2018/12/29

人生改良計画②-2



無駄な思考をやめる


無駄な思考をストップする方法をひとつご紹介いたしましょう。

「これを考えたら私のためになりますか、幸福になりますか」と、自分に問いかけることです。何か考え方を引きずって悩んだり、落ち込んだりするのではなく、こう考えてみてください。

この思考は、
・自分のためになるか、ならないか?
・役に立つか、立たないか?
・幸福になるか、ならないか?
・他人の役に立つか、迷惑をかけるか?

このように自分に問いかけると、思考はそこでストップするでしょう。



人生改良計画 スマナサーラ長老





思考をケチる



皆さんはお金にたいしてすごく厳密でしょう。10円でも安く売っているなら、1キロ先でも歩いて買いにいく人もいるほどです。

お金の場合はそんなに厳密になる必要はないのですが、思考にたいしては厳しくならなければなりません。なぜでしょうか? 

生き方はすべて思考から現れるからです。思考は一番ケチったほうがよいものです。

皆さんは考えることは無料だと思っているようですが、実はものすごくお金がかかっています。お金を無駄に使っているのは、思考のせいなのです。

たとえば日本の経済状態を見ると、表面的には景気が回復したと言っていますが、実際はそれほど回復していないと思います。かつては経済的に世界のトップにいたにもかかわらず、かなり落ちてしまったのはなぜでしょうか?

これは思考の問題です。思考でものすごい損をしています。無駄な思考ばかりで、役に立つ思考はほとんどありませんでしたし、今もありません。政治家や関係者の思考を観察してみると、国や国民のことよりも、自分の立場や権力のことを優先している人がほとんどです。ですから立ち直ることがむずかしいのです。

とにかく思考にはよく気をつけて、ケチってください。思考はすごく危険なものです。有益なことだけを考えて、「これで終わり」ときれいに止まってください。結論を出して、すぐに終わるのです。

考えているときも「いま何を考えていますか」と、自分の思考を観察してみてください。

また、考えるためにはいろいろなデータが必要ですから、データの範囲内で考えているかないかということを観察することも大切です。データからはみ出して考えると、苦しみが生まれますから。


思考はデータの範囲内で



テレビのワイドショーやニュースの解説を見ると、思考が間違っていて、好き勝手なことを言っている番組がいかに多いでしょうか。

本当はデータがないにもかかわらず、情報を捏造し、作り立てているということが、ちょっと観察すると見えてくるのです。

そういう自分勝手な偽りの情報がいったんマスコミで流れると、情報のない視聴者はその通りだと思ってしまいます。

そこで、情報を受けとる側も、ニュースで言ったからといってそのまま鵜呑みにしてはなりません。この人にはデータがあるのかないのか、データをどのように解説しているのか、と考えることも大切なのです。

私たちは無駄な思考をしているため、頭が混乱していて、正しく考えられない状態になっています。

私たちが24時間考えていることというのは、ほんとうは24時間かかりません。ほとんど2、3分で考えて終了することができます。

ですから、役に立たない思考はしませんと決めて、思考をケチったほうがよいのです。(続きます)
スマナサーラ長老

根本仏教講義『人生改良計画②-2』文責:出村佳子





2018/12/27

善悪とは?④-1


為は完成できる」 の続き



功徳から善への進み方


ここで、皆様にちょっと勉強することがあります。

私が教えなくても、皆様は功徳とは何かということを知っているでしょう。

たとえば、教会ではミサが終わるとだいたいみんな寄付をします。その寄付金は教会の維持管理だけではなく、いろいろなボランティア活動に使ったりします。あるいは目が見えない人を助けるためや、恵まれない人を助けるため、また孤児院などどこかの施設の維持管理のために使ったりします。

日本の子供たちも、路上で募金活動をしているのを見かけます。ああいうのは功徳行為なんです。

でも、これって、いくらやってもやりきれません。

ですから、「功徳」を「善」になるようにしなければなりません。パーリ語でいうと、「プンニャ(puñña)」を「クサラ(kusala)」に変えなくてはいけないのです。

