2023/12/23

自分と他者のまもり方『セルフケア: ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』より


ブッダが教えた「自分と他者のまもり方」


みなさんは日々、自分を大事にまもっていることと思います。


ケガをすれば手当てをし、病気になればクスリを飲み、お腹が空けば何かを食べ、疲れたら休むなど、自分を大事にまもっているでしょう。ケガをしたまま、のどが渇いたまま、お腹がすいたまま、何日もほったらかしにしている方はいらっしゃらないと思います。


また、家族や財産も大事にまもっているでしょう。家の玄関にカギをかけたり防犯カメラをつけたりなど対策をしっかりとっているのではないでしょうか。


このように、人はさまざまなかたちで自分自身や家族、財産などをまもっています。

でも、それで十分でしょうか? 何か忘れているものがありませんか?

「心」はまもっているでしょうか? 「思考」はどうでしょうか?


ある日、ブッダは「自己を真にまもるとはどのようなことか」、また「自己をまもっているかどうかを見分ける方法」について説かれました。



ご紹介する経典は、「Attarakkhita Sutta(アッタラッキタ・スッタ)」です。

Atta(アッタ)とは「私」や「自己」という意味、rakkhita(ラッキタ)とは「まもられている」という意味で、合わせて「自己がまもられている」という意味になります。


「自己をまもる」とは一般的に、内と外から生じうる危険、危害をもたらす関係や状況など、さまざまなトラブルから自己をまもるということです。


まもることができたら、次に安全を保つ必要があります。
安全とは何でしょうか?


ひとつは身体の安全です。なかでも健康ですね。私たちはみな身体を持っています。身体を持っているかぎり病気になることは免れませんが、それでもできるかぎり健康を保つようケアをし、メインテナンスをすることが必要なのです。


ブッダは『ダンマパダ(Dhammapada)』において、

「健康は最上の利得である」
(Ārogyaparamā lābhā)

と説かれました。


利得には、お金や財産、繁栄、成功、地位などいろいろなものがありますが、どんな利得よりも健康が最高の利得である、とブッダはおっしゃっています。

健康であるからこそ、私たちは元気に活動したり、働いたり、善い行為をしたりすることができるのです。


それから、「身体」や「財産」をまもることより大切なのは、「心」をまもることです。「心」をまもることは、ほかの何をまもることよりも遥かに大切なことなのです。


『セルフケア:ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』
「はじめに:ブッダが教えた 自分と他者のまもり方」より

 




2023/12/20

五欲への執着を戒める"戒と律"「自由への突破口③-1」

 

すべての感覚を戒めるべきか?「自由への突破口②-4」からの続き


執着(束縛)には4種あります。

・欲(五欲)への執着(欲取)kāmupādānaṃ

・見解への執着(見取)diṭṭhupādānaṃ

・儀式・儀礼・行等への執着(戒禁取)sīlabbatupādānaṃ

・我論への執着(我論取)attavādupādānaṃ

2023/12/16

原因と結果の法則を理解する『喜び〈Mudita〉ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる: 嫉妬の手放し方 』より

 

嫉妬への対処法


業(kamma)


どのように嫉妬に対処することができるのでしょうか?


たとえば、同じ時期に入社した同僚が自分よりも先に出世すると、こころに嫉妬がわき起こります。「あー、自分は成功していない」とか「自分には能力がない」と考えて、相手にたいして嫉妬を感じるのです。


このとき、こころの中でフォーカスしているのは何でしょうか?


「自分には能力がない」「あの人はできるのに自分はできない」といったことです。




ここで私たちがすべきことは、視点を変えることです。「自分にはない」「自分はできない」と見ることから、「あの人はこれまでの人生、あるいは過去世で努力してきた。だから、いまその結果を得ている」と理解することです。


たとえば友人が昇進により収入がアップし、新しい車や新しい家を購入したのを見たとしましょう。嫉妬の強い人はたいていすぐに自分と比較して、「うらやましい。自分も欲しい。なんで自分にはないのか」という気持ちになります。


こころには「比較する」という働きがあります。誰かが幸せなのを見ると、「なんで自分は持っていないのか」「なんで自分にはないのか」と比べて、「自分は持っていない」「自分にはない」と嫉妬してしまうのです。


そこで、業の法則にあてはめて正しく理解するようにしてください。「この人はこれまで頑張って努力してきた。その結果をいま受けている」と理解するのです。正しく理解できれば、こころは落ち着いていくでしょう。


このように「原因と結果の法則」を観て理解することにより、嫉妬を克服することができるのです。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老


「第5章 嫉妬への3つの対処法
 業(kamma)を理解する」より

『喜び〈Muditā〉― 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放しの方』




2023/12/13

すべての感覚を戒めるべきか?「自由への突破口②-4」

  

 3つの感覚「自由への突破口②-3」からの続き


感覚(楽・苦・不苦不楽)にたいする例外もある


在家のヴィサーカ居士が次にこう質問しました。

「すべての感覚を戒めるべきですか?」


ダンマディンナー長老尼は答えます。

「いえ、例外があります。苦の感覚、楽の感覚、不苦不楽の感覚の場合、欲、怒り、無知をなくすべきです。しかし、サマーディから生まれる楽の感覚は例外です」

2023/12/09

身体にある4つの車輪とは?『身体の苦しみの手放しかた:輪廻からの解放へ』より

 

身体の「4つの車輪」(catucakkaṃ)


まず、ナンディウィサーラ神が語った「身体にある4つの車輪」とは何でしょうか?






