2024/02/16

ありのままに見るために欠かせないこと『正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① 』


問題は、ひとりひとりがみな、

「自分が見ていることや考えていること、感じていることは正しい」
「自分の見方は正しい」
「自分の意見は正しい」

と思っていることです。

知らず知らずのうちに、自分の見方に執着しているのです。


さらには、自分と違う見方や考え方を持っている人にたいして違和感を覚え、

「あなたは間違っている」と思う傾向があります。

そこから意見のぶつかり合いや対立、論争、争いなどが起こってきます。

これが無数の悩みや苦しみを引き起こすのです。



そこで、「この自分中心のものの見方〈主観〉から離れて、真実をありのままに見ましょう」「正しい見方〈正見〉を育てましょう」と教えているのが仏教です。


自分の偏見や先入観、固定概念を取り去って、ものごとを客観的に、ありのままに見られるよう、こころを育てていくのです。


2024/02/15

我論への執着「自由への突破口③-6」

 

 改良する構え、捨てる構え「自由への突破口③-5」から続きます。


④「我論」への執着 attavādupādānaṃ


最も強い執着は、「我語取(我論への執着)」です。

自分の身体や感覚、思考、感情などを「自分だ、私だ、自我だ」と錯覚することです。

思考は思考であって、「私」ではありません。だってすぐに変化するでしょ。感情は感情であって、すぐに変化するものです。ですから「私」ではありません。肉体も変化して壊れていきますから、「私」ではありません。

でも私たちは、それらすべてにたいして「私だ」と思っているのです。

2024/02/09

怒りではなく、やさしさを選択する『自己愛から慈しみへ、我から無我へ』


2.怒りではなく、やさしさを選択する


2番目は、やさしさを選ぶことです。怒りや対立は選びません。


怒ったり、嫉妬したり、憎んだりすることは、簡単にできます。幼い子どもにでもできますね。何か気に入らない言葉を聞いたとたん、腹が立ち、とっさに怒りで反応してしまうでしょう。
そこに、「どんな反応をしようか」と選ぶ余裕はありません。



一方、自分を含め、生きとし生けるものにたいしてやさしい気持ちで接することは、たやすいことではありません。

また、他人と調和を保ち、仲よくすることにも、それなりに努力が必要です。

さらに高いレベルは、状況にかかわらず、他の生命にたいし、一貫してやさしさを抱くことです。


たとえば、自分が不当な扱いを受けたり傷つけられたとき、冷静に落ち着いていることはできるでしょうか?

ひどい目に遭ったとき、怒らず、心に慈しみを抱きつづけることはできるでしょうか?


これには心の落ち着きや忍耐、精進が欠かせません。ですから日々練習し、訓練することが必要なのです。


やさしい心でいることは、私たちにこの上ない幸せをもたらしてくれます。これが、怒りや憎しみ、対立ではなく、やさしさを選択するようにと、ブッダがおっしゃった理由なのです。


『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


生きとし生けるものが幸せでありますように
Sabbe sattā bhavantu sukhitattā

2024/02/06

改良する構え、捨てる構え「自由への突破口③-5」

 

儀式・儀礼・行への執着(戒禁取)「自由への突破口③-4」から続きます。


修行は苦行?


信仰がある人もない人も、修行とは苦行だと思っています。
宗教に興味がない人でも、「修行」と聞いたとたん、普通の楽な生活をやめて何か難しい苦行をしていると思っています。
結局は、「儀式儀礼をありがたがる思考」が脳の中に入っているのです。

2024/02/02

充実感をベースにした生き方『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』


7 足るを知る(anatimānī


善い習慣の7番目は、「サントゥッサコー(santussako)」です。

「心が満たされている」ことです。


自分が置かれている状況や自分にあるもの、まわりで起きているできごとにたいして満足することができれば、私たちは日々、満ち足りて過ごすことができます。


みなさんは自分の人生に満足していますか? それとも「欲しいものリスト」に項目がたくさんありますか?


自分の生活にあまり満足していない人は、結構多いようです。

欲しいものが多ければ多いほど、当然、不満や失望、落ち込みも増大していくのです。





充実感をベースにした生き方

では、どうすれば心が満ち足りるのでしょうか?


自分にすでにそなわっているもの、いまあるものを、自分のなかに見いだすようにしてください。

そうすれば、心は満たされるでしょう。


足ることを知り、充足感を味わうことは、とても善い習慣です。

不満をベースとした生き方から、充実感をベースとした生き方へ転換するのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 6. 謙虚さ(anatimānī
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)





2024/01/30

こころを育てる1日リトリート with チャンディマ長老 開催


※「追記・変更」の部分を赤色で記載しています。ご確認ください。


スリランカ出身で、現在カナダやマレーシアで活動されている
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老が、2月下旬に来日されます。


つきましては、2月23日(金・祝)チャンディマ長老をお招きして、

「こころを育てる1日リトリート with チャンディマ長老」

を開催いたします。


日々の喧騒から離れ、自分のこころに向き合いながら、1日を穏やかに過ごしましょう。


チャンディマ長老から直接、学べる大変貴重な機会です。

ぜひ、お気軽にご参加ください。






講師


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(Bhante Dr. Gangodawila Chandima)
(通訳:出村佳子)


