瞑想は心を落ち着かせ清らかにするために必要なものです。
だからといって瞑想だけしていればいいというものではありません。
シンプルなことですが、
親を大切にすること、
周りの人が困っていたら助けてあげること、
自分の意見ばかり主張するのではなく、聴く耳を持つこと……
そういった慈しみを常に持って日々を過ごすことが大切です。
チャンディマ長老
2021/12/8「マインドフルネス:チャンディマ長老と心理学者の対談」より
瞑想は心を落ち着かせ清らかにするために必要なものです。
だからといって瞑想だけしていればいいというものではありません。
シンプルなことですが、
親を大切にすること、
周りの人が困っていたら助けてあげること、
自分の意見ばかり主張するのではなく、聴く耳を持つこと……
そういった慈しみを常に持って日々を過ごすことが大切です。
チャンディマ長老
2021/12/8「マインドフルネス:チャンディマ長老と心理学者の対談」より
チャンディマ長老 法話「Vulnerability(弱さ)の力」
The Power of Vulnerability | Bhante Dr. Gangodawila Chandima
2021年12月28日午前10時~(日本時間)
Sukhi Hotu(翻訳)
◎Vulnerabilityとは一般的に、脆弱、弱い、傷つきやすい、欠けているという意味で使われる。
社会の中では弱いがために強者の犠牲にならないよう気を付けなければならない。
◎Vulnerabilityには、社会的弱さ、認知的弱さ(偏見など)、環境的弱さ(気候)、感情的弱さ……などがある。マイナスの意味で使われることが多いが、別の意味もある。
◎仏教におけるVulnerabilityとは?
◎私たちは関係性の中で生きている。ひとりで生きていくことはできない。慈しみや思いやりの気持ちがなくてはならない。慈悲の実践をするとき、すべての人にたいして慈悲を送るとき、善いつながりの感覚を創造している。
◎生きとし生けるものにたいして慈しみを向けるとき、対象が誰かは知らないし、会ったこともない。そのため違和感を覚えるかもしれない。でも、そうした人にたいして慈悲を向けることによって、つながりの感覚が育まれる。
◎たとえば他者の幸せや成功を喜ぶとき(ムディター)、他者とのつながりを心で創り出し、育てている。会ったこともない人にたいしてムディターを抱くことはむずかしいこともかもしれないが、これは心を広く育ててくれる。
◎慈・悲・喜・捨のどれをとっても、善い人格を育てることができる。
◎これが涅槃へとつながる「原因」を作る。
◎仏法僧を尊敬すること、自分の心のエゴを認めて、三宝を理解し、謙虚に仏法僧に帰依すること、仏法を実践すること、これは一種のvulnerabilityであるが、ポジティブな意味。
◎Vulnerabilityは弱さであるが、これが自分の心の成長や強さにもつながる。
◎恐れは悪い恐れだけではなく、善い恐れもある(悪いことをするのが怖い、輪廻が怖いなど)。謙虚に善い恐れを受け入れることは、心を成長させる。
◎自分の心に他者にたいする壁があると、他者と(善い人や賢者とも)つながることができない。
◎心をオープンにして、新しいことを受け入れようとする心が必要。同時に慈悲も必要。慈悲によって「善」とつながることができる。
◎いやな人、苦手な人にも、考え方を変えることによって、慈悲を向けることができるようになる。
◎すべての生命は生老病死という身体的な弱さを抱えている。ブッダはすべての生命にそなわっている生老病死の弱さを発見し、そこから抜け出す方法を発見した。
◎弱さを退けるのではなく、そこから学び、理解することが大事。
◎人は弱いもの。だからこそブッダは「善い人とつきあいなさい。悪い人とつきあわないでください」と説いた。
◎悪い人に騙されないよう、悪いことに引っ張られないよう、心を守る理性が必要。
◎善にたいしては謙虚になる。善とは慈悲喜捨、道徳、瞑想など。毎日5分でも1分でも瞑想することは、自分の心を清らかにしてくれる。
◎涅槃に達するのに必要なことは、無常・苦・無我を理解すること。
◎すべては変化するがゆえに、心に不満が生まれる。またそこに「変わらない私」は存在しない。これを理解するためにも謙虚さが必要。
◎真理を知るためには謙虚さが欠かせない。傲慢な心で真理を理解することはむずかしい。
2022年が皆さまにとって善い年になりますように🙏
生きとし生けるものが幸せでありますように🙏
チャンディマ長老 法話「Vulnerability(弱さ)の力」
The Power of Vulnerability | Bhante Dr. Gangodawila Chandima
生きとし生けるものが、 安穏でありますように。 幸せでありますように。 心がリラックスしますように。 恐れ・不安・悩みから解放されますように。
バンテ・チャンディマ 「朝の読経と慈悲の瞑想 4月10日(土)」
おそらく同じような疑問を持たれた方もいらっしゃると思い、シェアさせていただきます。
3月6日に実践したのは、北米で主に実践されている慈悲の瞑想の一部です。(グナラタナ長老も使われ著書で紹介しています)
チャンディマ長老のご回答です。
国によって言葉は違いますし、慈しみの表現の仕方は人それぞれです。言葉はそれほど重要ではないんですね。言葉の奥のものが大事なんです。
慈悲の瞑想によって何を育てるのかというと、「慈悲の心」です。「幸せでいたい」という想いは、みな共通して持っているものです。ですから自分にも他者にも「悩み苦しみなく、幸せでありますように」という想いや思考を育てていくんです。
言葉は表面的なものですから、言葉にあまり引っ掛かる必要はありません。
自分の心に慈悲が育つよう、やすらぎを感じるような言葉を見つけて、その想いを持って瞑想したり、日常の生活を送ることが大切なんです。
バンテ・チャンディマ
生きとし生けるものが幸せでありますように
同様に、他の者にとっても自分のことが愛しい
「自分がいちばん愛しい」のは、自分だけではありません。他の人も同じように、自分のことがいちばん愛しいのです。
私が自分がかわいいように、他の人にとっても自分がかわいい。
私が傷つけられたくないように、他の人も傷つけられたくない。
私が苦しみたくないように、他の人も苦しみたくない。
このように、わが身にひきあてて、「他人も自分と同じように感じている」と理解するよう、ブッダは教えられたのです……。
https://sukhi-hotu.blogspot.com/2020/02/culakammma.html |
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
そう心から願うとき、心は幸せで穏やかになります。
ブッダは「慈経」で、「立っているときも、歩いているときも、座っているときも、横になっているときも、眠っていないかぎりは、常に慈悲の念を起こしてください」と説いています。
慈しみを実践するのに、時や場所、状況は選びません。朝、目が覚めてから、夜、眠りにつくまで、常に慈しみを保ち、慈しみが性格になるまで実践するよう、すすめられています。
このように慈しみを保つことで、「自」と「他」の壁が壊れ、そこにこの上ない安穏な世界があらわれるのです。
「慈しみ」は幸せへの鍵 | Close-Up! この一冊 |
web春秋はるとあき 2018.11.16より
自分を害する行為をやめると、正直さや注意力、智慧が育っていきます。こうして心は苦しみから解放されるのです。
生きとし生けるものが幸せでありますように