悪と不善に完成はあるか?
次に「完成」ということについて考えてみましょう。
悪と不善に「完成」はあるのでしょうか?
悪行為は激しく命を破壊し、不善行為は徐々に破壊します。
悪行為の場合、たとえば他人を殺したら、自分の命もそれで終わりです。社会から逃げても隠れても無駄です。自分がやった悪行為が、毎日自分を破壊していくのです。
不善行為とは判断を間違えたり、失敗したり、下手で何をやってもうまくいかず、結果がダメなことで、そうなってくるとじわじわと自分の人格が下がっていきます。
悪と不善に完成はあるか?
次に「完成」ということについて考えてみましょう。
悪と不善に「完成」はあるのでしょうか?
悪行為は激しく命を破壊し、不善行為は徐々に破壊します。
悪行為の場合、たとえば他人を殺したら、自分の命もそれで終わりです。社会から逃げても隠れても無駄です。自分がやった悪行為が、毎日自分を破壊していくのです。
不善行為とは判断を間違えたり、失敗したり、下手で何をやってもうまくいかず、結果がダメなことで、そうなってくるとじわじわと自分の人格が下がっていきます。
根本仏教講義『智慧と善行為』を一部アップデートしました。
◎ 智慧と善行為
・智慧が開発するか否か?
・智慧のある人
・調和し、補い合い、協力する
・ネットワーク
Q:質 問
瞑想会ではみなが瞑想していますから瞑想しやすいのですが、自宅に帰り、日常の忙しい生活に戻ると、気づきと静寂を保つことができなくなります。
どうすれば日々の忙しい生活のなかで瞑想することができるでしょうか?
A:回 答――グナラタナ長老
「気づき(マインドフルネス)」を保つ方法のひとつとして、ペースを落とし、スローモーションで生活することがあります。
スローモーションを実践することは、お寺にいるときでも、自宅にいるときでも、どこでも実践できるでしょう。
人は世界平和を築くことについてよく語りますが、心に平和を築くこと――心を健全で穏やかにすること――に関心をもつべきです。こうした善い心は、気づきから生まれるのです。
職場にいるときや静かな場所で長い時間坐ることができないときには、数分だけでも気づきを実践するとよいでしょう。
だれでもできる実践法があります。私はこの方法をすすめています。
1日のなかで1時間ごとに、1分間だけ気づきの実践をするのです。59分間はいつもどおりに仕事をし、1分間休憩をとって、心を呼吸にしっかりと集中させるのです。
できれば、目を閉じてください。
忙しいオフィスでデスクワークをしている場合は、目を開けたまま前方の一点を見つめるとよいでしょう。 そのまま静かに心のなかで呼吸を15回数えます。そうするとだいたい1分くらいたっているでしょう。
その1分間は将来の計画をたてたり、何かを考えたりしないでください。思考から完全に心を解き放つのです。
1分間たつと、心はいくらか明晰になるでしょう。
これからの59分間、仕事にとりくむ強さが得られました。その後「1時間たったらまた1分間、気づきの瞑想をしよう」と心に誓ってください。
台所や事務所にいるときでも、この1分間の気づきの瞑想をすることができます。
駐車場に車をとめてエンジンを切ったときにもできますし、トイレ休憩のときにもできます。
8時間仕事をしているなら、この1分間の瞑想を1日おこなうと、仕事が終わるまでには8分間瞑想したことになります。1日の終わりには普段のように緊張したり疲れたりすることがないでしょう。
さらに、心理的にも肉体的にも、より生産的で、より健康的に1日をすごすことができるのです。
私たちは自分の心の主導権を握っています。ひとりひとりが落ち着いて行動することを学ばなければなりません。
社会ではマインドフルでない人が大多数を占めています。もしあなたがその中に入ってしまったら、すぐに堕落してしまうでしょう。その罠に陥らないよう、気をつけてください。
自宅にいるときでも、瞑想センターにいるときでも、車に乗っているときでも、スーパーのレジで順番を待っているときでも、どこにいても、気づいてさえいれば、気づきはストレスや苦しみが起こらないよう心を守ってくれるでしょう。
(続きます)
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『パティパダー10月号』 |
自分を害する行為をやめると、正直さや注意力、智慧が育っていきます。こうして心は苦しみから解放されるのです。
生きとし生けるものが幸せでありますように