開催日時


2024年2月23日(金・祝)
10時00分 9時40分受付開始)~ 16時00分(延長の可能性もあります)

※昼食はご自身でご用意くださいゴミはお持ち帰りください 

※変更の場合もありますので、最新情報を当ページにてご確認ください。


会場


町田市生涯学習センター(まちだ中央公民館)7階・和室1

・JR「町田駅」北口から徒歩約3分
・小田急「町田駅」西口・東口・南口から徒歩約5分
新宿から快速急行で30分、新横浜から20分ほど)

アクセスマップ:町田市生涯学習センター(まちだ中央公民館)

住所:町田市原町田6-8-1(町田センタービル7階)



お申し込み


下記URL または2次元コードにてお申し込みください。

※定員になりしだい受付終了させていただきます。

 どうぞお早めにお申し込みください。

※現在、キャンセル待ちになっております。
お申込みいただけますと、キャンセルが出た場合にご連絡させていただきます。
また、今後、法話会などを開催する場合にもご連絡させていただきます。


参加費


特にございません(お布施)

※チャンディマ長老の活動や 滞在中の「衣食住薬」にお布施/ご支援いただける方は、
こちら(↓)からお願いいたします。
https://sukhi-hotu.blogspot.com/2020/01/support.html

お振込みの際、通信欄/お名前のあとに「お布施(オフセ)」とご記入をお願いします。

当日、会場でも受け付けております。

ご協力いただけると助かります。

詳細


https://sukhi-hotu.blogspot.com/2024/01/BhanteChandima.html

※お知らせや変更があった場合、こちら(↑)でお知らせいたします。
 最新情報をご確認ください。


お願い


体調のすぐれない方は、参加をご遠慮ください。


講師


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila


カナダのヴィクトリア大学で特別研究員を務め、ブリティッシュコロンビア大学で仏教チャプレンに従事
タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学発行『国際仏教ジャーナル誌』の英語エディター。
カナダ、マレーシア、シンガポール、タイ、インド、スリランカ等の大学や寺院で、講演や法話をおこなう。
日本でもオンライン法話会や瞑想会を開催。

◎ブログ:Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話:Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
オンライン法話会&書籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html


生きとし生けるものが幸せでありますように

2024/01/19

謙虚さ『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

 

6.謙虚さ(anatimānī


善い習慣の6番目は、「アナティマーニー(anatimānī)」です。
これは、傲慢ではなく謙虚であることです。


なぜ、謙虚さを身につける必要があるのでしょうか?



謙虚な人は、現実的で、正直で、地に足が着いています。


私たちは地に足をしっかり着けて生きるべきであって、宙に浮いたようにフワフワしていてはいけません。

威張って傲慢で生きるべきではありません

そのためには、謙虚で落ち着いている必要があります。


ブッダは私たちに、いつでも謙虚でいるようにとおっしゃいました。

謙虚でいることは、私たちが生きるうえで非常に重要なことです。

ブッダはとても謙虚な方でした。悟りを開く前、どの過去世においても菩薩として謙虚でいたことの例が、『ジャータカ物語(前世物語)』に記されています。

どの「生」でも、ブッダはずっと謙虚な性格でいたのです。


私たちも、謙虚さを習慣にし、身につけるべきです。
謙虚でいることは、悟りに達するために欠かせない要素なのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 6. 謙虚さ(anatimānī
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2024/01/12

外に投影されたこころの世界│『正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① 』


外に投影されたこころの世界


この点について、もう少し説明いたしましょう。

私たちは同じものを見ているのに、なぜ違う世界を感じるのでしょうか?
同じ音を聞いているのに、なぜ違う印象を受けるのでしょうか?




それは、私たちのこころや身体、知識、経験、価値観が違うからです。個々の感覚、経験、考え方によって、ものごとのとらえ方が異なるのです。


たとえばバラの花を見たとき、あなたはどんな気持ちになりますか?

嬉しいですか? 悲しいですか? 美しいと感じますか? イヤだと感じますか? それとも何も感じませんか? 


人によってバラの花にたいする気持ちはさまざまです。それはバラの花が、あなたにとってどんな意味や価値観を持つかによって決まります。

バラの花が好きな人は、喜びを感じるかもしれません。嫌いな人は、イライラするかもしれません。トゲに刺さってケガをしたことがある人は、嫌悪感を持つかもしれません。バラの花に興味がない人は、何も感じないかもしれません。


このように、同じものを見ても感じ方やとらえ方、見方は人それぞれです。バラの花にたいする気持ちや感情が異なるからです。ですから同じものを見ても、それぞれ見方は違うのです。


第2章 なぜ、ありのままに見られないのか? より

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道 ①

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

正見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉―八正道 ① チャンディマ長老

2024/01/11

見解への執着(見取)「自由への突破口③-2」

  

五欲への執着を戒める"戒と律"「自由への突破口③-1」からの続き


②見解への執着(見取)diṭṭhupādānaṃ


執着の二番目は、見解への執着(見取)diṭṭhupādānaṃ です。

誰にだって自分の考えがあります。人は情報を認識すると、心に概念が生じます。

たとえばテーブルに触れたとき、身体は「硬さ」と「熱」しか感じません。
でも、頭の中では「これはテーブルだ」と考えます。
そういう感じで頭の中に概念が起こるのです。