 悩み苦しみを引き起こす「邪語」とは?


 ①妄 語(嘘)

 嘘は悪のみなもと

「善のこころ」の根源を攻撃する行為

 意図と業(kamma


 ②離間語(陰口

 友情を壊さない


 ③粗悪語(乱暴な言葉

 言葉の選択


 ➃綺 語(無駄話


第5章 やすらぎをもたらす「正語」とは?


 正語(正しい言葉)をサポートする要素

 ◎ 正 見 = 理解し判断する

 ◎ 正精進 = 努力し実践する

 ◎ 正 念 =「いま・ここ」に気づく

 「中道」における言葉

 「言葉の節度」って何?(mitabhāṇī

 聖なる沈黙(Noble silence


第6章 「正語」の育て方


 ①話す前にチェックすべき5つのこと


 ②振り返り振り返り、観察する

 正語と気づき(マインドフルネス)


 ③10の優れたトピック


 蜜と刀:言葉の二面性


おわりに

著者紹介


◇ ◇ ◇ ◇ 


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila

フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学 哲学部・助教。

カナダのビクトリア大学・宗教社会研究センター元研究員。

タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学仏教研究所刊行『国際仏教ジャーナル誌』の査読編集員。

フィリピン、マレーシア、シンガポール、アメリカ、カナダなどの大学や寺院で、講演や法話、瞑想リトリートを行なっている。


◎ブログ ▸ Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話 ▸ Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
書 籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html


◇ ◇ ◇ ◇ 

見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道① 』


『正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉
欲・怒り・害意の手放し方 ― 八正道②』




生きとし生けるものが幸せでありますように


2025/06/30

実証できる教えとは?「現見経」を読む 4

  (増支部六集四十八「現見経」)

「第二の現見経」 


言葉で喋ってはいけないことを喋っている時、これは本当は喋ってはいけないことだと知っている。喋るべき言葉を喋っている場合は、正しい言葉を喋っていると知っている。悪い思考がある時は、悪い思考があると知っている。悪い思考が無い時は、悪い思考が無いと知っている。そうすると、その人は「自分自身で分かっている。知っている」という結論になるのです。このように、自分の眼の前に証拠があるのです。 (前号から続きます)

2025/05/31

実証できる教えとは?「現見経」を読む 3

 (増支部六集四十八「現見経」)

「第二の現見経」 


二番目の経典は、一番目の経典とそれほど違いはありません。

Atha kho aññataro brāhmaṇo yena bhagavā tenupasaṅkami;

あるバラモンがお釈迦様のところに来て、「法は現証である(sandiṭṭhiko dhammo サンディッティコー ダンモー)の定義をしてください」と頼みます。

2025/04/30

実証できる教えとは?「現見経」を読む2

 (増支部六集四十七「現見経」)

 「第一の現見経」


証拠は目の前にある


「第一の現見経」の二番目の段落を読んでみます。

2025/03/31

実証できる教えとは?「現見経」を読む 1

  (「現見経」増支部六集四十七)

現見(現証)の定義を求める


今回取り上げる経典は「サンディッティカ・スッタ Sandiṭṭhika Sutta」です。パーリ経蔵の増支部に同じタイトルの経典が二つ収録されていますが、内容はほとんど同じです。

2025/02/28

見事にまとめた言葉のフレーズ

 

◎この法話は『パティパダー 2025年4月号 根本仏教講義』に掲載されなかった法話です。


この経典は解脱を目指して修行に励んでいる出家修行者たちに、どこに集中して、どこを観察すればよいかとポイントをまとめて、一つのテキストみたいにしています。だから、すごく短く語らなくてはいけないのです。短く語って、それを覚えておき、簡単に思い出せるようにしているのです。いわゆる修行中はちょっとでも心が乱れたり、心が他の方に行ってしまった瞬間で、この教えを思い出せますから、すぐに修行に戻ることが出来るのです。