このプンニャをクサラに変える方法を、これから説明いたしましょう。

2018/12/22

慈悲の瞑想


慈悲の瞑想


「生きとし生けるものが幸せでありますように」
そう心から願うとき、心は幸せで穏やかになります。
ブッダは「慈経」で、「立っているときも、歩いているときも、座っているときも、横になっているときも、眠っていないかぎりは、常に慈悲の念を起こしてください」と説いています。
慈しみを実践するのに、時や場所、状況は選びません。朝、目が覚めてから、夜、眠りにつくまで、常に慈しみを保ち、慈しみが性格になるまで実践するよう、すすめられています。
このように慈しみを保つことで、「自」と「他」の壁が壊れ、そこにこの上ない安穏な世界があらわれるのです。

「慈しみ」は幸せへの鍵 | Close-Up! この一冊 | 
web春秋はるとあき 2018.11.16より

2018/12/09

善悪とは?③-2


功徳と善に完成はあるか?の続き


功徳を積む人は寿命がある限り、善行為をたくさんします。

その人は寿命をまっとうすることができます。


他方、悪行為をする人は、寿命が終わるまで生きていられません。

不善行為をする人も、寿命が終わるまで生きることはできません。

与えられた業の寿命よりも、自分の寿命が先に終わってしまうのです。


功徳や善をおこなう人は、自分に与えられた寿命は完璧に完了します。

たとえば、生まれたときに業(ごう)によって寿命が100年となっていたら、ちょうど100年ピッタリで亡くなるのです。

功徳のよいところは、それなんです。

寿命をまっとうすることができるのです。






「寿命をまっとうする」とは、突然、難病になったり、事故に遭ったり、寿命が縮んだりすることはないということです。

功徳を積む人は、功徳行為を完成することはできませんが、寿命が終わるまで功徳を積むことができ、寿命をまっとうすることができます。

寿命が終わったら、当然、幸福なところに生まれ変わることができるのです。



「善行為(kusala)」は完成できる


一方、善行為は完成できま

完成とは、智慧が現れて、解脱に達するということです。


善行為とは、人格を向上すること、理性を育てて正しい判断能力や観察能力を身につけること、正しい行為をすることです。それで、智慧が現れるのです。


ですから功徳行為ではなく、善行為をおこなうと、智慧が現れます。


功徳だけだと、功徳だけで終わります。智慧は現れないんです。仏典には、徳をたくさん積んでいても智慧は現れないと、はっきり言っています。


ときどき、善いことをするわするわ、誰もかなわないくらい善いことをする人がいるんです。

しかし、智慧は現れません。

いま思いだしたのはマザー・テレサさんです。彼女がおこなった行為は誰もかないません。しかし、あれは功徳行為です。智慧は現れにくいのです。

でも、彼女は普通の人にかなわないくらいの功徳を積みましたから、智慧が現れる可能性もあったようです。彼女の本を読んでみると、智慧が現れかけていた兆候が見えるのです。

インドの貧困の人をすべて完璧に面倒見ることは、いくらなんでもやりきれないことでしょう。やればやるほど、人間が不幸であることを発見していくのです。

それで、彼女は最後のほうになってくると、少し客観的に現実を観察するようになり、「なんだこれは、神が創った世界なのに不幸ばかり。やりきれない。これでは人生に納得できない」というふうに、生きることが苦であることを理解していくのです。神に縋ることは、彼女にとって答えではなかったようです。

そこで、もし彼女が、「生命は誰だって苦しんで生まれ、苦しんで生きて、苦しんで死ぬんだ」ということを理解したなら、智慧が現われ、心が落ち着いたでしょう。

彼女がどこまで理解できていたのかはわかりませんが、彼女が立派な方であったことは明らかなことです。


「善」というのは、ものごとを理解して、判断能力を正すことです。

何かを理解したということは、智慧が現れたということです。

それで智慧が完成したら、生きる問題はすべて終了するのです。



善が完成すると、功徳も完成する



善が完成すると、ついでに功徳も完成します。

徳が自動的に完成するんです。

なぜなら、功徳は善の中にあるのだから。





生きとし生けるものが幸せでありますように


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法話:スマナサーラ長老

善悪とは?

