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ご協力いただいたサポートは、法話の翻訳や通訳、執筆、長老の法話会の活動等に大切に役立てさせていきます。
活動を支えてくださりありがとうございます。
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記号番号:10210-9725750
口座名義:デムラ ヨシコ
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金融機関コード:9900
預金種目:普通
店番号: 〇二八 店(ゼロニハチ店)
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生きとし生けるものが幸せでありますように
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生きとし生けるものが幸せでありますように
「善行為は完成できる」 の続き
ここで、皆様にちょっと勉強することがあります。
私が教えなくても、皆様は功徳とは何かということを知っているでしょう。
たとえば、教会ではミサが終わるとだいたいみんな寄付をします。その寄付金は教会の維持管理だけではなく、いろいろなボランティア活動に使ったりします。あるいは目が見えない人を助けるためや、恵まれない人を助けるため、また孤児院などどこかの施設の維持管理のために使ったりします。
日本の子供たちも、路上で募金活動をしているのを見かけます。ああいうのは功徳行為なんです。
でも、これって、いくらやってもやりきれません。
ですから、「功徳」を「善」になるようにしなければなりません。パーリ語でいうと、「プンニャ(puñña)」を「クサラ(kusala)」に変えなくてはいけないのです。
このプンニャをクサラに変える方法を、これから説明いたしましょう。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
そう心から願うとき、心は幸せで穏やかになります。
ブッダは「慈経」で、「立っているときも、歩いているときも、座っているときも、横になっているときも、眠っていないかぎりは、常に慈悲の念を起こしてください」と説いています。
慈しみを実践するのに、時や場所、状況は選びません。朝、目が覚めてから、夜、眠りにつくまで、常に慈しみを保ち、慈しみが性格になるまで実践するよう、すすめられています。
このように慈しみを保つことで、「自」と「他」の壁が壊れ、そこにこの上ない安穏な世界があらわれるのです。
「慈しみ」は幸せへの鍵 | Close-Up! この一冊 |
web春秋はるとあき 2018.11.16より
功徳を積む人は寿命がある限り、善行為をたくさんします。
その人は寿命をまっとうすることができます。
他方、悪行為をする人は、寿命が終わるまで生きていられません。
不善行為をする人も、寿命が終わるまで生きることはできません。
与えられた業の寿命よりも、自分の寿命が先に終わってしまうのです。
功徳や善をおこなう人は、自分に与えられた寿命は完璧に完了します。
たとえば、生まれたときに業(ごう)によって寿命が100年となっていたら、ちょうど100年ピッタリで亡くなるのです。
功徳のよいところは、それなんです。
寿命をまっとうすることができるのです。
「寿命をまっとうする」とは、突然、難病になったり、事故に遭ったり、寿命が縮んだりすることはないということです。
功徳を積む人は、功徳行為を完成することはできませんが、寿命が終わるまで功徳を積むことができ、寿命をまっとうすることができます。
寿命が終わったら、当然、幸福なところに生まれ変わることができるのです。
一方、善行為は完成できます。
完成とは、智慧が現れて、解脱に達するということです。
善行為とは、人格を向上すること、理性を育てて正しい判断能力や観察能力を身につけること、正しい行為をすることです。それで、智慧が現れるのです。
ですから功徳行為ではなく、善行為をおこなうと、智慧が現れます。
功徳だけだと、功徳だけで終わります。智慧は現れないんです。仏典には、徳をたくさん積んでいても智慧は現れないと、はっきり言っています。
ときどき、善いことをするわするわ、誰もかなわないくらい善いことをする人がいるんです。
しかし、智慧は現れません。
いま思いだしたのはマザー・テレサさんです。彼女がおこなった行為は誰もかないません。しかし、あれは功徳行為です。智慧は現れにくいのです。
でも、彼女は普通の人にかなわないくらいの功徳を積みましたから、智慧が現れる可能性もあったようです。彼女の本を読んでみると、智慧が現れかけていた兆候が見えるのです。
インドの貧困の人をすべて完璧に面倒見ることは、いくらなんでもやりきれないことでしょう。やればやるほど、人間が不幸であることを発見していくのです。
それで、彼女は最後のほうになってくると、少し客観的に現実を観察するようになり、「なんだこれは、神が創った世界なのに不幸ばかり。やりきれない。これでは人生に納得できない」というふうに、生きることが苦であることを理解していくのです。神に縋ることは、彼女にとって答えではなかったようです。
そこで、もし彼女が、「生命は誰だって苦しんで生まれ、苦しんで生きて、苦しんで死ぬんだ」ということを理解したなら、智慧が現われ、心が落ち着いたでしょう。
彼女がどこまで理解できていたのかはわかりませんが、彼女が立派な方であったことは明らかなことです。
「善」というのは、ものごとを理解して、判断能力を正すことです。
何かを理解したということは、智慧が現れたということです。
それで智慧が完成したら、生きる問題はすべて終了するのです。
善が完成すると、ついでに功徳も完成します。
功徳が自動的に完成するんです。
なぜなら、功徳は善の中にあるのだから。
生きとし生けるものが幸せでありますように
①-1)まず善悪の勉強から始める
①-2)不善と悪の違い
②-1)悪と不善・功徳と善の関係
②-2)悪と不善に完成はあるか?
③-1)功徳と善に完成はあるか?
③-2)善行為は完成できる
④-1)功徳から善への進み方①
④-2)功徳から善への進み方②
⑤-1)自己を観察し「平等」を理解する
⑥-1)他の役に立つように生きる
⑦-1)「自分は悪いことをしない」と決める
⑦-2)対話と理解
⑧-1)仏道は、両目を見えるようにする