Sukhī Hotu 智慧と慈悲の実践
生きとし生けるものが幸せでありますように・Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitatthā
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2019/04/08
【お知らせ】八正道勉強会
4月20日
に、湘南ダンマサークルさん主催で
「八正道勉強会」
が開催されます。
第1回目は、
『エイト マインドフル・ステップス』
の「はじめに」と「正しい見方」(正見)です。
・日時は、4月20日(土)13時~15時
・場所は、
茅ヶ崎市勤労市民会館 3F C会議室
(茅ヶ崎市新栄町13-32)
・定員があるためお問い合わせくださいとのことです。
・詳細はこちらでお願いいたします➔
「
湘南ダンマサークル」
どうぞよろしくお願いいたします。
2019/04/03
自分自身を戒める
善悪とは?⑧-1
だからといって、すべての人がこの「対話」の手
段を使えるかというと、そうではありません。対話
形式で話し合い、相手のことを理解して、互いに納
得して合意に達することは、心が落ち着いている人
でなければ出来ないことです。
普通の人はいきなり、「あ、それ、おかしいです
よ」などと言って、すぐに判断してしまいます。で
も、これはやめなければなりません。
対話をするためには、けっこう能力が必要です。
判断せずに、話し合わなければなりません。対話ができれば
、最終的に自動的に合意に達することができる
でしょう。
では、対話ができない場合はどうしましょうか?
できなかったら、それはそれでよいのです。代わり
に、自分を直すことに頑張るのです。人の能力はさ
まざまですから、対話をしたり、他人を諭したりす
る能力がない人も、たくさんいます。その場合、自分
自身が悪行為をしないよう、戒めればよいのです。
自分自身を戒めましょう。自分を戒めることで、
他人の役に立つことができるのです。
生命の本能は悪(貪・瞋・痴)
悪はやりやすく、善は行い難いものです。
善行為
をする人は、自分の本能と闘っています。皆様も
ときどき何か善いことをしようとするとき、「恥ず
かしい」と思うことがあるでしょう。あれは本能と
闘っているからです。
電車でちょっと席を譲るだけ
でも、恥ずかしいと思うでしょう。ほんのわずかな
善行為をするためでも、やはり本能と闘わなければ
ならないのです。
成功の度合いによって、人格が向上する
このように、ちょっとした善行為をするためにも、
私たちは自分の本能と闘わなければなりません。
本
能に勝てば、成功したことになります。本能に勝ったということは、貪・瞋・痴の悪に勝ったというこ
とです。人格が向上したということなのです。
周りの真似をする人の人生
周りがやっていることを真似する人は、人格がな
かなか成長しません。そのままで止まってしまいま
す。
皆がやっているからやりましょうと真似する
ことは、ある意味、危険なことなのです。だって、
その「皆」は覚っているのでしょうか?
智慧があるのでしょうか?
多くの人はたいてい感情的で、簡単に人を騙した
り、人に騙されたりするものです。ですから「皆が
やっているから私もやります」というのは危険なこ
とです。
皆がやっているかいないかは、どうでもよいこと
です。善いことなら、周りに関係なく、自ら進んで
実践することが大切です。勇気を出して、前に進まな
くてはならないのです。
(続きます)
A. スマナサーラ長老
善悪とは?⑧-1『自分自身を戒める』
文責:出村佳子
・・・・・・・・・・
・・・
善悪とは?
①
-1)
まず善悪の勉強から始める
①-2)
不善と悪の違い
②-1)
悪と不善・功徳と善の関係
②-2)
悪と不善に完成はあるか?
③-1)
功徳と善に
完成はあるか?
③-
2)
善行為は完成できる
④-1)
功徳から善への進み方①
④-2)
功徳から善への進み方②
⑤-1)
自己を観察し「平等」を理解する
⑥-1)
他の役に立つように生きる
⑦-1)「
自分は悪いことをしない」と決める
⑦-2)
対話と理解
・・・・・・・・・・
・・・
2019/03/29
すべての生命の幸せを願う
人生改良計画④-3
自分の幸せをしっかり願うことができたら、次に両親、家族、親戚、先生、友人など、親しい人たちの幸せを願います。
自分がいま生きているのは、周りの人たちのおかげです。
周りの人たちに助けてもらったり、面倒をみてもらったり、いろいろ教えてもらったから、今の自分があるのです。ですから慈しみの気持ちを込めて、
「私の親しい人たちが幸せでありますように」
と念じてください。
自分の幸せを願い、親しい人たちの幸せを願うことができたなら、次にすべきことは、
生きとし生けるものの幸せを願う
ことです。
私が幸せになりたいのと同じように、あの人もこの人も、近くにいる人も遠くにいる人も、虫も鳥も動物も神々も、あらゆる生命が「幸せになりたい」と思っています。誰も苦しみたくないのです。
ですから、
自分が生きる場合は、「すべての生命が幸せになりますように」と思わなくては、とんでもない法則違反を犯していることになる
のです。
たとえば犬を飼っているなら、犬は人間にエサをもらったり、遊んでもらったり、散歩に連れて行ってもらったり、いろいろ楽しみたいと思っています。それで、飼い主が愛情をもって親切に飼ってあげれば、犬も楽しいですし、自分も楽しい。お互いに楽しいのです。
でも、その楽しみを捨てている人がいます。「人間は犬よりも偉い」という傲慢な態度で犬を飼っている人たちがいるのです。そうすると、犬は惨めでしょうし、飼い主もその傲慢さのために、とても苦しむのです。
仏教は、人間やペットだけでなく、すべての生命にたいして、幸福を願います。そうすると苦しみが消えて、すごく幸福に生活できるのです。
常に自分の幸福と、生命の幸福を考えて、行動してください。これはすごく楽しいことです。
また、すべての生命の幸福を願うことによって、ほとんどの問題が解決するのです。「生きとし生けるものが幸せでありますように」と考えることで、親子の問題、夫婦の問題、人種問題、宗教間の争い、環境問題、自然の問題など、あらゆる問題が解決するでしょう。
それから、すべての生命の幸福を願えるということは、自分の心が成長したということでもあります。心が成長するにつれて、幸福感もどんどん増えていきます。ですから無駄な思考をして苦しむのではなく、幸福を目指して頑張った方がいい、というのが仏教の世界なのです。(続きます)
スマナサーラ長老法話
根本仏教講義『人生改良計画⑤-1』
文責:出村佳子
①-1)
改良の問題点
①-2
)
適応能力を育てる
②-1)
改良すべきものは何か?
②-2)
無駄な思考をやめる
③-1)
脳細胞を元気にする
③-2)
無駄な思考を瞬時に消す方法
④-1)
偽善者に幸福は来ない
④-2)
正直に自分の幸せを願う
⑤-1)
すべての生命の幸せを願う
根本仏教講義「もくじ」
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