根本仏教講義 ➤ 目 次

文:出村佳子

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2018/12/04

希望と欲望⑤-1

正精進③
今おこなっている善行為を、完成するまで拡大する


私たちは日常生活の中でいろいろな善いことをしています。

たとえば仕事をまじめにするとか、社会が発展するよう努力するとか、そういう自分が誠意をもってやっていることがいろいろあると思います。

その「善いことをさらに完成するところまで努力する」のが3番目の希望――いわゆる「正精進(sammā vāyāma)3番目」です。

これぐらいでいいのではないかと、ほっとしないようにしてください。私は毎朝9時から夕方5時まで仕事をしているから、それでいいのではないかと安心するのではなく、さらに「善いこと、役に立つことはないでしょうか」と、自分が日々やっている善い行為を、完成させるまで努力しなければならないのです。

たとえば、学校の先生の場合、「自分は10年間も教えてきたからそこそこ経験もあるし、教える内容も身についているし、教え方も、子供をまとめる方法も知っているから、それぐらいでよいのではないか」と安心してはなりません。

より立派なことをしようと智慧をしぼって、さらに努力することが大切なのです。





正精進④
今までしたことのない善行為をする



正精進の4番目は「今までしたことのない善行為を勇気をだしてする」ことです。

先ほどの学校の先生を例だと、今まで教科書どおりに教室で教えてきましたが、ちょっと方向を変えて、子供たちと外に出て自然のなかで授業をするとか、あるいはキャンプに行くとか。

そうすると机上の勉強では学ぶことのできない新しい発見が生まれてくるかもしれないのです。

でも、私たちはたいてい何か新しいことをしようとするとき、「やったことがないからやめよう」という弱気な気持ちが出てくるものです。善い考えは浮かぶけれども、やったことがないからやめましょうと、そういう弱さがあるのです。

これは仏教ではあまり認めていません。

仏教は、たとえやったことがなくても、それが善い行為なら、勇気をもってやりなさいと教えています。いつでも前進です。

これが4つ目の正精進であり、善い希望なのです。


続きます)

根本仏教講義『希望と欲望⑤-1』

2018/11/29

人生改良計画②-1

適応能力を育てる からの続き


改良すべきものは何か?


ある食べ物を見て「これはどうすればおいしくなるか」と考えるのではなく、おいしく感じられるように自分の身体を適応させることが大切です。

そうすると、身体の能力が成長するのです。

顔の肌が荒れて困っている人は、いろんな化粧品を塗って肌の荒れを隠すのではなく、肌が環境に適応するように肌を改良すればよいのです。

化粧品にはけっこう刺激の強い物質が入っていますから、そういうものを毎日顔に塗っていると肌が痛み、老化しやすくなります。

ですから、自分の肌を強くしたほうがよいのです。
寒さや暑さなどの自然の問題に適応するのはあなたの仕事だよ、と身体に教えてあげてください
そうすると、細胞が生き返って元気になるでしょう

化粧をしない女性は、歳をとっても比較的、肌がきれいなものです。若いときに化粧をしない人を見たら「ひどい」と皆さんは思うかもしれませんが、そういう人は歳をとったとき、しわは出ますが肌が荒れることがなく、きれいなままでいられるのです。

私たちは自分の身体の適応能力を育てるべきなのに、それはおいておいて外のモノに頼っています。そうすると、当然身体の能力は弱まっていきます。これは改良ではなく、逆の方に向かっているということです。


俗世間でよくいわれる「合理的にする」という考え方は別に悪いことではありません。

便利にしたい、快適にしたいという考え方は別に悪いことではないのです。

ただ、それだけでは足りません。
ものごとを合理的にしたいなら、何が必要でしょうか?
合理的に考えるのは誰ですか? 

自分です。ですから、改良すべきものは「自分の思考」なのです。つまり「非合理的な思考はしない」という性格を育てるのです。




正しい改良とは「自分が合理的になる」ことです。合理的というのは「理屈っぽい」という意味ではありません。

ものすごく理屈っぽい人もいますが、そういう人たちは非合理的で、非論理的で、他人を侮辱したり、非難したりして凶暴です。頭が混乱し、「これはどうか……、あれはどうか……」とあれこれ考え続けて悩みますから、大変苦しんでいるのです。


合理的な思考


では、合理的な思考とはどのようなものでしょうか?