それは、私たちが身体でおこなうあらゆる姿勢のことです。


姿勢には4つあります。

「歩く・立つ・座る・横になること(行・住・坐・臥)」の4つです。

『四念処経(Satipaṭṭhāna Sutta:サティパッターナ・スッタ)』をご存じでしょうか?

2023/12/07

3つの感覚「自由への突破口②-3」

 

 五蘊への愛欲が執着「自由への突破口②-2」からの続き


身体で感じる感覚


身体で感じる感覚は3種類あります。楽(sukha vedanā)と、苦(dukkhā vedanā)と、不苦不楽(adukkhamasukha vedanā)です。

感じるものが3つのカテゴリーに入ります。人生は楽しいことだけではありません。データを明確に分けると、3つの感覚があるのです。

2023/12/02

「老い・病気・死」の苦しみから逃れるには?『身体の苦しみの手放しかた:輪廻からの解放へ』より

 

身体があるかぎり、老いや病は私たちにいつでもつきまとい、苦しみをもたらします。

どんな人も、1日1日歳をとり、「老い」ていきます。

また、かぜをひいたり、熱が出たり、あちこち痛んだりなど「病気」になることもあります。ケガをすることもあります。

最終的に、身体は壊れます。心臓が止まり、呼吸が止まり、機能がすべて停止します。これが、「死」というものです。


老いて、病気になり、死を避けることは、だれにもできません。これら「老・病・死」はどこから生じるのでしょうか?



身体です。すべて身体から生じるのです。


では、この身体とどのようにつきあっていけばよいのでしょうか? 身体がもたらす苦しみから逃れることはできるのでしょうか?


ご紹介する経典は『ナンディウィサーラ経(Nandivisāla Sutta)』です。身体の苦しみを解き放つ方法について説かれた経典です。

 

みなさんのなかには、「自分の身体からどうやって逃れることができるのか、できるはずがない」と思っている方もいらっしゃるでしょう。

たとえば思考であれば、考え方をかえることによって、ある種の思考から逃れたり、離れたりすることはできるかもしれません。


でも、身体からどうやって逃れることができるでしょうか? 身体から離れることもできませんし、別の身体に取りかえることもできません。

ちょっとやっかいですね。
死ぬまで、生まれたときに構成された身体とつきあっていかなければならないのです。


しかし、ブッダは「身体の苦しみから逃れることができる」とおっしゃいました。


その方法は、結局のところ、心(精神)に関連しており、完全に苦しみを滅するためには、涅槃(Nibbāna)に達するしかありませんが、ブッダはこの『ナンディウィサーラ経』において「身体(輪廻における個々の “生” で構成される身体)の苦しみから脱出する方法」を説かれたのです。


『身体の苦しみの手放しかた:ナンディウィサーラ経』
「はじめに:〈老い・病気・死〉をもたらすもの」より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

『身体の苦しみの手放しかた:ナンディウィサーラ経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
 


2023/11/30

五蘊への愛欲が執着「自由への突破口②-2」

  

自分にたいする執着「自由への突破口②-1」からの続き


「五蘊への愛欲」が執着です


次に、別の経典を紹介します。

これは阿羅漢に覚っていたダンマディンナー比丘尼と、在家の男性信者ヴィサーカ居士との対話です。ヴィサーカ居士も、預流果か一来果くらいに覚っていました。

ヴィサーカ居士がダンマディンナー比丘尼に質問しました。

「五蘊が執着ですか? 執着は五蘊と別のものですか?」

2023/11/26

こころの柔和さ―変化にたいする対応力『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』


5.心の柔和さ(mudu)


「どこへ行こうと、何をしようと、柔和であるように」
ブッダはおっしゃいました。




柔和であるためには、心に柔軟性がなければなりません。相手のことを知り、理解することが大切です。

相手はどのような見方や考えを持っていますか?


たとえ意見や立場が違っても、相手のことを尊重し、理解していれば、人間関係はスムーズに運びます。


反対に、家族や友人など親しい人のあいだでも、もし相手の意見や立場を尊重せず、自分のわがままを押しとおし、適切な接し方を知らなければ、トラブルが起こるでしょう。


自分が間違っていたり、意見や考えを変える必要があることを知りながらも、それを変えずにいることは、柔軟性に欠けています。その結果、家族や友人から疎まれてしまうのです。


ブッダは私たちに、柔和で柔軟になるようすすめています。


柔和な人は穏やかで、精神的に安定しています。


それで、相手やまわりの状況、環境の変化にたいして効果的に対応することができるのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 5. 心の柔和さ(mudu
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/11/25

自分にたいする執着「自由への突破口②-1」

 

渇愛によって執着が生まれる「自由への突破口①-6」からの続き


自分への執着


次のテーマは、「自分に執着する」ことです。

命とは、五蘊のことです。皆様は五蘊(pañcakkhandha)という言葉を聞いたことがありますね。

五蘊とは、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊という五つのシステムのことです。

私たちが「私」とか「自分」と言っているものを、仏教用語では「五蘊」と言っています。

色蘊は肉体、受蘊は感覚、想蘊は概念、行蘊は「生きていきたい」とか「やりたい」などという衝動、識蘊は認識です。