2018/10/19

悪と不善に完成はあるか?「善悪とは?②-2」

悪と不善に完成はあるか? 


次に「完成」ということについて考えてみましょう。
悪と不善に「完成」はあるのでしょうか?


悪行為は激しく命を破壊し、不善行為は徐々に破壊します。


悪行為の場合、たとえば他人を殺したら、自分の命もそれで終わりです。社会から逃げても隠れても無駄です。自分がやった悪行為が、毎日自分を破壊していくのです。


不善行為とは判断を間違えたり、失敗したり、下手で何をやってもうまくいかず、結果がダメなことで、そうなってくるとじわじわと自分の人格が下がっていきます。

2018/10/18

「善悪」とは?②-1


悪と不善・功徳と善の関係 


図を見てください。

図:スマナサーラ長老


左上のギザギザの図が、「悪と不善の関係」です。

2018/10/17

【更新】


根本仏教講義『智慧と善行為』を一部アップデートしました。

 智慧と善行為
智慧が開発するか否か?
智慧のある人
調和し、補い合い、協力する
ネットワーク

  生きとし生けるものが幸せでありますように 

2018/10/15

1分間瞑想①



質 問

瞑想会ではみなが瞑想していますから瞑想しやすいのですが、自宅に帰り、日常の忙しい生活に戻ると、気づきと静寂を保つことができなくなります。
どうすれば日々の忙しい生活のなかで瞑想することができるでしょうか?

「1分間マインドフルネス瞑想」グナラタナ長老〔著〕出村佳子〔訳〕


A:回 答――グナラタナ長老

「気づき(マインドフルネス)」を保つ方法のひとつとして、ペースを落とし、スローモーションで生活することがあります。

スローモーションを実践することは、お寺にいるときでも、自宅にいるときでも、どこでも実践できるでしょう。

人は世界平和を築くことについてよく語りますが、心に平和を築くこと――心を健全で穏やかにすること――に関心をもつべきです。こうした善い心は、気づきから生まれるのです。

職場にいるときや静かな場所で長い時間坐ることができないときには、数分だけでも気づきを実践するとよいでしょう。

だれでもできる実践法があります。私はこの方法をすすめています。

1日のなかで1時間ごとに、1分間だけ気づきの実践をするのです。59分間はいつもどおりに仕事をし、1分間休憩をとって、心を呼吸にしっかりと集中させるのです。 

できれば、目を閉じてください。

忙しいオフィスでデスクワークをしている場合は、目を開けたまま前方の一点を見つめるとよいでしょう。 そのまま静かに心のなかで呼吸を15回数えます。そうするとだいたい1分くらいたっているでしょう。

その1分間は将来の計画をたてたり、何かを考えたりしないでください。思考から完全に心を解き放つのです。


1分間たつと、心はいくらか明晰になるでしょう。

これからの59分間、仕事にとりくむ強さが得られました。その後「1時間たったらまた1分間、気づきの瞑想をしよう」と心に誓ってください。

台所や事務所にいるときでも、この1分間の気づきの瞑想をすることができます。

駐車場に車をとめてエンジンを切ったときにもできますし、トイレ休憩のときにもできます。

8時間仕事をしているなら、この1分間の瞑想を1日おこなうと、仕事が終わるまでには8分間瞑想したことになります。1日の終わりには普段のように緊張したり疲れたりすることがないでしょう。

さらに、心理的にも肉体的にも、より生産的で、より健康的に1日をすごすことができるのです。
私たちは自分の心の主導権を握っています。ひとりひとりが落ち着いて行動することを学ばなければなりません。

社会ではマインドフルでない人が大多数を占めています。もしあなたがその中に入ってしまったら、すぐに堕落してしまうでしょう。その罠に陥らないよう、気をつけてください。

自宅にいるときでも、瞑想センターにいるときでも、車に乗っているときでも、スーパーのレジで順番を待っているときでも、どこにいても、気づいてさえいれば、気づきはストレスや苦しみが起こらないよう心を守ってくれるでしょう

 (続きます)

2018/10/12

仏教の「悪」の定義「善悪とは? ①‐2」


仏教の「悪」の定義


「悪」の定義は何でしょうか?
それは、「自分と他の生命にたいして迷惑な行為をすること」です。

ここで理解してほしいのは、仏教では対象は「自分」と「他の生命」だということです。自分に迷惑な行為をすることも、悪であり罪なのです。


皆さんは他の生命をいじめることは罪だと知っているでしょう。自分で自分をいじめたり害を与えたりすることも罪なのです。


このように、仏教の悪の定義とは自分と他の生命に迷惑をかけることです。仏教心理学から、この定義を設定しているのです。

2018/10/09

善悪の勉強「善悪とは? ①‐1」


まず善悪の勉強から始める


私たちは善と悪について新たに理解すべきです。みながよく言っている「世界は悪(善)で満ちている」などのセットフレーズに乗るのではなく、実際に「善とは何か、悪とは何か」をちゃんと理性で理解したほうがよいのです。