これは、無駄をなくして「この問題にはこれが答えです」とちゃんと問題と答えを発見できることです。

データに基づいて客観的に考え、結論をだし、きれいに終わることです。

逆に「引きずる思考」はよくない思考で、論理的ではなく、無駄な思考です。

何らかの考えを引きずって、なかなか忘れられないでいるなら、それは妄想であり、自分をダメにします。

ですから何があってもサッと考えて、終わりにしてください。無駄な思考をやめるのです。


「合理的な生き方」はお釈迦さまが推薦する正しい生き方です。外のモノに合理性を求めるのではなく、自分が無駄な思考をしない、役に立たない思考をしないという生き方をすることが大切なのです。(続きます)
スマナサーラ長老

根本仏教講義『人生改良計画②-1』文責:出村佳子





2018/11/26

人生改良計画①-2


「改良」の問題点からの続き


このように私たちは「よくなりたい」「改良したい」と考えていますが、このような改良では、自分を改良するどころか、逆の結果になってしまいます。


「より美しくなりたい」「よりスリムになりたい」ということを望んでダイエットをする若い女性たちは、逆に健康をそこない、摂食障害(拒食症や過食症)など、どうにもならない精神病にまでおちいることがあります。

摂食障害に苦しむ女性たちは、もともと精神的にトラブルがあったわけではありません。

元気に明るく遊んでいたかわいい女の子たちなのですが、年頃になってくると、まだ身体が小さいのに「痩せなくちゃいけない」と考えてダイエットをするのです。

他人から見ればかわいくてきれいだし、それ以上痩せたら体力がなくなって勉強も仕事もできなくなるだろうし、見るかぎり「もうちょっと食べなさい」と言いたくなるような女の子たちなのに、本人は「自分は太っている、痩せなければならない」と言うのです。

それでごはんを食べず、栄養失調になり、体力がなくなって、仕事もできなくなるのです。

栄養が不足するとどうしてもイライラしますから、怒りっぽい性格になってしまいます。
こうして人生が苦しくなっていくのです。


「よくなりたい」という気持ちが、悪い結果をもたらしています。よくなろうと頑張っていますが、結果はすべてあだ。そうするとやけになり、さらに踏ん張ろうとします。そうやって、苦しみを増やしているのです。



健康を追い求めつつ



私たちは「もっとおいしく食べたい」と思って、食べ物が持っている「維持する部分」を捨てています。

たとえばリンゴなら皮ごと食べればいいのに、かたいとか、おいしくないとか、食感が悪いという理由で、皮を剥いて捨てています。

でも、リンゴの栄養分は皮のすぐ内側に多く含まれています。真ん中はほとんど水分と糖分だけ。リンゴは、外部のものから身を守らなくてはなりませんから、健康を維持し、身を守り、細胞を守る成分はすべて皮のすぐ内側にあるのです。

なのに、皆さんは皮を厚く剥いて捨てているでしょう。見栄えがよいようにとか、食べやすいようにといって、栄養を全部捨てているのです。

私たちは「健康、健康」と言いながらも、実は健康を壊す道を歩んでいるのです。



適応能力を育てる



では、どうすればよいのでしょうか?
「もっとおいしいものを食べたい」なら、食べものを改良するのではなく、環境や食べ物に適応できるよう、自分の身体を改良することです。

身体は結構すぐに慣れるものです。人間には「自然に適応する能力」があります。パンダとは違って、かなり適応能力があるのです。

しかし私たちはその適応能力を放棄して、パンダと同じ状態になっています。

今のパンダは完全に守ってあげて人工的に繁殖しないと子供をつくれない状態にあります。
中国では、絶滅の危機からパンダを救おうとよい環境のなかで育て、人工的に繁殖させていますが、結局のところ、自分で自然に繁殖する力がなかったらダメでしょう。このようなやり方では、救ったことにならないと思います。

同様に、人間もパンダと同じ状態になっていて、人工的な環境でないと生きていられなくなっているのです。(続きます)
スマナサーラ長老

根本仏教講義『人生改良計画①-2』文責:出村佳子


2018/11/24

希望と欲望④-2

正精進(Sammā vāyāma)には4つあります。


正精進① 今ある悪いところをなくす






ひとつ目は「自分の悪いところやダメなところ、いけないところを直すために努力する」ことです。

この「悪いところ」とはどういう意味かというと、お釈迦様が使われた言葉は、不善(akusala)で、「巧みではない、上手ではない、下手」という意味です。

何か不善の性格があるなら、それを努力して直さなくてはなりません。

不善にはいろいろありますが、とくにお釈迦様が厳しくおっしゃったのは「怠けてはならない」ということです。



■ 朝早く起きる


朝早く起きられない人は、努力して、その怠けの性格を直したほうがよいでしょう。徹夜で仕事をした場合は例外ですが、一般的に私たちは夜寝て朝起きて活動します。朝早く起きれば、仕事がたくさんできます。