仏教では、善には二種類あり、悪には二種類あります。それぞれどのような意味なのかを学んでみましょう。

2018/10/07

【Q&A】ブッダの教えとは?②

グナラタナ長老への質問


【Q&A】ブッダの教えとは?① の続き


もちろん、ブッダが説いた気づきの瞑想を知らなくても、人は自分の人生経験から智慧をいくらか得ることもできるでしょう。智慧はいつでも起こりうるものです。
賢い人は、自分の過ちや失敗から学ぶこともできるでしょう。また、なかなかやめられずに続けてしまう愚かで軽率な失敗をくり返すのをやめることもできるのです。

しかし、残念ながら、世の中は混乱した教えや混乱した人、混乱した影響でいっぱいです。混乱した教えや思考は、人を迷わせます。それで多くの人は何を受け入れるべきか、何をやめるべきかを判断しきれなくなっているのです。


『ブッダの教えとは?』グナラタナ長老〔著〕出村佳子〔訳〕
『パティパダー10月号』


ブッダの「道」



こうした混乱の中、ブッダは「道」明確に示されました。どのような「道」でしょうか?



まず、「道」の基盤となる戒律(戒)です。私たちはこの戒律を守らなければなりません。

「道」を歩み続けるために必要なものが、心の強さ――集中力(定)です。

そして「道」を歩んでいるときに持つべき目標が、智慧(慧)なのです。

この「道」の到達点(ゴール)は何でしょうか? 
「覚り」であり「解脱」です。苦しみが完全に滅した境地なのです。



 これが唯一の道である。

 見を清らかにするために、

 これ以外に道はない。

 この道を歩むがよい。

 マーラを迷わせるであろう。

 

 この道を歩めば、

 苦しみが終わるであろう。

 矢(欲)の抜き方を知り、

 私はこの「道」を説く。


 ダンマパダ274-275



 Ese va maggo natthañño,

 dassanassa visuddhiyā;

 Etañhi tumhe paṭipajjatha,

 mārassetaṃ pamohanaṃ.

 

 Etañhi tumhe paṭipannā,

 dukkhassantaṃ karissatha;

 Akkhāto ve mayā maggo,

 aññāya sallasanthanaṃ.

       

 Dhammapada 274-275


2018/10/03

【Q&A】ブッダの教えとは?①


グナラタナ長老への質問



Q:質問


なぜ私たちは「気づき(マインドフルネス)の実践」をし、さらに「ブッダの教えを学ぶ」べきなのでしょうか? 

現実の本質や存在の問題について語っている哲学などとブッダの教えは、どのように異なるのでしょうか?



グナラタナ長老〔著〕/出村佳子〔訳〕




A:回答ーグナラタナ長老



ブッダの教えと、哲学的な思想とのあいだには大きな差があります。ブッダの教えは知識や知的好奇心を満たすために学ぶ哲学や思想とは異なるのです。



ブッダは生と死のくり返し、つまり輪廻転生を乗り越える方法を発見し、人々に教えられました。



ご自身が輪廻転生を限りなく繰り返した後、ついにこの輪廻の苦しみを解決する道を見いだしたのです。

その道は、推論的な方法ではなく、実用的で現実的、具体的な実践法です。



まず、ブッダが教えた戒律は、心を訓練し、人生をシンプルにし、覚りの道へと導くための体系的な訓練です。

これは、人が世の中で幸せに生きるための明確なガイドラインになります。



また、私たちが「心が実際どのように働くのか」ということを観察できるよう、導いてくれます。これは単に知的に面白いとか刺激的といったものではありません。



ッダの教えは私たちに、悩み苦しみを引き起こす心と行動の悪い癖をやめるよう、その手段を与えてくれます。つまり、それは単なる思想や洞察ではなく、解脱と覚りへ導く完成された教えなのです。


(続きます)

バンテ・グナラタナ(グナラタナ長老)
『仏教Q&A』(パティパダー10月号)

2018/09/30

預流果に覚る条件〈もくじ〉

『マハーナーマ経(Mahānāma suttam)

 スマナサーラ長老法話

預流果に覚る条件:マハーナーマ経

 ①預流果に覚る条件(その①)

 ②預流果に覚る条件(その②)

 ③預流果に覚る条件(その③)

 ④預流果に覚る条件(その④)

 ⑤預流果に覚る条件(その⑤)

 ⑥預流果に覚る条件(その⑥)

 ⑦預流果に覚る条件(その⑦)


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預流果に覚る条件

法話:アルボムッレ・スマナサーラ長老

編集:出村佳子

根本仏教講義 ➤ 目 次

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生きとし生けるものが幸せでありますように

2018/09/29

たとえば、嘘をついたら…


自分を慈しみ、大切にすることは、利己的なことではありません。ですから、自分に害をもたらす薬物や飲酒、悪い食習慣、喫煙、愚かな行為、休養不足などで自分を傷つけないよう、心と身体を大切にしてください。

たとえば、嘘をついたら、相手を傷つけるよりも先に自分が傷つきます。

他の生命を殺したり、与えられていないものを取ったりすると、最初に傷つくのは自分なのです。

したがって、自分を慈しみたければ、自分を害する行為をやめなければなりません。


自分を害する行為をやめると、正直さや注意力、智慧が育っていきます。こうして心は苦しみから解放されるのです。



『慈悲の瞑想』グナラタナ長老著、出村佳子訳


生きとし生けるものが幸せでありますように