とくにスリランカなどの南の国では、朝4時ごろに起きるとかなり元気に能率よく仕事ができます。

10時や11時ごろになると気温が上がって暑くなり、身体が疲れて仕事のスピードが落ちてしまうのです。それで日中、長めに休んだあと、また仕事を再開し、夜の7時か8時ごろまで仕事をします。

日本は気候や環境が違いますが、それでも朝早く起きれば時間を有効に使うことができますし、効率よく1日を過ごすことができるでしょう。


■ 浪費ぐせ


お金の管理が下手な人は、頑張ってそれを直すように努力しなくてはなりません。

お釈迦様は在家の方にたいして、「財産の管理は家庭のあるじである奥さんにまかせてください」と教えられました。

旦那さんは外で仕事をしてお金を持ってくる。奥さんがそのお金を管理して家計のやりくりをするのです。

そこで、もし奥さんが贅沢好きで、旦那さんの稼いだお金をすべて自分の欲しいものに使っているなら、当然、その家庭は崩壊するでしょう。贅沢もお金の浪費も、不善な生き方です。

そういう性格のある人は、努力して戒めて、心を直さなくてはなりません。

といっても、もし奥さんが精神的に弱くて、浪費ぐせの性格を改めることができず、品物を見たら買い物せずにはいられない、買物症候群とよばれるような病気を持っているなら、奥さんにお金の管理をまかせることはやめてください。そのほうが家族のためになるでしょう。


誰にでも弱点や欠点はあるものです。

そこで、そうした自分の悪いところを見て、その悪いところを直す努力をすること、これが幸福への道です。

私たちには悪いところやだらしないところがいっぱいあります。ですから、日々、努力精進しなければなりません

ひとつ悪いところを直すと、別のものが顔をだします。隠れていて、さっと顔をだすのです。

それを直すと、また別のものが顔をだします。

ですから常に努力して、自分の悪いところを直していかなければならないのです。



正精進② やったことのない悪いことを、これからもやらない


正精進の2番目は、今までやったことがない悪い行為を、これからもやらないように努力することです。


世の中には悪行為や破壊行為がいっぱいあります。
たとえば、一度も麻薬に手をだしたことがないのに、悪い友達に誘われて、じゃあ一回だけやってみようと興味本位で手をだす人もいるかもしれません。

麻薬を使用することは、悪行為です。

そこで仏教は、「あなたは今までやったことがないのだから、これからも頑張って、どんなに誘惑されても、やらないことを守りとおしてください」と教えます。

その点では、徹底的に頑固になってもかまいません。


一度も酒を飲んだことがないとしましょう。会社の上司や同僚に誘われて居酒屋に連れていかれ、みんなに「まあいいじゃないか、一杯だけ飲みなさい」と誘われても、断るべきです。

私は一度も酒を飲んだことがないのだから、これからも絶対に飲みません、という態度をしっかり守ったほうがよいのです。

このように、今までやったことのない悪い行為はこれからもやらないよう、自分を戒めなくてはなりません。

世の中は誘惑だらけです。社会を見ると、何十年もまじめに生きてきた人が突然悪いことをする、ということがあります。50歳までまじめに仕事をしてきたのに、51歳でお金を盗んだとか、不正をしたとか……。

それで、今までこつこつ積み上げてきた成果も信頼も、全部消えてなくなってしまうのです。

ですから「今までやったことのない悪行為は、これからもやらないように努力すること」が大切なのです。


あるやり手の若い営業マンが自分の会社に入ってきたとしましょう。その人はうまい口調で人を騙し、何かちょっと不正をしたりして、顧客をたくさん獲得していきました。

自分はこつこつ正直に営業をやってきたのに、その人に先を越されてしまいます。それでどんどん悔しくなるのです。

おまけにその人はブランドのネクタイを締め、ブランドのカバンを持ち、ブランドの腕時計を身につけています。
でも、自分は3千円の時計。なんで自分はこんなに苦労しなくちゃいけないのか……、まじめに働いているのがばからしい……、とみじめな気持ちになったりします。
これも一種の誘惑です。

お釈迦様は、「あなたはそれでいい。悪いことはやらないでください。あなたは今まで悪いことをやらなかったのだから、いくら誘惑されても、頑張って、歯を食い縛って、自分のポリシーをつらぬいてください。勇気を持ってください。間違ってでも悪いことをしてはなりません」と教えているのです。

これが幸福への道です。


(続きます)

根本仏教講義『希望と欲望④-2』